シャバット 生きて伝える”命の光” | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

シャバットは”代々、永久にガードすべき神の定めの日”

と書いてあります。

 

人の為に、シャバットは造られたのです。

人の為に、シャバットはあるのです。

 

神が止まられた様に、人もこの日第七日目に止まる様に

始めからデザインされ、造られているからです。

永遠に思いを馳せる。

止まって、大事な事を、大事にする。

大事な事が何であるのか、思い出す。

大事な人を大事にする。自分を大事にする。

神が言われた言葉を大事にする。

神の言葉を立ち止まり読む、考える。深く知る。

神が言われた通りにする。神が言われた通りを生きる。

とてもシンプル。全然難しくない。

簡単過ぎて嘘の様だから、信じないのだと思う。

 

そして、本来の姿、神の似姿の人で生きる事に

軌道修正、再び取戻す。

失われていた時間を、失われていた関係を、

失われていた大事なまことの命を生きる事を取戻す。

それを、どの様に、日々の中で生きたら良いのか、

神の言葉に戻り、考え直す。

神の中、言葉の中だけで考える事、神の言われた通りか、

それとも人の教えに耳を傾けて、ズレているのか

聖書に照らし合わせて、思いめぐらす事、それが祈りの中心。

 

そして、この日は、皆を祝福する日。

楽しい、嬉しい、喜びの日。

特別な日は、特別な意味がある。

普段とは違う、特別な日を神が設けて下さったから。

神御自身を祝福する。

この日は、主が造られた日だから、主が言われた通り、

主の御前に皆で出る。

イスラエルの子らにされた”印”、イスラエルと同じ契約の

中に加えられた民、子らの印。

生きて現す印。

 

私達の生き様そのものが、回りの人達へのメッセージ。

世界へ、地の塩、神の言葉、命、契約を保存する姿=塩。

そして、世の光。

イスラエルの神の子らの印。

内側を照らす光=始めに出現した光。

イエシュアの命の光。

ここに戻れば大丈夫と、生きて知らせる光を内側に

持つ人達が生きて現す命の印。それがシャバット。

 

初めて聖書を読んだつもりで、神の言葉が何と人に

語りかけているのか?そのまま読んで見る。

書いてある通りにだけ読んで見ると、何が書いてあるのか

分かります。

そこには、永遠の真実が書かれています。

永遠不変、代々ガードすべき神の言葉が書いてある。

神の語る”神の造られた世界”に関して書かれている。

 

人の手により、人の造り出した別の教えにより、断ち切られて、捨てられた神の言葉、命そのもの、神の贈り物を

宝を取戻す様に、今再び取戻して生きる。

シャバットは、永遠の定め、神の契約の愛が永遠に続く

生きて現す印。神が人に第七日目=特別な日に、

特別な出会いと、そして、福音の中心をその中で、

生きる中で教え続けて下さるものだから。

命のサイクル。その中心は、シャバット。

神の完了の業のみから生きる事を、知るため。

 

出エジプト20: 8

安息日を覚えて、これを聖とせよ。
 
20:11
 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
 
31:13
「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。
 
レビ16:31
これはあなたがたの全き休みの安息日であって、あなたがたは身を悩まさなければならない。これは永久に守るべき定めである。
 
19:30
 あなたがたはわたしの安息日を守り、わたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。
 
申命記5:14
七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたも、あなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、牛、ろば、もろもろの家畜も、あなたの門のうちにおる他国の人も同じである。こうしてあなたのしもべ、はしためを、あなたと同じように休ませなければならない。
 
Shabbat Shalom
 
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