書簡を読んでいると、
eavesdrop と英語では言いますけれど、
聞き耳を立てる。人の会話 電話の会話の一方の人の
話を聞く、隣りの部屋で聞こえて来る会話を
断片的に想像を含めて聞いていると言う感じです。
どう言う事かと言うと、人々がパウロに質問した
元の問題が何であるのか、聖書の書簡の中には、
全く書いておらず、一方パウロの側の民達への回答だけ
が書かれている。
パウロ側の回答だけを読んでいるから見えてこない部分=
何の問題に付いて回答しているのかが、ぼんやりとしか
見えて来ないのです。
パウロの回答は、トラー100%を元に語っているのです。
トラーの実生活、実際問題に対しての適用例を書いているの
です。
1コリント 7:32
わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていてほしい。
未婚の男子は主のことに心をくばって、
どうかして主を喜ばせようとするが、
この喜ばせると言う訳、全然ぴったりではないです。
喜ばせるために何かする努力は、下から上、偶像礼拝的
関わりだからです。
この意味は、”主の意図にピッタリ叶う事、ぶれない
逸れない事に熱心 願望 熱望する事”です。
33 結婚している男子はこの世のことに心をくばって、
どうかして妻を喜ばせようとして、その心が分れるのである。
もし、主と妻の願う事が相反していたらと言う状況だと
分かりますよね
34 未婚の婦人とおとめとは、主のことに心をくばって、
身も魂もきよくなろうとするが、結婚した婦人はこの世の
ことに心をくばって、どうかして夫を喜ばせようとする。
これも同じです。
でも、妻を愛する事は、夫の最大限の主の前での
アボダー=礼拝と書かれ居るんですよトラーでは。
だから、相反する事を語られている様に思う時に
その”論点”が一体何なのかをちゃんと捉える、捕まえないと
ぶれて考えてしまいます。
妻が願う事が主の意図とぶれてた場合 夫は葛藤しますよね。
どう伝えるべきか。それでしょう。
絶対的基準はトラーです。
神が結婚をデザインし、男と女を造られた事
男女が主の意図通り一致して、向合う関係が何より大事なのに
あたかも相反する事が書いてあるの?
そんな分けないのです。違います。論点は何なのか?を
捉える事が必要なのです。
ぶらさなければちゃんと見えて来ます。
続く