イスラエルの神を信じるって、なんかややこしい事の様に
思わされているけれど、本当は単純、シンプル。
全ては、生きる事だけ。宗教活動する事でもない。
人間の造り出したスローガンや、ムーブメントに賛同、参加する事でもない。何か余計な事に参加したり、
やったりする事ではない。
仕事を神の子の姿で、しっかりやる。家庭を絶対に第一にし、
他の事にかまけて、おろそかにせず、大事にしっかり守る。
地域の中で、役割を担い、困った人が居れば助けて、
しっかり生きる。
普通に自分の日常をしっかり生きる。
神のデザイン通りに生きるだけ。ただそれだけ。
子どもが親の言う通りをするのと全く同じレベルです。
神の言葉、言われた通りを生きるだけ。
それが単純過ぎて、大事な事だと思わない事が問題の根。
神の言われた通り、言われた事だけを生きる。
本当の自分で。
それが、根本的に”イヤ”だと思っていると言う事。
神の言葉=仰せに、反発感じるとは、反抗心。
トラーと聞くだけで、古い教えの律法だと条件反射し、
反発感じた以前の自分が居ました。
律法=不適切な誤訳。神の言葉は律法なんて言葉で
一度たりとも聖書の中には、書かれていないのです。
神の仰せを心から、待ち望む、喜ぶと聖書に書いてある状態
とは、全くズレている事に気が付いたら見えて来ます。
神の言葉、仰せに反発感じる、排除する、捨てる。
それって、まるで非聖書的。あの地を這う動物の思索と
ぴったりだ。ズレの元がどこにあるのか、きちんと考える。
何故、トラーと聞くと反発感じるのか?悪いもの、終ったもの、
要らないものと考えるのか?その思索、意識はどこで造られたのか?誰に教えられてそうなったのか?誰の教えで形成されてしまったのか?
今、イエスさまが今目の前に来ても、イエスさまイエスさまと
言いながら、賛美しながら、イエスさまのするなかれと言う事を
平気で目の前でするでしょうね。何が的外れなのか知らなければ
やるでしょう。
気がつかないまま毎日している。分からないからしている。
それが良い事だと思わされているから、し続けている。
疑問にも、何にも思わない。それが新しい教えだからと
勘違いしているから。
何が、神の目から見たら=トラーから外れた事なのか
トラーを知らないから分からない。
まさか殺人、盗み、不正はしないでしょう。普通の人でも。
でも、神の言われた言葉を無視する事は、平気でし続けていても気がつかないのです。何故ならトラーの中身を捨てているから。
神の仰に終わりはない、賞味期限など無いのです。
するなかれ〜、又は代々に渡りガードしなさい〜
それはもう終った教えだから関係ありません〜と
宣言出来てしまう。余りにも簡単な事だから。
神の言われた言葉の一つ一つが、大事な事とは、思ってない。
終った教えだから、終わりと勘違いしてしまっているから。
人間=異邦人教父達の造り出した教えの方が本物、真実、
大事だと思っているから。
しかも、その全ては単純過ぎて、重大な事の様に思わないから。
それがこの世界の混乱の元であった”エデンの園”の出来事。
簡単すぎる。命の木からだけ食べよ。
簡単過ぎて、嘘みたい〜!神の言われた事なのに、どうでも
良い事に思う。絶対!重要!と言う意識が無い。
聖書に書かれている、”罪”の定義とは一体何なのでしょう?
的を外すと言う、その”的”とは何か?
神の指摘している事は何か?
聖書に書いてある”的”とは、トラーです。
”罪”とは、的=トラー無し、トラーに対して
反逆、違法、敵対する事であると、ヘブライ語では、
はっきりと書いてあります。
翻訳にすると、律法とか別の言葉にされているから、
紛らわしく、ぼやーんとして、見分けがつかない。
罪の本質は、神の言葉=トラーに敵対する態度、行動、
思索と書いてある。
的外れな事に、うまい具合に誘導されて、賛同生きる様にされている事に気がついたらはっとします。
トラーを捨てろ、終らせたと神が言うわけがないこと、
神が罪を犯せと言う別けない事が分かれば、神の言葉にかかった雲が曇が取れて、焦点、周波数がピッタリ神の言葉=的に合って行きます。
罪とは、大小ズレのレベル、重さは違えど、神の言葉を無視する
神のトラーを無視する、それが”罪”=トラー外れ、的外れと
書かれているのです。神の定義する“罪”とは的外れ。
神のデザインした人間の姿=トラーから、外れて生きる事が
罪なのです。的外れと言いますね、翻訳でも。
罪=的=トラーを外して生きる事と書いてあるのです。
イエシュアが言われた”無法”とは、”トラー無し”の事。
トラー無し=トラーレス=トラー無視したままで生きる事を、
厳重注意されたのです。
つまり、神のデザインされた、人間の姿=トラーの中に
書かれている神の言葉を無視して生きる事=トラー無し、
トラー レスと書かれています。
しかも、その中身は、そんなに複雑ではない。
ハイジャックされた神の言葉。
そのハイジャックは、創世記の一番始めに書かれています。
神の言葉を、すり替えて、変形し、騙した事が書かれています。
その騙しは、あなたは本当は、未だ足りない存在だよ。
神の似姿である事実から、まず目をそらせて、疑わす。
神の似姿、そっくりに造られている、その事実をはぐらかした。
これこれ足りないから、だから神の言われた事を
知識の木から食べては駄目だと言う事は、嘘だから、その言葉を
無視していいよ。実は、神はあなたから何か大事な物を
隠しているんだよ。知識の木から食べる=神の言われた事以外を
したら、それを発見出来るよ。
この囲いの向こうに、あなたの知らない素晴らしい世界が
隠されてあるから、それを知るために、
神の言葉をこの際無視しなさい。大した事ないでしょう
そんな事。命の木も、知識の木も似た様なもの、余り変わらないさ。神は大げさだよ〜。どうでもいいのさそんな事実は。
神の古めかしい教えなんか聞いてないで、わたしが教える
新しい教えに耳傾けて見なさいよ。
変形させても大丈夫。それ位どうって事ないでしょう?
たかが、木の実じゃないか。。。。何を躊躇しているのさ。
そして、その囲いの向こう=神の言葉の安全な囲いの外にこそ
何かがあるとアダムとエバに思わせた。
神の言葉を、無視する。トラーレス。無法者=トラーレスの者と
イエシュアが言われた言葉は厳重忠告なのです。
続く