アブラハムの契約は、無条件に全ての人に与えられている。
一方、シナイ山の婚姻契約は、限定。
その契約の中に生きるのか、生きたくないのかは自由選択。
本当の自分が取戻されているのに、それを知らず、
そして、本当の神が分からないから信じません、
神の言葉信じないで自分の思う通りだけを信じますと、
人が言い続けていても、それも自己選択ですね。
主は常に働きかけている。でもそれに応答するのか、
しないのかは、自由ですね。
それは、人には自由意志が与えられているから。
全世界の全てを主が創造された。
全世界の全ては、主のもの。
主に造られなかった人なんて、1人もいない。
主の似姿を取戻されていない人なんて、1人も居ない。
完了の業も全ての人へのもの。
イエスさまを信じた後さえ、”義”とされている事に
気がつかない人達もいる。
自分も以前は、その1人だった。
“義”とされている事に、気がついても、未だそれが
自分=神の似姿ではないと思い込んでいる人達もいる。
それも以前の私だった。
”修行”=敢えてそう表現するにピッタリなので、そう表現します
が、自分の造り出した様々な手段、それにより、聖められ、
将来手にいるものと思い込んでいた。
神の似姿は将来手に入る。今ではないと言う教えを
信じていた。
プラス、エジプトから出て来た人達は、誰でしょう?
全て”残りの民”本当のイスラエルですか?
イスラエルの神をどの程度信じていようがいまいが、
とにかく分からないけど、危険察知して出て来た
異邦人達も居た。
この十把一絡げ全員、彼らの状態は同じではない。
ある人は信じている、ある人は分からないまま。
でも、神の家に住まう人にされているならば、
その姿はこれこれこれこれ 暦、食べもの 着物 家屋
ビジネスの仕方、他者との和解の仕方、関係の結び方、
動物、家畜、野鳥に対する心配り、夫婦生活の仕方、
軍隊、戦争に関して、法廷への裁判の仕方、
ありとあらゆる”神の似姿の人、そしてコミュニテイが
生きる姿の全ての詳細が書かれている。
何故?トラー以外に、”神の似姿の人”が生きる詳細は
書かれていないからです。
かくかくしかじか、全部書かれている通りに沿って
生きるのが、神のデザイン、そのコミュニテイに生きる人の
姿。
それが、あなたの本当の姿ですよと伝えているのです。
人間の保護ガード、在るべき状態が守られるためです。
その中心は、“神と顔と顔を合わせて生きる、究極の親しさ、
婚姻関係”それがなくては、全て無意味、虚しい、空。
荒野で、皆がこのトラーに生きるのですよ!と、再学習。
夫と向合い、何よりその関係を大事にする、ガードする
それが前提。
人間=神の造られた神の似姿の人間の姿を、再学習。
全部リセットして、今までエジプトで培って来た事を、
削除して、1から人間とは何か?を再学習。
神とは誰か?の再学習。
荒野では、蛇の声も聞こえる。
神の言われる言葉と、蛇の教えを聞き分ける訓練。
でも、トラーを知っていれば、簡単に嘘か真実か
見分けられる。
そして、それを生きない人は、祝福ないし、
会衆から絶たれる=いや自分で絶たれる方を、選択
決断をしたと言った方が良い。条件付きなのです。
ここの人の状態=全員が信じている人ではないと言う事を
念頭に置いて、エレミヤの箇所で書かれている、
新しい=新たに更新された契約を読むと分かります。
続く