神の暦 デザインに沿って生きる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の言葉=トラーには、私達の今地上で生きるための全てが

書かれている。

私達神の似姿の造られた人達が安全に守られて

この世を渡って行けるための、安全完全マニュアル。

ただそれだけのもの。

 

仮庵の祭りから、春の過ぎ越の間まで、今長い冬の時期を

通っています。

神の暦は神のデザイン、神の実態そのものです。細部に渡り、

注意深く細かく私達への、教育ツールが書かれている。

 

神が私達それぞれに、それぞれの季節に、人生の季節の時の

中で教え様としている事がある。だから神の言葉に

周波数を合わせるチューンナップ。

神の時、神が言われた時に周波数を合わせていないと

そのメッセージはキャッチ出来ない圏外に居る事になる。

神の教え様としている事がキャッチ出来ない。

自分勝手な想像の中でグルグル回ってしまう。

だからいくら経てども変化なしに悩む。

そして、さまざまな新しい教え、ムーブメントに飛びついて

みた所で、また何も変わらずがっかり失望する。

 

神のデザインに沿って、神の時暦に沿って、神の言葉に

沿って考え生きないのならば、根本的には何も刈り込み

されない=プルーニングされないまま死んだ

人のまんまで生き続けてしまう。

 

一点一画、神の言葉のどれも無駄ではなく、意味がある事が

分って来ると、その中に書かれている一つ一つが、私達への

養い、守り、保護、死んだ人で生きていた脳回路脱落=

刈り込みするための教育ツールである事がはっきり

見えて来ます。

 

暦の中に、生活全ての細部に渡り、教育ツールが置かれている。

シャバット、祭り、食べ物、印、割礼、生理、衣服、家の戸に

付けるメズサなどなど全ては、私達が”神の似姿の人”を

インプットするための、神の教育ツール。

永遠不変の神の言葉、デザイン。

これのどれが欠けても分からなくなるのです。

 

そして、私達は既に神の似姿が取戻され、その実態を

生きる事が出来る様にされている。それが完了の業。

信じるか信じないかは、あなた次第ですとはまことです。

 

特に、神の定めの時=聖書の中に書かれている、人が造り

出した日ではなくて、神御自身がデザインした、

神の呼び出しの日、招集の日、シャバットと祭りは、

子供達に強烈な印象=喜び、楽しみを通して、次世代へ

”福音の全て”を伝えるための内容が教えられているのです。

 

1人ではなく、家族と仲間と神の定めの日を祝う事は、

本当に楽しいし、心待ちにする出来事なのです。

私達の頭の中には、想像にも浮かばない世界。

いや、想像付きます。

 

誰でも、祭りや正月や特別な行事を心待ちにして、

準備も楽しいでしょう。

 

その祭りや特別の日が、聖書の世界、神のデザインした

定めの日の中にあるのです。レビ記23章に書かれているもの

がそれです。

 

秋の仮庵の祭りから、過ぎ越の間まで、定めの日は、

シャバットしかありません。

長い冬の間、この時期は”刈り込み”の時期です。

 

刈り込み=死んだ人で生きて来た脳回路の枝を

刈り込みされる。

何が自分の今、神の似姿の人で生きる事を妨害している

死んだ人の脳回路の枝で考え続け、生き続けているのか

教えてくれる時期です。

 

特に日常の人間関係の中を通して、実際に自分の古い

反応パターン、思考パターン、行動パターンにメスを

入れてくれます。

 

今回、決定的に分かった事がありました。

自分の以前の事全部リセット忘れて!

自分の慣れ親しんだ考え方、やり方、行動パターンを

全部切り替え!

全部=死んだ人で生きて来た部分の全て。

 

何に切り替え?

新しい人=神の似姿=トラーに描かれた人。

それが自分の本当の姿だから。

その鏡に全部を照らし合わせて生きる事に照らし合わせる。