なぜあるユダヤ人はジーザスを認めなられないのか?認めようとしないのか? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

今の時代のユダヤ人たちが、なぜそれほどまでに、2000年

前に来られた救い主=ジーザスを認めようとしないのか?

なぜ福音書以降の書を手に取り読もうともしないのか?

いや救い主と認めないと言う事ではなく、彼らの中にある、

一番の大問題は、西洋ローマ宗教の作り出した教えが語る所の

救い主が、トラー、預言書の中に書かれた救い主では無いと、

認識しているのです。彼らの認識はある意味正しいのです。

当然のことなのです。なぜなら聖書=神の言葉の事実から

ずれた救い主像、イスラエルの神像、解説を西洋神学が

語っているからです。ジーザスは、別の宗教の教祖さま、

神の言葉を捨てる、ユダヤ人を迫害する異端のリーダーと

言う認識なのです。彼らには。

 

歴史の途中で、神の言葉をカウンターフェイトしたローマ宗教、

ローマ神学の語るイスラエルの神は、トラーは、2000年前で

終止符を打ち終わり、神がご自分の口から直接語られた、

永遠普遍と言われた言葉なのに、ご自分の発言を完全に意図も

無責任に翻し、今度はそれは呪いであったと言った?

<聖書のどこにそんな事が書かれているのでしょう?是非とも

ご自分の目で、調べて確かめてみてください。>

ご自分の言葉を捨てよと、永遠普遍と言う宣言とは

真っ向から相反する矛盾極まりない命令するいい加減な神、

永遠普遍と宣言した花嫁イスラエルとの契約を破棄し、

イスラエル=花嫁を捨て、呪われたユダヤ人を殺害、トラーを

火にくべて神の言葉を終わった、捨てよと言う教えが神から

発生することは、1000%決して、天地がひっくり返っても

あり得ないことだと、トラーを知るユダヤ人は、

知っているから、当然の反応なのです。

 

聖書とは異なるメッセージを語ること、その内容の再確認を

一人一人が軌道修正、考えて正さないとならない点なのです。

ユダヤ人含め、世界の人々に、偽のイスラエルの神像、

救い主像を教え続けてしまうからです。神の言葉に戻る。

神は、契約を、約束を変えない、ご自分の言葉を翻したり、

否定したりなどしないからです。そう神が言われている、

聖書にそう記されているからです。

神の言葉は完全と書いてあるのです。

 

イエシュアの語られた教えのその中身は、”トラー”100%

です。トラー以外、それ以外の神の与えた契約=文字で

書かれたテキストなどこの世のどこにも無いのです。

誰か別のトラー=別の契約内容が記されたものを発掘したの

でしょうか?いやするわけないです。別の教えを語ったなんて

100%無いと神が言われたから。別の福音はない。太古から

語られている同じ福音と書いてある。

 

聖書は、この様に分けられています。

トラー=モーセの5書。これが、ここが聖書の全ての土台です。

全ては、トラーを語っている事実に認識を軌道修正。

土台は変化しませんし、家が建てられた後、土台や、柱を

取り除くような事はしない。そうするならば、建物全体は

完全に崩壊するのです。その行為は愚かです。

それを世界の神学はしているのです。

 

トラー以降聖書に語られている内容の全ては、100%トラーに

関して、忠実に語られているのです。別の福音は無いと神が

言われた通りだからです。

 

預言書=トラーから外れて生きることへの警告。

それが神が預言者に託した託宣、預言。神の言葉を預かって

人びとに、悔い改めを迫った。悔い改めと翻訳されていますが、

ヘブライ語の悔い改めはシンプルに、戻ると言う言葉。

何に戻るのでしょう?神の言われる言葉=トラーに戻れ!戻る。

トラーの生き様に戻りなさい=それがヘブライ語聖書での

本当の悔い改めの意味です。的=神のトラーに当たる位置に

生き方を軌道修正、トラー=的=神の意図通りの生き方に

戻れ!トラーの生き方に戻れ。

それが預言者の神からのメッセージ。

 

諸書=トラーを生きるライフスタイル、知恵。

古い箇所の聖書は終わりと信じる人たちも、詩篇、箴言は

読むのではないかと思います。

その書は、100%トラーに関しての実際の生活の上での知恵が

書かれているのです。トラーの内容なのです。

トラーの日常生活での実践書です。

 

そして、福音書から、黙示録は、聖書のほんの3分の1しか

占めて居ない箇所です。なぜなら、ここは、トラーを知って

いる事が1000%前提で、短い”ラメズ”と言う形式で

書かれているからです。

簡単に言うと冒頭の数カ所を聞いただけで、トラー、

預言書の、長い中身、どこどこの内容を語っていると

言う事が頭の中にすぐに浮かぶ人達を相手に語って

いるからです。

冒頭のイントロのメロディー1、2小節聴いただけで、

何の曲か曲全体を、またはその曲の作曲者、その背景、

曲の構想、分析全体を思い浮かべることが出来る事と、

全く同じ。福音書以降は、トラーをそらで暗記している

ヘブライの世界の人達へ、語られているからです。

福音書から黙示録は全て、トラーの短い解説なのです。

だから、トラーが分からなければ、何が書かれているか

はっきりしない、ぼやけてしまうのは免れない事実です。

イエシュアの例え話で、分かったようで分かってないそんな

箇所がたくさんあるのです。古代ヘブライの世界、

トラーの知識に欠ければ、異邦人には分からない内容が

書かれているからです。逆に言うとトラー、当時の世界の

知識、背景の情報を得れば、はっきり語られている内容が

見えてくるのです。

 

外国人が日本の古典を読んでもすぐに理解できない、

いや現代日本人とて同じ。教えられないと分からない内容が

あるのです。

 

しかも、トラーを永遠の神の言葉、契約と言う認識が無い

異邦人の語る神学は、神の言葉を否定しているのです。

終わった、呪いと。

そして、福音書〜黙示録に語られている内容が、

100%トラーだと気がついてないだけです。別の読み込みを

して、トラーを捨てよと言う別の契約が出現したのだと

誤解しているのです。

 

福音書以降は、使徒書、アポストリック ライテイングと

呼ぶのが適切なタイトルです。

新訳聖書などと言う、神が付けてもいない不適切な言葉と

ページを聖書に挿入されてしまってから、神の意図とはずれた

不適切な聖書に関する意識を人の中に植え続けているタイトル

=新約聖書、これを意識の中から削除する必要があるのです。

 

 

 

続く