明日の事を知っているのは、創造主のみ | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

人生の旅路には、ある日突然予期せぬ事が起きます。

 

出エジプトの例がそうです。

 

事件、事故、不慮の死。

または、幸せな楽しい事もたくさん起きます。

そのどれもが、何も予期出来ない。

明日が自分に取って何を運んで来るのか、

もたらすのか、誰も明言出来ない。

只予想だけです。

 

出エジプトの場合、モーセがパロに”わたしの民を

行かせて下さい。”と懇願し続けていましたから、

10ヶ月近くの間、10の災いをエジプト全土で、

エジプト、異邦人、そしてユダヤ人が皆体験していたので

どうなるだろうと、みな固唾を飲んで見守っていたはずです。

 

いつ、去るのだろう?どんな風に去る事が出来るのだろう?

無理すぎる。去ったとして、どこへ行くのだろう?

様々な事を思いめぐらし、不安にかられていた人達が

いたでしょう。

 

イスラエルの神がどんな方か分からない場合。

頭脳に割礼が無い場合、不安でたまらない。

一体どんな事になってしまうのか。

 

神の目的は、解放、そして約束の地へ導く事だったの

ですが、その途中の訓練も嬉しいものばかりでは

なかったはずです。

 

生涯、荒野を移動して生活するのですから。

でも、病気もない、必要の全てを必ず日々

与えられ続けていた。

サンダル、履物もすり切れず。水も食べ物も与えられた。

神から直接供給される体験、神の奇跡を目の前に

何度も見続ける体験をし続けて行ったのに、

それでも、頭脳の割礼が無い、二心の人達

その世代は、約束の地に入れずに、

皆死に絶えたとある通りです。

 

人生は予想などつかないと言う事です。

これがあるから大丈夫さと思っていた事が

ある日突然根こそぎ引き抜かれる事もあるのですから。

 

私達が、信頼するのは、自分の今の状況や

財布の厚さや、銀行預金の数字の数ではない。

 

常に信頼を置くのは、”イスラエルの神”

神の約束、言葉のみです。

 

さて、予測もつかない親戚の突然の出来事で、

日本に一時帰国する事になりました。

短い滞在で、色々な事をやろうと思っていますが、

その中心は、会いたい人に会う事です。

 

出エジプトをして、本当の自分で生きれる様になるまで、

様々な訓練を通して、この包皮を剥がされ続ける、

脳回路の枝切り替え作業を、神の定めの日を通して、

ずっとして下さるのだな〜と実感しています。

 

空の上では、太陽が間近に見えます。手に届きそうな位

近くに。

そして、空の下の地平線、水平線は、どんなに高く

上昇しても、同じくどこまでも真っすぐ。

この”シャマイム”=天空の上に、そして地に、

神が一つの水を分けたとある通り、

水があり、天の御座があると言われた。

天の御座の色=タヘレットブルーを肉眼で見ているのに

知らなかったと言う事です。

 

パウロもその第三の天にまで、行ったと表現してますが、

聖書は、神の創造の事実を、そのまま語っていると

確信しています。

 

続く