神の言葉=トラーには、私達の今地上で生きるための全てが
書かれている。
私達神の似姿の造られた人達が安全に守られて
この世を渡って行けるための、安全完全マニュアル。
ただそれだけのもの。
仮庵の祭りから、春の過ぎ越の間まで、今長い冬の時期を
通っています。
神の暦は神のデザイン、神の実態そのものです。細部に渡り、
注意深く細かく私達への、教育ツールが書かれている。
神が私達それぞれに、それぞれの季節に、人生の季節の時の
中で教え様としている事がある。だから神の言葉に
周波数を合わせるチューンナップ。
神の時、神が言われた時に周波数を合わせていないと
そのメッセージはキャッチ出来ない圏外に居る事になる。
神の教え様としている事がキャッチ出来ない。
自分勝手な想像の中でグルグル回ってしまう。
だからいくら経てども変化なしに悩む。
そして、さまざまな新しい教え、ムーブメントに飛びついて
みた所で、また何も変わらずがっかり失望する。
神のデザインに沿って、神の時暦に沿って、神の言葉に
沿って考え生きないのならば、根本的には何も刈り込み
されない=プルーニングされないまま死んだ
人のまんまで生き続けてしまう。
一点一画、神の言葉のどれも無駄ではなく、意味がある事が
分って来ると、その中に書かれている一つ一つが、私達への
養い、守り、保護、死んだ人で生きていた脳回路脱落=
刈り込みするための教育ツールである事がはっきり
見えて来ます。
暦の中に、生活全ての細部に渡り、教育ツールが置かれている。
シャバット、祭り、食べ物、印、割礼、生理、衣服、家の戸に
付けるメズサなどなど全ては、私達が”神の似姿の人”を
インプットするための、神の教育ツール。
永遠不変の神の言葉、デザイン。
これのどれが欠けても分からなくなるのです。
そして、私達は既に神の似姿が取戻され、その実態を
生きる事が出来る様にされている。それが完了の業。
信じるか信じないかは、あなた次第ですとはまことです。
特に、神の定めの時=聖書の中に書かれている、人が造り
出した日ではなくて、神御自身がデザインした、
神の呼び出しの日、招集の日、シャバットと祭りは、
子供達に強烈な印象=喜び、楽しみを通して、次世代へ
”福音の全て”を伝えるための内容が教えられているのです。
1人ではなく、家族と仲間と神の定めの日を祝う事は、
本当に楽しいし、心待ちにする出来事なのです。
私達の頭の中には、想像にも浮かばない世界。
いや、想像付きます。
誰でも、祭りや正月や特別な行事を心待ちにして、
準備も楽しいでしょう。
その祭りや特別の日が、聖書の世界、神のデザインした
定めの日の中にあるのです。レビ記23章に書かれているもの
がそれです。
秋の仮庵の祭りから、過ぎ越の間まで、定めの日は、
シャバットしかありません。
長い冬の間、この時期は”刈り込み”の時期です。
刈り込み=死んだ人で生きて来た脳回路の枝を
刈り込みされる。
何が自分の今、神の似姿の人で生きる事を妨害している
死んだ人の脳回路の枝で考え続け、生き続けているのか
教えてくれる時期です。
特に日常の人間関係の中を通して、実際に自分の古い
反応パターン、思考パターン、行動パターンにメスを
入れてくれます。
今回、決定的に分かった事がありました。
自分の以前の事全部リセット忘れて!
自分の慣れ親しんだ考え方、やり方、行動パターンを
全部切り替え!
全部=死んだ人で生きて来た部分の全て。
何に切り替え?
新しい人=神の似姿=トラーに描かれた人。
それが自分の本当の姿だから。
その鏡に全部を照らし合わせて生きる事に照らし合わせる。