マタイ5:23
だから、祭壇に供え物=コバーンをささげようとする場合、
兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、
そこで思い出したなら、
24 その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行って
その兄弟と和解し、それから帰ってきて、
コバーンをささげることにしなさい。
イエスさまここで何を言われていますか?
祭壇に捧げる。神殿にささげる コバーンの話です。
”近づく”=コバーン。
人と仲違いしたまま、本来の状態、姿に戻れないからです。
つまり神殿での儀式の事を話しているでしょう。
終ってしまう話などしてないのです。
イエスさまが昇天された後も、弟子達、パウロ
ヘブライ人なら全て、神殿でのコバーンを捧げていた事
どう解釈するのか、聖書に基づき真実を見る事が出来ます。
神殿は、今崩壊されてしまっているからそこでコバーンが
捧げられないそれだけです。主が再び来られたらまず、
神殿で神殿で捧げものがされる事が書かれています。
エゼキエル43:1-7
そして、イエスさまが来られたら、再び変わりなく
神の暦通り、モアデイムが祝われる事が書かれています。
ゼカリヤ4:16-21
何も変わらない。
神殿の幕が裂けた後、神殿の幕を修復してイエスさまが
居られた前と後と全く同じ様に神殿で捧げものも
されていた事が
はっきりと聖書には書かれています。
イエスさまが昇天された後、シャブオート なのでパウロが
エルサレムに行ったとは捧げものを神殿でするために、
都上りをしたのです。何も変わらないからです。
ヘブライ人、使徒達 パウロはみな同じ様に神の暦通り
定められた祝いの日、シャバットとモアデイムを祝って
いたのです。
パウロは世間が言う”新しい宗教”と新しい教えや祝いの日
など作っていませんでした。造る訳ないのです。
ヘブライ人がナンなのか?を異邦人が理解していないだけ。
聖書を読めばその事実が分かります。
聖書に書かれている事は、一点一画変わらないとイエスさまが
言われた事を、ヘブライ人である、弟子達はガードしていた
のです。
プラス、コバーンは罪の仮の許しのためではないから。
続く