<325年のニカイア公会議で、正式に春分の日の直後の
満月の後の最初の日曜日がイースターと定められた。>
何故満月の後の最初の日曜日なのか?
”満月”=祭りのスタートは必ず満月に当たるのです。
ユダヤ暦の第一の月=ニサンの月の14日日没は
過ぎ越の始まる時です。そしてその日は、どの年も
満月が出るのです。
ですから、満月の後=神の定めの日の後の”日曜日”と
日をずらして、そして内容も”イースター”と言う新しい
祝い=”永遠不変の過ぎ越”ではなく、西洋宗教は
独自の祝いの日を造り出したという経緯なのです。
復活を祝うから良いのだ〜と思いますね。
でも、福音はモアデイムの中で全て最初から
語られているのです。主が手抜きの仰せなどデザインは
していないのです。”7日に止まった”=全ての業はもう
完了しているとある通り、その中に全ては入っているのです。
神が後から付け足す何も残っていない状態。
いやまして人間が神の業に付け足すなんて事は不可能。
創造主は只お一人だからです。
プラス、福音はトラーの中に全てが書かれています。
特に”レビ記”の中には、復活の命がちゃんと教えられて
いるのです。神殿での儀式の中で、祭司達がトラーに
書かれている永遠から、太古から存在する同じ福音を
儀式を通して、定めの時を通して全部教えていたのです。
古代の人も、同じ福音が語られ教えられていたのです。
復活の命、救い主、購い、などなど全てを古代の
人達は知っていた。
だから、太古から語り継がれた同じ福音と書かれて
居るのです。聖書に。
そして、一年に渡る神の定めの祝いの日の中で、
シャバットの中で、福音の全てが語られ教えられている
事実があるのですから、付けたし不要なのです。
紀元後325年のニカイア会議まで、聖書の中にも、
宗教の教えの中にも”イースタ”ーと言う名の祝いは、
存在しなかったのです。
もちろん、使徒達、パウロも知らない祝いです。
この年の宗教会議で、人により初めて”イースター”と
言う“祝いの日”が造られた事実があるのです。
紀元後325年です。
この会議は、トラー=文字で書かれたイエシュア=
永遠の婚姻契約を信じ、生きるイエシュアを信じる、
ヘブライ人達は誰一人として参加していない会議です。
西洋宗教が出現したのは、聖書が閉じられた後の事です。
イエスさまや、パウロが新しい教えを、新しい祝いの日を
造り出したのだと世界に広く、歴史の中で長く、多くの
人達に勘違されていますが、それは事実ではありません。
トラー以外の別の教え、別の福音は、聖書の中には
書かれていないからです。
イエスさま、使徒、パウロが教えていたのは、
100%ピュアで、純粋なモーセの書です。
トラーです。聖書は一つなのです。二つの聖書も、二つの
福音も無いのです。
だから、聖書の中には、西洋宗教の主張する、”祝い”や
”祭り”の日として定められているものとしては、
出て来ないのです。
聖書の中にある、神の定めの時=過ぎ越の代わりに、
人間の宗教会議により、人間の教えにより新しく造られた
”祝いの日”がこの年に出現したと言う事は明らかなのです。
西洋宗教文化の中で、造り出された数々の儀式や
祝いの日と、聖書の中の祝いの日=定めの日と、
主の仰せである事柄の相違の数々を見つける事が
出来ます。
聖書の神の言葉、仰せと、西洋宗教の出現後、
西洋教父達により人間の教えが造り出され、
西洋宗教の特別な祝い日である事柄を、
今一度はっきりと区別、識別する必要があるのです。
それぞれの国や文化の中の祝いの日があります。
それを、祝う事は即座にはズレと言う事には
なりません。異教の神々を拝む日ならその様な
崇拝はしなくても、その国に住むならその日休みとして
エンジョイしても何もズレではないのです。
でも、神の定めの日、モアデイム ハギム=祭りを
似た様で別のものに変形する事は、聖書に基づいて
主の意図通りなのか、主の意図から外れているのは、
言わずとも知れる事なのです。
ニサンの月の第14日=”過ぎ越”の祭りの一週間後、
満月の出た後の一週間後、この後の”日曜日”に、
”イースター”と言う祝いをする事にしたと言う事ですね。
この記事みて、即座に思い浮かんだのが
第一列王記12章です。
続く