目覚めて居なさい 神の言葉の真実、神の定めの時に生き続ける | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ニュースや新聞に出ている記事は絶対、100%真実、

間違い無しと言う様な考えだった時には分かりませんでした。

上の権威を疑わず〜の世界です。

 

人間の書く書物や、教えや、教科書や、ニュースは、

100%真実な事が書かれているとは言えない事は

誰でも知っていると思います。

 

今や、ネット時代、情報交換出来る意味で、比べる手がかり、

情報源が広がっていますから、とことん調べて見れば、

分かる事があると思うのです。

 

そして、偽情報、偽画像、実際の自然界に適応しない、

偽科学の数式まで世界には真実だと思い込まれている位

偽情報に騙されると言う事があるのです。

 

ネットの世界にも、メデイアにも世界中至る所、偽情報は

たくさん浮遊しています。

宗教の世界とて、全く同じなのです。

ちゃんと神が忠告している事でも分かります。

偽の教え、偽の福音に注意と。

本当の事=真実な根拠が無い限り、どんな作り物の教えにも

引っ張られて行く事が、可能です。

 

これから、神の定めの時、一年で一番最大なハーグを迎える

シーズンに突入しています。最大の祭り。

イスラエルだけの祭りではない。在りてある方=神の祭りと

聖書に書いてある。イスラエルの神が世界を呼び出している。

神の声に応答する人達を招き入れている。

 

10月4日から13日が一年で一番盛大な神の祭りスコットです。

その前に、ヨム テルアー、ヨム キプールがあります。

 

神は、永遠、代々に渡りガードせよと言われた、

祭り、シャバットを、歴史の途中、2000年以前と2000年以降で

変えたりなどしないのです。

その証拠に、三大都上りの祭りの一つである”シャヴオート”を

<ギリシャ語ではペンテコステと訳していますが>

使徒2章で、しかもイエシュアの遺言通り、”エルサレム=都に

留まって、その約束を待ちなさい。”と言われました。

 

そう言う聖書に書いてある事実だけに目を向ける。

使徒2章以降も、使徒、パウロ達は、神の定めの時を

全く変わらずにガードしていた事実だけが書かれているのです。

神の祭りは、”シャヴオート”以外2000年以降廃れて、

終って、新しい別の祭りが出来たなどと、聖書のどこにも書かれていないのです。別の教えそのもの。

聖書=神の事実だけを根拠にすれば、真実が見えて来る。

 

人間が神の言葉を変えても、神は神の言葉を変えない。

だから100%信頼に値する神、安心出来るのです

 

神は、神の定めの時の中で、福音の全てを、子供達に

教えているからです。

日本でも、祭りをした事のある人なら分かるでしょう。

特に祭りの準備に参加した事のある人達なら分かる。

一つ意識で、一つ目標に向かい準備する。

一つの意識で一体感を持って互いに親しく、親密に

結ばれて行く。

人の造ったものではなく、神の言われた通りに意識を向ける

なら、これは神の力そのもの。神の言葉は神の力の源だからです。パワフル。神がその中にちゃんと現れ出る。

目覚めているとは、神の言葉に目覚めている、注意を払って

逃さないで生きて居る状態を言っています。

 

神は神の時に、必ず重要な事を成して来ている事に

気がつく事が出来る人には、見えて来ます。

日常の日ではない、”神の定めの時”と言う事に目を向ける。

神の時に人々と特別な関わり、又特別な大きな

事をされている事、聖書だけを読めば、ちゃんと掴めます。

 

目覚めていると言う事は、この神の暦を知って生きる人達には

何の事を話しているのかちゃんと理解出来るのです。

 

神の言葉、神の言葉の中に生き続けている事に、注意を払って

いると言う事だからです。

 

人の教えには十分注意を払って、イエスさまイエスさまと言って

自分の考えで、様々な事をたくさんしても、結局、神の言われる事無視、注意を払い生きないのなら、それは自分勝手な的外れだと書いてあります。

 

それをして来た自分を振返ると、本当に神の言葉が終ったと

捨て去る愚かさが、本当に拒絶、見えない反抗、損失、損害、破損、欠損、負傷でしたと分かるのです。

花嫁は花婿にしっかり安全に繋がれている。

その繋がりは、神の言葉=絆なのに、それを捨てたら、

糸の切れたタコと同様、どこにでも浮遊出来るのです。

 

自分自身、歴史の中で、神の言葉の改ざんが在った事実を

全く知りませんでした。

そして、世界の神学校に於いても、敢えてその部分は

余り教えられていません。書物にはちゃんと書かれていますが。

教えたら、自分達が教えて居来た西洋神学を否定しなくてはならないからです。プラス、それらの出来事は、宗教界の汚点だからです。

 

でも真実だけに目を向けて、どうして、歴史の途中で、

ヘブライの聖書を否定する、こんな別の教えが出て来たのだろう?歴史の中で一体何があったのだろう?

と言う事実だけを、探る、調べる、知って行けば、ちゃんと真実と真実とは違う情報の区別、見分けが出来るのです。

 

心、頭脳を閉ざさないで、自分が知っている、信じている事を

100%真実だ、絶対だとしないで、ちゃんと聖書だけに戻り、歴史の中で神の言葉が改ざんされた事を知れば、神がなるほど真実なお方、永遠不変なお方、神の言葉も同様永遠不変である事を必ず発見出来るからです。

 

続く