人の教えと神の教えは違う | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

ヘブライ人のライフスタイル=トラーの生き方が
何も変更されていない事が聖書にはちゃんと書かれています。
聖書のメッセージは、預言者の役割は、使徒の役割は
”神の永遠の契約” その姿から離れず、ガードせよ
だからです。

それが神の造られた人間のデザイン、神の世界のデザイン
暦だからです。

神の言葉は何も変わっていないのです。主の教えは一点一画も
廃らないと書いてある通り。

今のイスラエルでもトラーの世界を生きて居るのです。
神殿が崩壊されているから、祭司が居ないだけです。
神殿での儀式が神殿が無いから出来ない。それだけです。

イエスさまの昇天された後、神殿が崩壊するまでの70年間
同じ様に使徒、弟子達は神殿中心に生活をしていた事
神の暦通りシャバット、モアデイムをしていた事が
聖書に書かれています。翻訳読んでもはっきりと分かります。

シャバットも、モアデイムも、食べ物も 割礼も全て全て
トラーに書かれている”永遠の契約の印”は変わらない。

人の教えでは変わった、終ったとしている全ては
神の中では不変だと書かれているのです。聖書には。

聖書に書いてある事を曲げないで、翻訳聖書を読んでみても
それははっきりと分かる事なのです。

聖書の契約の姿のどれひとつ、何一つ、
何も変わりない事が書かれています。
何故でしょう?
それが神の造られた世界、デザイン 人の生きる姿
だからです。

それのどこがどう変わったと思っていたのか?
そう教えられて来たから、聖書に書かれていても
そうだとは思えないと言う事なのだと思います。

脳回路の枝がブロックして、真実を読み取れないだけ。

不思議です。今考えると。
自分は目の前にその事が書かれているのに、違う事を
考えているから全然その通りを読み取れなかったと言う事が
分かって来るのです。

パウロは、トラーの生き方を教えていた=それが伝道なのです。
道=イエス=生けるトラーを伝えるです。



シャブオート、過ぎ越 仮庵 シャバット
永遠の”神の契約”が存在する印も不変なのです。
食べ物=ユダヤ人には人間の食べ物=神の定めた食べ物=
そしてトラーの仰せの全てを生きる=ユダヤ人=主を
信じる人の姿と言うのは常識だからです。

神殿が崩壊されたから、今では捧げものもされない。
エルサレムの神殿以外では、捧げては行けないからです。

そして、イエスさまが再び来られたら シャバット 
モアデイムを祝い、エルサレムの神殿で捧げものが
される事が書いてあります。

何も変わらない。何も変わっていない。
主の言葉は永遠不変。
契約=トラーも永遠不変だからです。
なぜなら、それが神の造られた世界、デザインだから。
神のデザインは永遠不変。神の言葉は変わらない、
一点一画も廃らないと書いてあるその通りを信じれば、
主の言われる世界の扉が目の前に大きく
開いて行くのです。