1 コリント8:2
もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。
以前自分の頭の中に、旧約と言うコンセプトで、
聖書が創世記から黙示録まで同じ事が書いてある
一つの書であると言う事実を知らなかった頃。
古い終った書と思い聖書を読んでいた時、
聖書を読んで、適当にこれは終った教え、これは今も有効と、
自分勝手にし分けしていたけれど、それは全く自分基準であり、
自分勝手であり、自分が神の立場で神の言葉に対して、
見切りをつける、宣言していると言う恐ろしい事を
していたのです。
そして、聖書の中身が古い、終った、新しい教え出現などと言う様な考え、神学は神の言葉に対して、信頼を揺るがせてしまものだったのです。
人間の造り出した神学を一切排除して、聖書を読み直すだけで全然違う世界が語られている事が分かります。
人間の教え=神の言葉の統一性が無い。
新旧別の契約やら、また”罪人”、原罪がある人間と言う教え。
それを捨ててみて、色眼鏡無し。一切習った聖書とは
ズレた考えを聞かなかった事にして、聖書を読んで見るのです。
永遠から愛と、恵みと許しと憐れみに富んだ、
永遠不変の決して約束を変えない神と言う事実から、
今神の似姿にされている自分、神の造られた元の自分が
取戻されている事実。その二つを絶対揺るがさないで
聖書を読み直して見ると見えて来るのです。
知れば知るほど、何も分かって無かったと言う事と、
本当に知ると言う、戸口に立っただけなのだと
言う事も分って来ます。
神は人間ではないからです。
人間の頭脳を遥かに超えた存在であるお方の言葉、世界。
人間の神学を土台、基にして聖書を読む弊害を発見します。
弊害=神の真実に目が塞がれたままになってしまう。
部分盲目。でもその部分盲目は、実は大きな盲目、盲点
でもあるのです。
申命記 30:11 わたしが、きょう、あなたに命じるこの戒めは、むずかしいものではなく、また遠いものでもない。
30:12 これは天にあるのではないから、『だれがわれわれのために天に上り、それをわれわれのところへ持ってきて、われわれに聞かせ、行わせるであろうか』と言うに及ばない。
30:13 またこれは海のかなたにあるのではないから、『だれがわれわれのために海を渡って行き、それをわれわれのところへ携えてきて、われわれに聞かせ、行わせるであろうか』と言うに及ばない。
30:14 この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。
30:15 見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、および死と災をあなたの前に置いた。
人の唱える所の神学。
神は、人間が生きる事の出来ない契約を、神が始めに
与えたと言うのは、全くもって嘘である事、聖書だけに真実に戻れば分かります。
キーポイントは、人間の教えや学説に聞き入る事をやめる事。
神の言葉だけに、意識を向ける事、神の言葉は永遠に
絶対であると信じる事。それが本当だと言う事は、
信じて一歩踏み出し、それを信じ続け、生き続ける人は
発見出来るからです。
求め続けなさい、探し続けなさい、
ドアを叩き続けなさい。
事実へのドアが開き、発見出来る、自分の手に入れている事実を
発見出来ると言う事です。
考えてみたら分かります。
ここに何と書いてあるのか?
そして、親が子どもに出来ない事を強要して、
”ほ〜らみたことか。全く駄目な子。”などと言う事を言うために、出来ないと分かっている事を、始めからやれと言う親は
どんな親?とっても愚かで異常な親でしょう。
と言うかひどい親。出来ない事はじめからやらせる親?
親たるもの、子どもが出来ない事やれと言うとしたら、
それって虐待傾向がある異常な思考回路だと思います。
無理って親が分かっている事、子どもにどうして
させるのでしょうか?
聖書だけを読めば誰でも分かります。何が書いてあるのか
この申命記の箇所、何度も読んで見れば分かります。
神の声を、神の声の下に自分を持って来て、神の声の
中だけで、神の声を聞くとは神の言葉の中だけで
聞くという事です。人の教えを混ぜては、神の言葉、
神の真意が聞こえなくなってしまうからです。
混ぜ物の人の教えに耳を傾けて、神の言われる事が
見えて来なくなる。目の前の書かれていても、
永遠不変の神の言葉が読み取れなくなる。
人が神の子として生きる事実を、神御自身が既に永遠から
取戻している。
その人間は、神の言葉を生きれる。それが神のデザインされた
人間だから。
それを否定するなら、神の業は不完全で、神の造られた世界は
始めから無理があるという、人間の教えが又出て来るのです。
出来ない事させる方が、理不尽でしょう?て事です。
聖書には人間の教え、神学とは全く相反する、違う事が
書いてあります。
あなたの中にある、口に腹にあるとは、私達の成り立ちなのです。
DNAで綴られている。近く=カローヴ=腹の中、私達の性質の中に刻まれていると書かれているのです。