教育とは神の言葉を知り、教える事 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

教育の中心とは、本来”神の言葉”を教える事であり、

神の言葉の中に全てがあると書いてある通りだと

深くうなずく事が出来ます。

神の言葉の中から、全てを汲み出せるからなのです。

 

だから、神の言葉を、神の意図通りにまず

知らないとならないのですね。

違うものに変身させて、変形させたものを

誰かに伝えないために。

 

教える人の責任はとても重たいのです。

だから、パウロが”罪人の中の罪人”頭と

言ったのです。

神の言葉を曲げて教えてしまえば、人を

誤りに導くからです。人の人生を曲げてしまう。

神の現実、実態に出会う妨げをしてしまう。

だから、それが一番の重たい罪とパウロが

強調したのです。

自分が今も罪人の頭だからと言ったのでは

ないのです。

 

神の言葉を、知らないままでも、曲げて教えていた

その事を語っているのです。

 

神の言葉=霊です。

ルアフによって書かれた、神の言葉。

言葉によりこの世界の全てが出現し、

言葉により人は造られ、神から直接霊を吹き入れられて

生きるものとされた。

言葉を発すると、生物、植物、物質が

語られた言葉により影響を受ける。

 

神の言葉により、世界が治められる。

それが、神のデザインだったのです。

 

神の言葉と霊と切り離さないで

書いてある通りに考える、受け取る。

 

箴言30:5

神の言葉はみな真実である、

神は彼に寄り頼む者の盾である

 

 30:6 その言葉に付け加えてはならない、

彼があなたを責め、あなたを偽り者と

されないためだ。

 

付け加える。人間の教えを付け加えては

ならないと書かれています。

 

別ものに変身したら、神の盾の役割は

出来なくなるからです。