ハイジャックされた神の言葉 違うものに変身  | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

トラーはエデンの園の中、はじめから与えられていた。

だから、エデンの園を出てすぐ、コバーンを捧げている事が

前置き、説明、解説無しに書かれているのです。

 

シャバットは、神の定めの時は、創造の始めから与えられて

いた。

月、星、太陽は、”神の定めの時”を司るために造られたと

はっきりと書かれている。こんな基本的な神の言葉の真実も捨てられて、人間の造り出したものにすり替えられてしまった。

 

古い部分は終わりとするなら、どんな教えでも可能になる。

神の言葉を無視する事は、福音の中心を欠損、失いながら

生きると言う事なのです。

 

神の言葉のハイジャックは、歴史上ずっと続いています。

日本語のサイトの中でも、西洋宗教の出現、由来、

西洋宗教がどの様に発生したのか?何が起こって、

ヘブライの聖書、ナザレのイェシュアなのに、西洋のイエシュアに変身した意識が入って来たのか?その様な新しい宗教が出現した経緯を、先入観無くきちんと学ぶ、調べて見れば、誰が神の言葉を改ざんしたのか、その事実を突き止める事が出来ます。

 

世の中嘘の情報たくさんありますし、うまい具合に、真実らしく解説されたものはたくさんありますが、真実は全部”神の言葉”

の中にはっきりと保存されています。

神の言葉に基づき、永遠不変の神の言葉を退けないで、

探求する人は、必ず真実に辿り着くのです。

 

求めなさい、そうすれば神の真実を発見出来る。

真実に辿り着ける。

 

神は、神の言葉、一点一画どこも変えていないと宣言しています。その神御自身の言葉だけで、十分なのです。

神の言葉を基準にして揺るがさず、考えれば、はっきりクリアーに真実が見えて来て、真実の点と点が繋がり、聖書が理解出来る様になって来ます。

 

様々な事が重なり、4世紀に初めて、新しい宗教と言う形とり、神の純粋な言葉は、ヘブライ思索ゼロの、ヘブライ語トラーの

中身の意味を本当に知らない、トラーを学ばない、トラーレスの異邦人教父達により、ハイジャックされてしまって、

神の言葉を変形した教えが公認宗教として、出現した。

 

その公認宗教を造った人達、信奉する人達は、皆トラーの中身を知らない異邦人達だけでした。4世紀の新宗教設立当時の、

教父メンバーの中にヘブライ人など1人も居ない。

 

いやヘブライ人がその中に居たら、神から厳重に厳しい戒め、

訓練を受ける事になるのです。

ヘブライ人は、”トラー”=契約の命を厳重保存して生きる役割なのに、トラーを曲げたら、困難に遭遇する様になるからです。

神の言葉=トラーを曲げるなかれ。一点一画も、付け足すなかれ、差し引くなかれと聖書に書かれている。

 

ヘブライ聖書の中に、何が本当に書かれているのかを、

きちんと学んだ事もない、4世紀の異邦人教父達、異教の神々の世界に生きる異邦人達。

ギリシャローマ哲学思考から神の言葉を眺める事しか

知らない教父達。ヘブライ思索がなんたるかも分からない。

神の言葉を変えてもよいのだと思う意識、

実際に簡単に、神の言葉を変えて、アレンジ、神の言葉とは

異なる別ものを造り出してしまう意識は、聖書=神の言葉=トラー=契約を託されたヘブライ人の意識とはまるで違う。

 

それらの教父達が造り出した、トラーは終わりとする神学や、

トラーは古い教え、新しい教え、新しい契約が2000年以降出現して、古い教えを、神が破棄したのだと言う教えに基づき、

パウロの書簡の間違った解釈、間違った解説を聞いて、

それが本当だと思い込んでいたら的を外してしまう。

 

神は、ヘブライ人にまず、神のトラーを託された。

それを、世界中の家族の皆に、生きて、教えるために。

それが、ヘブライ思想、トラーの世界を何も知らない人達で、

勝手に決められて造られた神学が、

ぞくぞくと造り出されてしまった。今もなおずっと。

 

ハイジャックとは、こんな感じでしょう。

例えば、伝統ある日本の世界の歌舞伎。

その世界に代々生きる人達、その世界を深く知っている人達と、

新参者の外国人では、中身を理解している根本が違う。

雲泥の差はあって当然です。普通の人には理解出来ない

世界を彼らは伝統的に知っている。

それを、ハワイアンのフラーダンスの人達が、乗っ取って、

所々、歌舞伎の要素は取入れても、後は捨てた。

伝統ある、歌舞伎の世界の流儀や、仕来りや、用語や、

特別な日を知らない。いや、自分達流に勝手に変えた。

 

日本伝統の、足袋や、着物は捨てて、ビーチサンダルに、

アロハシャツ。体に付けている飾り物も全部ハワイアン。

今度は、日本とは違う文化、ハワイアン色の衣装を着て踊る。

 

そして、同じ動きをしても、違う衣装を着てくねくね踊るのと、

歌舞伎の日本の着物を来て舞う、動きとは違う。

言葉の中身も言い回しも全部違う。

 

似た様で本質が全く違うものを、また新しいコンセプトや、

動きや意味を取入れて、別ものを作り上げてしまい、

それが、最新版だ〜これが正当派のスタイルだよとした。

これが新しくて良いものだと思わせた。

 

こんな事にも例えられるかもしれません。

外国人で、日本びいき、日本の物が好きな人達が居ます。

その外国人の人が、家の中を日本風に装飾しても、

どこか、なんか日本的な様で違うのです。

ちょっと日本的な要素取入れても、本質が根が”日本”ではないと

はっきり分かる。

 

日本人が見たら、外国人がアレンジしたスタイルだなと

直ぐ気がつく様に。何かが違う。外国人的日本の部屋の中身。

そんな事と同じです。

 

ヘブライ人が見たら、神から託された、永遠不変、文字数も

言葉も全く関わらない、同じ神の言葉、契約=自分達のもの、

トラーとは違うとはっきり分かるけれど、異邦人には、

そのアレンジされた教えのどこが違うのか、本質の部分の

違いが見分けられない、分からない。

 

でも、聖書だけに戻って、その意味を知って行く事をするなら、

どこがちぐはぐなのか、ちゃんと気がついて行く事が

出来るのです。

 

聖書の中身は、どこをとっても全部トラーです。

全部一致しており、どこも変化などない。

それを最後の部分は違うものと言う場合は、勘違いしている

イルージョンの世界。

ちゃんとトラーの中身が分る場合、最後の三分の1の箇所が

丸ごとトラーの中身である事は、誰でも認識出来ます。

それほど、世界は、神の言葉からかけ離れた違う世界を

語り続けているのだと言う事は、パウロが厳重忠告した言葉を

考えたらクリアーに見えて来ます。

 

日本人ならこんな家具を見たら、他のアジアの国のものと

思いますが、外国人には同じに見えるでしょう。

 

床が畳とは違います。アジアン的だけど、純和風ではない、

日本の物とは違う家具や部屋や飾り付け方。

 

 

これは日本の旅館風の和室。

普通の家や、旅館にある感じの部屋と日本人なら

分かります。