聖体冒涜? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

1215年 ラテラノ教会会議と言うものがありました。

仮体説の教理が具体的に定義する人間の教えを

取り決めた会議です。

 

プロテスタントでは、その様な教理を取り入てていない

ですが、カトリックでは、仮体説と言う教えを造りました。

 

仮体説とは、カトリックの”ミサ”の儀式の中で、

司祭が聖別した聖体<パン=種入りパン>と葡萄酒が

キリストの体と血に変わると言う教理、神学です。

今もカトリック教会の中で健在の教理です。

 

反ユダヤ主義に油に火を注ぐ要因になるものなのです。

 

まず、知らないとならないのは、カトリック、

キリスト教会の中で、聖餐式と名付けられている儀式は、

一体聖書のどこから来たものなのか?を、

ちゃんと事実に戻り、再認識する必要があります。

 

この聖餐式とは、カトリックキリスト教会が名付けたもので、

実は、“過ぎ越の祭り”のセダー<順序>と言う

晩さんの儀式の中で、行なわれるものなのです。

事実だけに戻って、全てを確認すると分かります。

 

過ぎ越の祭りを毎年春に祝う度に、過ぎ越の晩餐の儀式で

イエシュアがされた、意図した、同じ儀式をするならば、

始めて丸ごと神の意図通りのデザイン、実質、中身、

実態が、体験出来るのです。

どこかを端折ったり、変形しては別ものになるのです。

 

これは、主の日=神のデザインした記念日の中で

行うものなのです。

”過ぎ越”の祭りの中で、行なう儀式なのです。

詰まり、過ぎ越の祭りを祝わずしては、本当の聖餐式も

成り立たないと言う事なのです。

 

そして、一般に今教会の中では、聖餐式の儀式に使うパンは、

パン種が入ったパンを使います。

でも、聖書のオリジナルのこのパンと葡萄酒を頂く儀式は、

“マッツア”=種無しパンなのです。

聖書の中に書かれている神のデザイン、意図されたものと、

人が作り出した教えでは、様々な違いがあるのです。

神の言われた通り、神のデザインした通りを、人はして

始めて、神の実態を地上で映し出す事が出来るのです。

 

週に一度のシャバットの時は、ハーラーと言う普通の種入り

パンを頂きますが、これは、過ぎ越の祭りの晩さんの中での

儀式とは、違う意味であり、区別されているものなのです。

 

中世の西洋宗教教会、その頃はカトリックと呼ばれる

グループのみですが、これが、聖体が現実に、キリストの体、

血に変化すると言う教えを作り出しました。

 

聖書の中に出て来る儀式に使われる“物”は、影です。

実際の物ではないのです。

でも、その”物”を通して、”儀式”を通して、

目に見えない実態を体験する事を繰り返すのです。

 

文字や、楽譜や、その他コードと同じです。

コード化されたものを、そのまま意図通りに取り出し、

表現すれば、現れ出る物は実態となって見えて来ます。

内側に取入れる情報は、生きたものとなるのと同じ事です。

 

聖書を読むと気がつきますが、様々な自然界にある物で、

神の真理を様々に表しているのです。

木、枝、種、水、地、目、顔、乳房、光、岩、荒野、羊、

王、子、父、etc etc

その物質を以って表される神の性質の本質を

述べているのです。

救いの岩と言ったら、神は岩と言って居るとは誰も思わない

はずです。岩、荒野を着いて来た岩、建物の土台となる岩が

何の意味があるのかと言う深い所を知れば、その言葉で表現

される、実態、実質、内容を理解し、受け取れるのです。

 

ですから、儀式で使われる、マッツア=イエシュアの体に

変身すると言う教えは、人間が作り出した教えなのです。

当然でしょう。

しかも、この聖餐式で使われるパンは、種入りパンですから、

これまた聖書の真実とは意味が違うものになり、

詰まりパン種=要らないものが削ぎ落とされた姿

=新しくされた人で表される、完了の業の事実、

実態が表されない事になるのです。

 

パン種が入ったら、この聖餐式と名付けられている儀式の

意味が聖書の儀式とは、全く違うものになってしまいます。

 

この西洋宗教が作り出した、パンや葡萄酒がイエシュアに

変わると言う教えの上に、

聖体冒涜と言う教えが造られました。

 

ユダヤ人が聖体を冒涜していると言う噂です。

ユダヤ人がカトリックの聖体を盗み、十字架につけるために

それを、きりや、釘で突き刺し、焼いていると言う都市伝説、

町の噂です。

とにも、かくにも、反ユダヤ、ユダヤ人への嫌悪をつのらせる

噂が世間を飛び交った行ったのです。

 

この様な、中傷、誹謗、噂は、関東大震災の時に、日本でも

あった噂と同じです。

ある国籍の人達が、水に毒を盛り込んだと言う噂に、

人々が踊らされ、恐怖心をあおられた事。

この様な、只の噂でも真実だと信じられ、伝達されれば

真実同等の取り扱いをされてしまうのです。

嘘でもずっと言い続ければ、大衆には真実だと

受け取られて行くと言う事です。

このねつ造された噂は、挿絵付きで当時のドイツ

1400ー1500年に出回りました。

その都市伝説は現代でも、健在なのです。

 

続く