トラーは呪い?ノモスの下ではなく、恵みの下に今あるとは? ローマ6章 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

14なぜなら、あなたがたは”ノモス”の下にあるのではなく、

恵みの下にあるので、罪に支配されることは

ないからである。

 

ノモス=この世の罪の法則。

ノモス=律法と訳されているこの言葉は、

多方面に渡る意味に、一つの言葉が使われているので、

翻訳誤訳を生み出す言葉です。

こう言う誤解や、誤訳が、翻訳聖書の中には残念ながら、

ある事に気がつかなくてはなりません。

誤解したまま読むから、人造神学の解説が出現

してしまうのです。

 

古代の人達が、ギリシャ語でこのローマ6章の

この箇所を読んでも、ノモス=トラーなんて

誰一人、勘違いしないで読めたのです。

でも、現代は違います。

トラー=終った=呪縛の教えと勘違いしている

教えを信じ込んでいるので、この思想の上に基づき

考え続けてしまえば、神の言葉は見事に

変形してしまうのです。

 

この箇所で訳されている”律法”と言う言葉は、

古い時代の神の教え=モーセの五書=トラーだと

誤解されていますが、それは100%間違いです。

間違いを正す。人間が勝手に、神の言葉の方を

矯正しないで、人間の教えの間違いの方をまず

完全矯正、直す、正す。

脈略を捉えて、読んで見れば誤訳の中に変だぞと

気がつける事が出来るのです。

 

ノモス=神の言葉とするならば、神の言葉=恵みなのに、

辻褄が合わない事に、気がつかなくてはならないのです。

神の言葉=律法=呪い?

この翻訳も、この時点で、変だと気がつかなくてはならない。

 

変だと思われる箇所、辻褄合わない箇所は、翻訳の中の誤差、

誤訳、取り違えられて、勘違いの解説されている

箇所なのだと、気がつかなくてはならないのです。

 

神の言葉の下には居なくて、恵みの下にあると

言う訳が、いかに的外れで、誤訳、誤解の解説で

あるか分かる箇所です。

変でしょう。普通に考えて読んでみたら、

完全に辻褄合わない翻訳です。

 

神の言葉=命のパン=生きる糧=恵み。

神の言葉=トラー=命のパン、恵みの下には、

私達は今居ません?となるのでしょうか?

完全に別の教え、別の福音、神の言葉ではないです。

神の言葉は永遠不変。全部真実だけを繋げて考える。

 

パウロは、トラーのみを教えているのです。

トラー=モーセの五書=神の婚姻契約=言葉が

永遠不変だと言う話を、パウロはしているのですから、

この箇所の”ノモス”と言うのは、この世の罪の法則

に縛られた奴隷状態では無いと訳すべきです。

そうすると、ぴったり意味が通じます。

 

この世の罪の法則から解放され、今は神の恵みの

下にある。

以前の主人=罪から、鎖を切られて、

本当の主人=恵み=へセット=婚姻契約用語でも

あるへセット=婚姻契約の下にあるのですと

正して読むべき箇所です。

 

これを理解した上で、奴隷とは、”購われる”とは何かと

言う箇所に戻って、考えてみたいと思います。

 

続く