矛盾していると思われる箇所の読み方 1 コリント 7 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

書簡を読んでいると、
eavesdrop と英語では言いますけれど、
聞き耳を立てる。人の会話 電話の会話の一方の人の
話を聞く、隣りの部屋で聞こえて来る会話を
断片的に想像を含めて聞いていると言う感じです。

どう言う事かと言うと、人々がパウロに質問した
元の問題が何であるのか、聖書の書簡の中には、
全く書いておらず、一方パウロの側の民達への回答だけ
が書かれている。
パウロ側の回答だけを読んでいるから見えてこない部分=
何の問題に付いて回答しているのかが、ぼんやりとしか
見えて来ないのです。

パウロの回答は、トラー100%を元に語っているのです。
トラーの実生活、実際問題に対しての適用例を書いているの
です。

1コリント 7:32
わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていてほしい。
未婚の男子は主のことに心をくばって、
どうかして主を喜ばせようとするが、

この喜ばせると言う訳、全然ぴったりではないです。
喜ばせるために何かする努力は、下から上、偶像礼拝的
関わりだからです。
この意味は、”主の意図にピッタリ叶う事、ぶれない
逸れない事に熱心 願望 熱望する事”です。


33 結婚している男子はこの世のことに心をくばって、
どうかして妻を喜ばせようとして、その心が分れるのである。

もし、主と妻の願う事が相反していたらと言う状況だと
分かりますよね

34 未婚の婦人とおとめとは、主のことに心をくばって、
身も魂もきよくなろうとするが、結婚した婦人はこの世の
ことに心をくばって、どうかして夫を喜ばせようとする。

これも同じです。

でも、妻を愛する事は、夫の最大限の主の前での
アボダー=礼拝と書かれ居るんですよトラーでは。
だから、相反する事を語られている様に思う時に
その”論点”が一体何なのかをちゃんと捉える、捕まえないと
ぶれて考えてしまいます。

妻が願う事が主の意図とぶれてた場合 夫は葛藤しますよね。
どう伝えるべきか。それでしょう。

絶対的基準はトラーです。
神が結婚をデザインし、男と女を造られた事
男女が主の意図通り一致して、向合う関係が何より大事なのに
あたかも相反する事が書いてあるの?
そんな分けないのです。違います。論点は何なのか?を
捉える事が必要なのです。
ぶらさなければちゃんと見えて来ます。

続く