ホテルのブレックファストも、全て食品はコーシェル食。
スーパーに置いてあるものも全部コーシェルです。
こんな国はイスラエル以外に無いでしょう。
でも、何も不自由なんて無いのです。
聖書に書かれている”人間の食べ物”=安全であり、
その食べもの、動物に意味がちゃんとあるのです。
神がそう言われたらです。神が言われたら、そうなのだと、神の言葉を曲げないで考えれば、神の意図を理解出来て、はっきり見えて来る。
しかも、神の言葉は終ったという、神学を元に考えている
限り、神の声は自分の中には、届かなくなるのです。
別の世界で考えていれば、神がどんなに語ろうと、
その真意を理解しないまま通りすぎてしまうと言う事
なのです。
10の言葉は、トラーのお題目です。
その題目の冒頭に”神の顔の上に、別の顔を置いてはならない”
あなたのために。と書かれている。
その中には、人間の食べ物、食べては駄目なものが
書かれているのです。
そして、人は人間の造り出した神学を元に考え始め、
神の言葉を塗り替えてしまうので、違う教えが
出て来てトンでもない勘違いをしてしまうのです。
そして、人間が神の座に座って、神の言葉を勝手に
仕分けているのです。今日この時も、今も。
賞味期限のある神の言葉=神学でしょう。
時代で神の業、神の言葉を仕分けている神学。これは誰のアイデアか聖書に戻れば、何もそんな事が書かれてないので
分かります。聖書の記者、使徒達誰一人、この様な考えをして、
生きて居ない事がはっきり書かれています。
全ては、親が安全に子供達を守るための教えであるのに、
生きるための教えであるのに、それを忌み嫌う様に
教えられて来た。不思議です。気がついたらこんな感じ。
暗い部屋に灯りが付いて、はっきり見えて来る。
そして、聖書に書かれている”人間の食べ物ではないもの。”
必ず、毒や危険があります。人が神の言われる事以外、
肉体の中にも取入れてはならないと分かります。
肉体は霊的存在。バラバラに考えるからフォーカスがぶれるのですが、全存在=ネフィッシュ ハヤと書かれている通り、
私達の全存在丸ごと霊的=神の似姿の人を生きる様に
造られている。神の似姿の人=神の言われる通りを
生きる。これに窮屈を感じるのは、自分が神と同じレベルに
なってしまっているからと言う事と、異文化、異教の神々の
教えに慣れ親しんで来た結果だと分かります。
神の言われる以外をする。アダムとエバの様に直ぐには死ななかった。直ぐには結果が現れないけれど、ひずみ、弊害がある。
その食品自体調べれば決して二度と食べようなんて
思えない代物です。
そして、食べものを通して”神の家”の子らは、
異教の神々を信じる世界とは、分たれたもの、聖別されたものである事を、はっきり知って行く事が出来ます。
世の光、地の塩の意味が見えて来ます。
神の世界を生きる事、神の言葉を生きる事を選ぶ。
神を知らない世界を生きる事=神の言われる事に逆らう、
神の言われる事とは違う事を選ぶ事に、喜び生きる世界。
チーズの種類がたくさん。
キーシュ、ポテトチーズグラタン、トマトソースの卵焼きにスクランブルエッグ
ミニパンケーキ チーズケーキ
色々な種類のパンとトッピングやケーキ デザート
ショッピングセンター 子どものおもちゃ 多分アメリカに
売っている様なおもちゃ
パン お菓子
イスラエルで定番のフラッフェル
カラフルな文房具用品
大きなスイカ
公衆電話
グレープがめちゃくちゃ美味しい
今日の食料
普通の人は普通の服装をしています。