ローマ皇帝コンスタンチヌスの造り出した、ローマ新宗教国教が
出現した4世紀末にヨアンネス クリュソストモスと
言うアンテオケの教父が居ました。
もちろんユダヤ人ではありません。
新宗教を造り出した教父達の中には、誰一人ヘブライ人は
居なかったのです。
英語を習うのに、その英語塾の教師達の中に、
1人も、英語がネーテイヴな人、英語が第一原語で
育った人は居ない。英語圏の国に一度も行った事もなく、
しかも、教師の資格も無かったら。
詰まり、教師は全部、日本語のなまりあり、辿々しく英語を
話し、文法も間違いだらけの日本語英語を操る教師達。
新宗教を支持する、ニカイア会議で、神の言葉の仕分け、
決め事をした人達は、皆西洋人教父達。
トラー=ヘブライ語聖書、聖書にオリジナルで書かれた元の言葉の意味を知る人など、誰一人存在していなかったのです。
それ自体が、とても危ない状態だったのです。
詰まり、日本の長い伝統芸術の中身を全部破り、
新しい”歌舞伎”芸術を生み出す事と同じ。
新種の別ものに変身させる。
日本の伝統である”歌舞伎”を何も下知識の無い、
外人が乗っ取り、中身を変える、改ざん、変形し、
別もの“芸術”に作り替えた、塗り替えた。
そして、突然出現した新しい創作芸術を造る際に、
歌舞伎の世界で学んだ日本人が1人も居なくて、
伝統から学ぶ事、伝統をちゃんと保持する、大事だと言う
意識ゼロ。全部何も知らない西洋人だけで勝手に色々
造り出し決めて造った新しい芸術と言うのと全く同じです。
ちょっと外側をかじって、中身を知ったつもりで居た、
異邦人教師達。
中身はフラダンスの世界、バレエの世界の西洋人で
造られたもの。歌舞伎とは全く違う本質。
ユダヤ人は、トラー=ブリット=永遠の婚姻契約=神の御口から直接語られた、永遠不変の約束=自分達に与えられた契約を削ぎ落とし、神の言葉を付けたし、削除する様な宗教など信じない。
多分、トラーを知らない教師達は、トラーの中身が
分からないから、一点一画も付けたし、削除するなかれと
言われた、神の言葉に厳重注意を払う事なく、トラーは終わりと
しても良い、違う教えを人間の考えで編み出し、造り出しても良いとする教えを造れるのだと思います。
神の言葉を変えるなんて事、そんな恐ろしい事考えられない。
イエシュアを信じるユダヤ人達は、異邦人達もちろんトラーの
中身を生きていました。
新しい宗教を信じるローマ皇帝教の教えを生きる人達は、
第七日目のシャバットや、祭り、ユダヤ色ある一切断固反対したのです。ユダヤ色=これこそ聖別=世界に際立って目立つ”印”
婚姻契約の中にある花嫁の印なのに。
ヘブライ色ある聖書の教え=今で言えば、律法に戻るのか〜の
如く、トラーの中身をする、生きる人達は、皆殺された、迫害された、重税を課せられた、投獄された。
そうしたらどうなるのでしょうか?
逃げたい人は逃げる、違う教え=宗教に乗り換えた異邦人達。
ちょっと位中身が違っても、イエズスの御名を唱えれば
構わないさと言う事。
神の言葉が変わったとか、呪いとか古いとか律法とか縛り付けと
言う意識は、まさにこの教えから来ているのです。
神が言われたから、命じられたからではないのです。
人間の教えから来ている、そしてその教えを聞き入り
造られた根強い意識。
神の言葉=律法? 神の言葉を指して、”律法”と言うヘブライ語で、聖書に一度も書かれていない言葉なのです。
神の言葉=永遠不変、どこも変わりない事が書かれている。
だとしたら、人間の教え。神の言葉が廃れた、悪いもの、
縛り付け、呪いと言う教え、意識の根拠は、
人間の教えから来ているのです。
当時の人達の大衆信仰は、元々太陽神信仰です。
太陽神信仰の慣し、儀式、祝い日を同じ様に、ヘブライの聖書=
神の言葉=神の仰せの中にすげ替えて、挿入、変えて、太陽神信仰の教え、儀式を混ぜて、取入れて造ったのが、
ローマ皇帝新宗教です。
だから、太陽神信仰の彼らの慣しと、イスラエル=トラー=聖書の中身とは違う事をする事を強要し、聖書=トラー、ヘブライ色に根付く生き様を生きる人達を、死に至るまで迫害したのです。
その4世紀の新宗教出現の時まで、イエシュアを信じる人達、
異邦人達でさえ、1世紀のイエシュアを信じる、イスラエルの人達となんら変わらないトラーの中身を生きてたのです。
使徒達の様に、トラーの中身を神の仰せ通り、ガードしていた。
第七日目のシャバット、一年に渡るイスラエルの神の祭りを
して、神の定めの様々な日常生活の衣食住、トラーの中身に
書かれている、神の造られた人間のデザイン、生き様を生きて
いた。
男の子の子どもが生まれれば、アブラハムの契約の印=
神の側で一方的に人に”義”を与えて下さった”印”の割礼を授け、トラーの中身をその通りに生きていたのです。
誰も今の様な教え=トラーは律法、廃れた、悪いものと言う教えを唱えたり、別の教えを信じて生きて居る人達は、
イエシュアを信じる人達の中には、全く居なかった事実を
知れば分かります。どうしてそれが今の様に変わってしまった
のか?と言う理由が。
ローマ皇帝、政府の法令です。ローマ皇帝の造った
新しい教えに乗り換えて、生きない人達は、迫害される、
処刑される。
何世紀にも渡り、この様な事件の数々が重なり、現在に続いて
いるのです。神の仰せ=トラーがあたかも、悪い事、古いもの、
やめるべき事、終った、変わった、律法、
そして2000年以降に、新しい教えが出現し、”教会”と言う人達が初めて出現し、別の契約が、今度はイスラエルから異邦人の手に、乗り換えられ、渡ったと言う教えが存在している
大元の理由、根なのです。
神が御自身の言葉を否定したり、翻す様な教えをする訳が
ない事を知っていれば、どこで変わったのか?と必ず疑問に
思うはずなのです。
誰かが、神の言葉とは違う、その様な教えを世界へ
垂れ流し続ける。
意図的に、又は、知らないまま、気がつかないまま、神の真実ではない事を、教え続ける、語り続ける、伝え続ける。
これが今に至るまで、ずっと続いているのです。
そして、西洋宗教教父クリュソストモスの連続シリーズ説教8回の中で、ユダヤ人に対する反感を人々の中に起こす教えを、
強く強く強い語調で説いたのです。
その説教の中身がとても悪質なのです。
続く