神々に仕える目的のために、世間一般の人とは違う、
その中から引き出されて、神殿の中で神々に仕えるために
取り分けられた人々を、古代ヘブライの世界と、その近隣諸国では、祭司達と呼ばれました。
この異教の神々に仕える祭司達を指して使っていた言葉を、
イスラエルの神に仕える祭司達に対しても、トラーの中で
同じ様に使っているのです。
異教の神々はもちろん神ではない、神は存在しないものです。
いやその背景には、サタンが居ます。
実際には異教の神々は神ではない事は、イスラエルの神を知る人は知っています。
古代の人達は、全てなにがしかの神を信じていた世界です。
現代の様な無神論なる哲学など存在しない世界なのです。
いつも死と隣り合わせている。生きる事、命を繋ぐ事で必死な
世界で生きて居る人達なのです。
怪我一つしても、風邪ひいても直ぐに命取り、
死ぬかも知れない世界に生きている。
薬や、手術、病院なんて無い。
雨が降らなければ、作物が取れず、死ぬかもしれない。
いつも、生きると言う事が”一大事”な世界だったのです。
人の命、生きると言う事を、神々に頼らずにはいられない
もっと”神”を信じると言う事が、ぐんと近い事に思える
生活だったのです。神が居なければ、命を繋げる事が出来ないほど、人間はもろい存在であると言う自覚がしっかりあった世界の人達なのです。
いつ敵が襲って来るのか分からない。来年国が存続しているのかも分からない。異教徒の様に、”何を飲もうか、何を着ようか、
何を食べようか” どうやって命を繋ぐか、その糧をどうやって
得ようかとする人々の様に誰もが求めている事とイエシュアが言われた意味が分かります。
あなたが心配したからといって、一日でも命を延ばせるのか?
それが古代の世界の人に取って、一大関心、心が向く事、一番大事な事。切実な問題なんです。
でも、それではない、違う世界をイェシュアが語った。
イスラエルの神が違うお方である事を語ったのです。
関係の世界、神の国と義、これは深〜い事を語っている。
天の現実の実態を生きる事=神にデザインされた人の姿を
第一に求めて生きれば、周波数ピッタリ、神と二人三脚、
関係の世界がちゃんと神の内側に留まる人には、全ての事が
ちゃんと備えられるとイエシュアが言われたのです。
生きるか死ぬか。
家の隣にコンビニが24時間開いている世界、病院も夜開いている、お店だって朝まで開いている。そんな中に生きて居る現代人にはピンと来ない世界なのです。
この様に、異教の神々を信じる一番の目的は、
”糧”を得る事です。
これが偶像礼拝の根に繋がっている事が分かります。
聖書に書かれている”偶像礼拝”の本当の意味は何?
私は神を信じているのだから、偶像礼拝なんてしないさ〜なんて思っていたら、気がつけない事があります。
偶像礼拝とは、偶像を置いて、直接偶像に向かって拝む事をしないと言う事だけではないのです。
自分の中の気がつかない、ずれた根はちゃんとある。
偶像礼拝の根は、パン種の様に、知らない間に、ちゃっかり自分の中に侵入して来る。知らないで、自分の中に自ら取入れている。成り立ち、生い立ち、育ち、環境が異教の神々の世界で生きて来たのですから。
糧を得るためには、何が必要でしょう?
全ては、肥沃、産物。
詰まり豊作、子だくさん。
雨がたくさん降って、大地に実りを多く得るために。
実り=お金=財産と繋がって行きます。
自分の胎が祝されて、子どもをたくさん授かる様に。
家畜も増えれば、財産が増える。
英語ではファータリテイと言いますが、肥えるため。
それが、神々に仕える一番の下心です。
しかも、肥えると言う事が中心なのです。
出来るだけたくさん、肥えたい〜。
これが偶像礼拝のもとを支えるもの。
神に対しても、この下心が潜んでいる。
私を恵んで頂戴な〜出来るだけ多く。
異教の神々に仕えるには、おぞましい事があったのです。
神殿娼婦なる言葉が出て来ます。
その神殿娼婦は、神殿祭司と”異教の神々”の前で、交わる。
これってポルノの世界なのです。げげ〜この根は
それらの世界に関わる事、すなわちサタンと関わる事だと
分かるでしょう。神の創造した美しい世界を歪める、曲げる、
歪曲する世界。
そして、その行為を神々に前でパフォーマンスする。
そのパフォーマンスが、異教の神々に喜ばれたら、
自分の胎が祝される。
雨がたくさん降る。結果が出る。ボーナスが、パフォーマンスの
喜ばれ度に従って出る?
自分の家に豊作が来るなど、とにかくおぞましい行為の
結果、神々が祝福してくれると言う図式です。
そして、もっと掘り下げて行くと、日常生活で、自分の思考回路、アバ父との関わりが、この偶像礼拝的な物にすり替わって
いる事に気がつけるのです。
続く