教育の中心とは、本来”神の言葉”を教える事であり、
神の言葉の中に全てがあると書いてある通りだと
深くうなずく事が出来ます。
神の言葉の中から、全てを汲み出せるからなのです。
だから、神の言葉を、神の意図通りにまず
知らないとならないのですね。
違うものに変身させて、変形させたものを
誰かに伝えないために。
教える人の責任はとても重たいのです。
だから、パウロが”罪人の中の罪人”頭と
言ったのです。
神の言葉を曲げて教えてしまえば、人を
誤りに導くからです。人の人生を曲げてしまう。
神の現実、実態に出会う妨げをしてしまう。
だから、それが一番の重たい罪とパウロが
強調したのです。
自分が今も罪人の頭だからと言ったのでは
ないのです。
神の言葉を、知らないままでも、曲げて教えていた
その事を語っているのです。
神の言葉=霊です。
ルアフによって書かれた、神の言葉。
言葉によりこの世界の全てが出現し、
言葉により人は造られ、神から直接霊を吹き入れられて
生きるものとされた。
言葉を発すると、生物、植物、物質が
語られた言葉により影響を受ける。
神の言葉により、世界が治められる。
それが、神のデザインだったのです。
神の言葉と霊と切り離さないで
書いてある通りに考える、受け取る。
箴言30:5
神の言葉はみな真実である、
神は彼に寄り頼む者の盾である
30:6 その言葉に付け加えてはならない、
彼があなたを責め、あなたを偽り者と
されないためだ。
付け加える。人間の教えを付け加えては
ならないと書かれています。
別ものに変身したら、神の盾の役割は
出来なくなるからです。