聖書に書いてある通りを読む ローマ6章続き | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

9キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬ

ことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、

知っているからである。 

<この世の息が取られても、私達は既に今、

神の中、天の現実に居る事が書かれている。>

 

10なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して

死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるの

だからである。 

 

一度罪に対して死んだ。二度ではない。

一度だけ。だから、何度も死んで、また罪人が復活して、

また死んでと言う事を繰り返すのではない事が分かる。

本当のIDは”神の似姿” 完了の業が現実で

あるからと書いてある通り。一度だけ。

 

11このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者で

あり、キリスト・イエスにあって神に生きている者で

あることを、認むべきである。 

 

<罪に対して死んだ者である。罪人の自分であるから、

仕方ないさと言う、自分の本当のIDをはぐらかせる、

疑わせる、まやかしの教えを信じて生きるなかれと

クリアーに聖書に書いてある。

罪に対して死んだ=死んでいる。

書いてある通りに真剣に考えて、その通りを信じて

受け取り生きる事が信仰=アーメン=神の御旨だから

その通りになるのであると言う宣言。

 

本当の自分の状態は罪に対して死んでいると言う事実が

ちゃんと書かれている。ゾンビは復活しない。

復活したのは、イエシュアの命と共に復活している

本当の自分。それを生きない選択をしているだけ。

”100%自己選択。戸口に待ち伏せている罪を

再び招き入れない。そう感じても、罪が大声で

叫んで、誘い出しても、無視!それは自分ではないのだ!

と宣言して、拒絶すれば良いだけ。”

 

罪人宣言を、永遠にし続けるのは神の言葉の事実を

無視する態度だと言う事が聖書に基づき確認出来る。

神の言葉を認めない。でも、認めるべきと

書いてある。その通りに読めば、神が何を言われて

いるのか誰でも理解出来る。

 

12だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配に

ゆだねて、その情欲に従わせることをせず、

 

<自分で選択する。命を選びなさいとある通り。

ズレた生き方、以前の死んだ人で生きて来た生き方を

選択しない。決める!決めて生きれば、命に生きる事が

なんであるか発見すると書いてある。>

 

 13また、あなたがたの肢体を不義の武器として

罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた

者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器と

して神にささげるがよい。 

 

<日々のリマインダーを通して、自分が誰であるかを、

常に思いめぐらす練習を、神からさせられている事に

気がつくのです。自分は誰か?復活の命に、

生かされた人の生き様は何か?

トラー=神の言葉=神の顔を覗き込んで、常に思いめぐらせ

て、神の言葉だけを考え続けて生きる。

命のパンを食べて生きる。>

 

 

 

続く