創世記2:1ー3 シャバットは在りて在るお方に属する日 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

イスラエルの捕囚時代、散らされていた時代、イスラエルが、
異教の地、異国の地でも、同じ様に神の仰せ=ブリット=covenant=トラーの命に生きる事が、神の変わらぬ仰せでした。
イスラエルは、救い主=イエシュアを信じないから、
迫害にあったのでは、無いのです。
タナックの時代も、2000年以降も、同じく、
”契約の命”を保存して、生きる事が、イスラエルの世界への
役割。長子としての役割。
契約の命=イエシュアの生き様、人間の生きる姿を
保存する、生きる事を忘れたら、世界が間違った方向に
行ってしまうからです。
今のイスラエルも、悲しい事に、混ぜものの教え、
神の言葉、契約を忘れて生きる人達が大勢います。
でも、その反面、イスラエルも、異邦人も、神の言葉に
応答する人達が続出しています。
 
ユダヤ教とか、何何教とか宗教ではなく、
人の教えが付け足されたり、混ざったりするものでもなく、
100%純粋な”神の言葉”だけに戻る。
人種により、ユダヤ、キリスト宗教、宗派により別の教え、
契約、約束など神の中には存在しないからです。
 
ユダヤ教の教えとキリスト教の教えに違いがあれば、
ダイレクトに純粋に、”神の言葉”の中に戻れば良いのです。
神が何と言って居るのかだけを、人が神の言葉の真実の中だけで、探り始めれば、人は気がつく事が出来る。
人種に関係無く。宗教ではなく、私達が知り生きるのは、”純粋な神の言葉”の中だけだと見えて来るのです。
 
それは、神の家の子らの姿を、保存する、安全に
生きる事が守られるためです。そして、神の言葉は今もどこも変わらず、全く不変、同じです。
 
聖書のある箇所は、今”神殿”が無いので、
直接は適用されません。
なぜなら、その仰の中には、神殿に入るための人の”状態”の
必須条件が書かれているからです。
でも、その教えは、神殿が無くても、はっきり何を教えているのか、意図が分かると理解出来て来ます。
 
”神の子らの姿”とは、ズレた姿=神の目から見る人の姿、
泥だらけの靴で、家には座敷には上がれない。
神の目から見た、人の状態、神の子らの姿に修正しないと、
神の家の中には入れないからです。
これは、本当に深い教えです。
”人が誰であり、どう神と関わるのか”の根本が
書かれているからです。
 
イスラエルの神の永遠の仰せ、招き。
この日を迎える準備で、金曜日の午前中は、買物客でスーパーはにぎわいます。お店が3時以降にはみんな閉まるからです。
 
そして大型ショッピングカートは、様々な食品で山盛り。
日本で聞く、爆買いと言うものでしょうか。
たくさんの親戚、友人、お客さんをお招きする場合、
大量の食料が必要です。
そして土曜日は、お店が閉まるので、2日分の食料確保を
します。
お店に並ぶ、大きな”ハーラーのパン”があると、シャバットが来たなと言う感じがします。
お昼頃には、もう皆が止まるモード。嬉しそう。
休みで嬉しくない人は、誰一人居ない。いやワーカホリック
以外は。でもそれも止める日なのです。
日曜日は、朝からガリラヤ湖に出掛ける予定なので、
ガソリンをフルタンクに補充。
1リットル、173円。日本より高いのでしょうか。
アメリカだと、1リットル77円、イギリスも173円。
高めです。
 
イスラエルでは、いや聖書の世界では、シャバットでは、こんなお金、募金や献金などやビジネスの話などは一切しないのです。
全部止める日だからです。
仕事をする、手の業、学業、努力で何かを生み出す、お金集金する日は、聖書では日曜日から、金曜日の午前中。
だから、シャバットには、聖書の中でも、お金集めをした記録は無いのです。パウロは、シャバットではない別の日=”週の始め”の日、日曜日に、集金をしてと言う話をしているのです。
聖書では、安息日=シャバットは日曜日ではないからです。
1コリント16:2
トラー教師であるパウロが、シャバットに集金する話はするわけないので、週の始めの日は、安息日=シャバットでは無い。
シャバットが日曜日では無い事が、聖書にはっきりと書かれています。変わらない神のカレンダー。暦。永遠に変わらない
イスラエルの神の日。ハ ヨム=ザ デー=この日。
特定の日。定めの日。
 
この日が何のためにあるのか、はっきり分かります。
”神の子ら”の姿を、取戻す軌道修正の日。
自分と家族と団らん、修復の日。
喜び楽しむ日。出エジプト、購われた事実=新しくされた
命を与えられた事実から生きる再確認をする日。
神の完了の業を思い出す。原点に戻る。
福音の全てがこの日に詰まっています。
 
 
V'shamru The Guardians

出エジプト 31:16、17

 

 

Shabbat Shalom

 

 

Shalom Aleijem

 

Shabbat Shalom