ガラテヤ 5:13
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を
得るためである。
主の中にある本来の自由=主の似姿で伸び伸び羽ばたき
喜び生きる事。
ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、
愛をもって互に仕えなさい。
<主の似姿の人は、主のデザインされた通り、契約の愛=
アハバに生きる。それが本当の姿、生き方。 主の真理の
中にある自由以外は選択しない。>
自由=以前の闇の王国の主に繋がれていた”奴隷”ではなく
なった。本当の主人=全世界の王の王、主の主に繋がる
身分になった。その人は、主の命、仰せ以外を生きるなかれ。
愛=永遠の愛=契約の愛=アハバです。相手の最善=トーヴ
主の意図通りを願い、行動する愛です。
14 トラーの全体は、「自分を愛するように、あなたの
隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。
そうです! 婚姻契約=主と顔と顔を合わせる親しさ
それで生きる=本当の自分で生きる時、主のデザイン
互いに愛し合いなさいが ぴったりしっくり それが
本当の姿だから。それが何に勝りガードすべき
ものだからです。
生きる=主の似姿を生きる事が、福音の中心だからです。
シンプル!人がまことの命=主の似姿で生きれるために、
主の福音を伝える。それ以外の何ものでもない。
15 気をつけるがよい。もし互にかみ合い、
食い合っているなら、あなたがたは互に
滅ぼされてしまうだろう。
本当ですね。かみ合い 食い合い=主のデザインされた
主の似姿の人の生きる姿では無い。命を生み出さないで
死を生み出す。
だから、偽の教えで同調せず、
主のデザインから外れる生き方を続けたら、
命が滅ぶ。死を生み出す生き方排出!
神の言われる事、主の真理、主の言葉の中で、真理に
中に留まる時だけ人は互いに一体になれる、一致出来る
主の真理の中で一致しないさと言う事。
神の真理以外でなんて、絶対に本当の意味で、
主のデザイン通りの一体としての一致は出来ない。
出来るのは、せいぜいいい加減な妥協だけ。
16 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。
そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
主の似姿の人で歩む時、
死んだ自分でなんてもう歩みたくない。
死んだ自分で生きたいでしょうか?
暴言吐いたり、汚い言葉言ったり、人を傷付けたり、
妨害したり挑み合ったり、競い合ったり、
足ひっぱりあったり、人をうらやんだり、ねたんだり、
なじったりそんな死んだ姿で生きたくない。
それは偽の姿の自分=主と共に
葬られて本当は死んで居ない自分。以前の自分。
神の似姿の人の本来の願望=トラーに描かれた本当の
姿=主の御旨を100%フルに生きたいという願望。
主の願望=自分の願望=トラーに描かれた主のデザインされた
人間本来の姿。
ただただ主の愛 契約の愛で互いに愛し合いたい。
それが本当の人の姿、本当の自分=神の似姿の自分だから。
17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、
また御霊の欲するところは肉に反するからである。
こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、
あなたがたは自分でしようと思うことを、
することができないようになる。
肉=死んだ人。そして御霊で生きる=神の似姿の
取戻された本当の自分を生きる。
だから自分はまだ不完全なのだなどと唱えるなかれ。
その二つは相反する。
死んだ人の頭脳の切り替えが無いまま、無造作に生きるれば
主の似姿にされている人でも、死別の脳回路の枝から生きる。
マッツア=要らないものが削ぎおとされて、濾過された
種無しパンにされているのに、パン種=
以前のズレ、外れた事を取入れれば
偽の以前の姿にまた膨れ上がる。
本当の自分=主の似姿で生きる事を一生知らないまま
死骸を引きずりながら生きる事になる。
18 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、
律法=ノモス=この世の罪の法則の下にはいない。
神のトラー=永遠の婚姻契約の下に
居ないなんて読んではNo No Noです。
完全辻褄合わない誤訳です。
そうなれば、あなたがたは 神の永遠の愛=アハバ=婚姻契約の
もとには居ないと言う事になってしまうからです。変、矛盾が
分かります。
神と離れて自分から離縁してしまうのですか?