パウロが諸外国の宣教先で教えて居た聖書の中身、内容とは? | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

パウロが教えて居た教えは、トラーとは全くの別もの?

2000年以降新しくなった教え?新しい別ものの契約?

新しく出現して改良された教え?古い教えを破棄して、

変更したとされる、世間の都市伝説の

言い伝えの様に、別の契約ではないのです。

この点、出発点がズレたら、全てはズレてしまうのです。

 

パウロは、トラーに書かれているその中身そのものを

何も変形させないで教えて居た。

 

神の言葉の事実だけに、戻る。神の言葉の事実を認める。

真実、事実を曲げない事は大前提なのです。

神の言葉を誰も変えてはなるべからずとある通り。

 

トラー、預言書、諸書だけをくまなく教えていたのです。

パウロの携えていた”教科書”=聖書は、トラーなのです。

 

パウロの様なトラー教師は、トラー五書丸ごと

丸暗記している人達です。

トラーに繋がる、預言書、諸書もちゃんと頭の中に

入っていた。古代は口頭の世界に生きていたのです。

 

パウロが宣教に、出掛けて行った背後に居たサポーター達は、

全てイスラエルのユダヤ人=丸ごと、イエシュアを信じる

トラーオブザーバント達です。

トラーを信じて、その中身をそのまま生きてた1世紀の信者達。

殆どが、エルサレム拠点の人達であった事。

トラーの世界、ヘブライの世界と直結している人達。

 

パウロと言えば、新しい宗教の教祖様であると、

ヨーロッパ寺院のローマ西洋宗教の中身を想像してしまうから、現代の人達には想像つかないのだと思います。

 

パウロは、ヘブライ人なのです。

イエシュアは、ナザレのイエシュア。ヘブライ人なのです。

その事実が、一体どんな意味があるのか?を知ると

誤解が解けます。

 

置換神学なる人間の教えで、イスラエルから、

異邦人へ契約が移った、旧約から、新しい教えになったのだと言う教えから物事を考えるから、神の言葉を曲げてしまうのです。

人の教えから、神の言葉を考えてはならないのです。

 

聖書は始めから終わりまで、イスラエル、

ヘブライの世界なのです。ローマ、西洋宗教ではないのです。

 

古代のあのエルサレム、トラーの世界が分かれば、

簡単に理解出来る。パウロは丸ごと、100%トラーオブザーバト

の使徒だからです。

 

パウロが書いた"近隣諸外国の群れ"に向けての書簡。

彼らがパウロに、様々な質問をして、それらの質問に対する

トラーからのパウロの回答が”パウロの書簡”です。

書簡自体が、パリサイ派の教えのスタイル。

 

群れに向けては、ローマ、ガラテヤ、コリント、エペソ、

ピリピ、コロサイ、テサロニケの人々への手紙。

 

この中身が、新しい宗教、新しい教え、新しい契約、

トラーを否定して革新的な教えをパウロは打ち出したのである

のですとか、パウロが別の新しいトラーを否定した教えを

諸外国の人達に伝えたのだと、最初から別の前提、歪んだ色眼鏡でずれた前提でパウロの書簡を読まなければ、

パウロが書いた中身、意図が読み取れる様になります。

 

パウロはトラーの中身のみからの適用例を、書簡の中に

書いているのです。

 

プラス、パウロが諸外国のイエシュアの新しい信者達に

何を話しているのか?何を教えたのか?と言う事を、

ちゃんと理解すれば見えて来るのです。

 

パウロが100%トラーを否定してない、いや100%トラーだけを

話していると言う事実をぶらさなければ、

パウロが回答している中身の論点が、

はっきり見えて来るのです。

 

パウロが宣教に行った先きで、触れ合った人達は

皆パウロから”トラー”を学んでいたのです。

パウロはトラーを教えていたのです。

 

パウロが、トラーは律法だ、今までのユダヤ的ルーツの

教えを殆ど排除しましょうなんて事を、決して教えるわけ

ないのです。

 

使徒、預言者の意味が何であるのか?

神の託宣=神のトラーを、神の言われた通りに人々に

伝える人の事を、使徒、預言者と呼ぶのです。

 

使徒、預言者は、自分から立候補してなるのではないのです。

神から任命されて、その任務を全うする事が器の人=

詰まり永遠の中から、その役割、目的のために取り分けられた人だからです。

 

トラー=神の言葉とは別の教えを伝えれば、聖書の警告する、

只の偽預言者になってしまいます。

偽預言者を神は、始めからそんな役割には任命しないのです。

 

聖書とは別の内容を教えれば、即座に”偽預言者”のレッテルを張られて、イスラエルの神から追放されてしまいます。

 

パウロの宣言からも分かります。パリサイの中のパリサイ。

ヘブライの中のヘブライと宣言したパウロ。使徒21、22章。

大体律法と言う言葉さえ、神の言葉を指して聖書では使われていない言葉なのですから。

 

パウロが教えていたのは、神学が唱える所の

終ったとされる”トラー”そのものだけです。

新約聖書なる物を携えて、伝道に行ったのでしょうか?

いいえ、福音書から黙示録まではまだ、その当時形にもなって

いない時代だったのです。

 

そして、トラーを終ったとする教えをするなら、

知らなければならない事があります。

福音書から、黙示録はトラーの中身100%、

トラーのダイジェスト版である事を

 

 

続く