シャバット 今日も神が招いて下さっている | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

家を建てる時に、柱や土台はまず始めに据え置かれます。

絶対に無くてはならないもので、建物の基本です。

土台、柱は建物を支える不可欠のものであるからです。

 

柱をもぎ取ったらその建物は崩れます。

土台を崩しても、建物は崩壊します。

柱と建物は全部繋がって1つの建物だからです。

 

神の言葉も同じです。

臓器移植の様に、神の言葉の中に、神の言葉以外の

不必要なものが付け加えられた痕跡は、聖書の中にゼロ。

神の言葉、永遠不変の神の言葉以外、何ものも

一切混じっていないのです。

神の言葉は、人間が教える事とは違い、途中で変わったり

しないのです。

 

”10の言葉”は、聖書の中身の”題目”タイトル、柱です。

そこに書かれている事を、初めて聖書を読むつもりで、

今まで何も人間の教えを聞いて来なかったものとして

神の言葉を書かれている通りに、読んで見るのです。

 

出エジプトに書かれている”10の言葉”は聖書の土台、

柱、礎です。

このどれも、人間が否定したり、取り除いたり出来ない

永遠不変の神の言葉である事をまず認めて、聖書を

読んで行くと、イスラエルの神に、人は何を語られて、

教えられているのか、見えて来ます。

 

イスラエルへ、異邦人へと、二つ別の教えや、

別種の契約は無いのです。

 

さて、今日は金曜日。シャバット。とまる日。

日本では、プレミアム フライデーと言うものが

出来たそうですね。

いっその事、毎週金曜日の午後から全部休みと言う事に

切り替える日が、日本に来たらなんて想像しますが。

それはミレニアムの時代が到来したあかつきには、

必ず起こる事です。そう書かれています。

 

イスラエルの神の声に応答する人は、皆同じ大家族の

一員に加えられた人、家族の一員にされた人です。

養子も実子も、同じ権利、同じ家族。

なんの差別、区別もないのです。

区別する親?偽物の親です。

 

その大家族=アバ父の元に引き寄せられた人達は、

同じ大家族のアバ父の言葉の元に保護され、

同じ仰せを生きるのです。

 

エイリアンとか宇宙人とか、進化論など信じている世界の人には

別ものと信じているのかもしれないけど、

よく考えてみたらわかります。

古代も現代も全く、”同じ人間”なのです。

イスラエルも異邦人も全く同じ人間なのです。

同じ。

そして、一つエッセンス、アダマ=土から造られた。

いや、神の中に永遠の時に、一体と造られた人間。

時代も何も関係なく、同じ人間なのです。

 

アバ父が呼び出している日は、いつと聖書に書いてありますか?

神の言葉だけに立つ。神の言葉だけを見る。

第七日目と書いてある通り。永遠不変。神の定めた日。

 

出エジプト20:10

七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。

 

聖書だけに戻れば、はっきり書いてあるのです。

どの日も同じではないのです。

どの日も安息日=シャバットだと言うなら、1週間全部

働かずに、止まっていないとならない事になってしまいます。

 

この日=ハ ヨム=THE DAYと書かれているのです。

特別な日。この日。

この日、神の定めの日を楽しみ喜ぼうと書かれている。

 

特別な日を、アバ父が設けている事実だけに、目を留めると、

そこには福音の中心が詰まっている事が分かるのです。

 

自分が何年経っても変わらないと思うのは、原因があります。

英語ではカスタム メード。

日本語で言うならオーダーメードの、

神のレッスンプランがあるのです。

1人1人の人生の中に起こる出来事の全てを通して、

神の定めの時を通して、神がはっきり”自分の包皮=根強い

ストロングホールド=”縛り”が何であり、何を排除、刈り込み

されるのか、神の時の中にピッタリ生きれば分かる、見えて来るのです。

 

不思議です。

今日、空襲警報の様に、いやそんなのではなく、夕方5時に

東京の町に居ると、”さあお家に帰る時間になりました〜”

と放送が入りますが、そんな玉音放送は、天から

直接聞こえて来ません。

 

”今日はシャバットで〜す。今日わたしがみなさんを

呼び出している特別の日で〜す。”と言う声は聞こえませんから、

ピンと来ない。でも、神の言葉を覗き込めば、そこには

はっきりと、いついつと何の目的でと言う事が書かれています。

 

そして、その声に応答して神の言われる通りを生きる人達は

発見出来ます。

新しくされた人を生きる事、そして神のレッスンプラン、

何を今、今日、この週、この月、このシーズンに教えられているのか。新しくされた人で生きる事を、覆い隠す、妨害する。

その包皮はどこからきているの?何なのか?

 

自分を縛り付けている、以前の死んだ自分の残骸が何か

はっきりと!はっきりと教えて下さるのです。

自分で気がついて、対処、対応、神の前に嘆き悲しみ、

癒される、修復される。

1年に渡り、その年の中で、自分を縛り付けている、大きな”残骸”を教えられる。刈り込みして下さる。自分もその刈り込みに参加する。

そうして、次の年へ、次の年へと繋がる。

その基本は、シャバットなのです。

 

出エジプトして来た人達。

私達ひとりひとり、自分の出エジプトがあったのです。

奴隷であった。在りて在るお方に購われている事実を知った。

 

神の完了の業を知り、認め、練習し、その中で生きる繰り返し。

二心のままで、新しい人の頭脳を固く確立しない世代は

荒野で滅びたと書いてある通り。

 

神の言葉、教えは人には愚かでも、実際に神がその中で

はっきり働いている事を発見出来ます。

神の言葉に応答した人達、神の言われた通りをした人達は、

水がワインに変わった事を知る。

 

SHABBAT SHALOM