この世の朽ちる体の中にいらした、イエスさま 新しい人の現実が現れる | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

昨日の記事で、書いた内容の一部ですが、
聖書が、相互いに反する事が書いてあるように
思われる場合に、注意して、調べる事をお勧めします。
でも、それ以前に、どうやって真実にこぎ着けるのか
突き止められるのか、この調べ方が、
分らないのだと思います。

例えば、調べる元の、情報や、辞書自体が、
余りあてにならない、間違っていては、
調べようが無いからです。
それに、字面や、言葉の意味調べだけではない
他に地理、歴史、文化背景など、さまざまな
情報を得て、始めて見えて来る真実もありますから
本当に、この世界を、知る事が出来る、確かな
教師と、情報源が足りない事は、確かです。
ネットを見ても、誤、偽情報満載ですし。

でも、何が分らなくても、これだけは、分ると思います。
神の言葉が変わらない事。
これを、中心軸に読むようにすると、ずれが、分ります。
そうです、神の言葉に変化なしと言う、物差しに
照らし合わせるのです。
逆をしてはいけないのです。
神の言葉に反する、人間の教えや、神学を絶対退ける。
ズレている、違う事が、書かれている、
あたかも変わった様に、書かれていると言う事だけは
気がつく。
内容の中核まで、突き止められない、詰め寄る事が
出来なくても、何か”臭い”と分るはずです。

これを、神の言葉が、所々変更があるのです
時代毎に神の働きは違うのです、イエスさまの前に生まれた人は
特別な人だけにしか、内住の聖霊が与えられていませんとか、
その様な、人間の教えを取る場合には、
神の言葉、真実は迷宮入りです。

嘘が、嘘の上塗りになるように、本当に
見えなくなるのです。

そして、私達は、永遠から永遠へ変わる事のない
神の言葉を読んでいるのです

人間の、意識、人間の時空、概念を超えた事を
読んでいる事を、今一度、認識する必要必須!です。

永遠の時から、そして、ヘブライ思想、分断ではない
変化の無い、その意識で、リセットして、聖書を読むのです。
どこを取っても、神が一つ事を、同じ福音、内容を
話しているのだと言う、この真理からはみ出ないで読むのです。

昨日の祭司の解説の続きですが、私達は、イエスさまと言う
歴史上只一人のユニークな存在を、知ろうとしています。
イエスさまが、人であり、同時に神である事
考えて見るのです。
人の霊でもあり、神の霊でもありなのです。
でも、この地上の朽ちる体の中に在ったこと、
忘れていないでしょうか?
それだけで、とっても理屈では説明出来ない、理解出来ない
実態である事が、分るのです。
神である方が、不完全な朽ちる人間の体で、登場

私達には、二つの部分があるのです。
見える部分と、同時にまだ見えない部分。
見える部分は、この世にあるこの体です。
1コリント15で語られているのは、この世の体のことです。
今永遠の中には、存在している、来るべき”世”にある体。
丁度、イエスさまの体が、父のもとに、戻った時、
変えられた様に!私達もその体に移行するのです。
イエスさまの地上の体も、変えられた事、
念頭に置いて考えて見て下さい。

そして、これは ローマ書6、
2コリント 15:7で言われている事です。
"だれでもキリストにあるならば、
その人は新しく造られた者である
古いものは過ぎ去った、
見よ、すべてが新しくなったのである。
じっくり 読んでみて下さい。

私達はキリストと共に死に葬られ=死んで葬られたら
その古い人は、生き返らないのです。
そして、新しい人にされたと、書かれているのです。
将来天国に行ったらと、書かれているのではなく、
もう既に、今現在なっていると、書かれているのです。
もう、その現実は、内側に来て、そうなっている。
ヨハネが、”天の御国は近づいた”と言われたあの言葉です。
カローブ=内側に既に到来している。
完了型なのです。
このカローブの裏の言葉=ヘブライ語で、同じ事が
書かれています。
創世記25:22
ところがその子らが胎内で押し合ったので、
リベカは言った、「こんなことでは、わたしはどうなるでしょう」。
彼女は行って主に尋ねた。

この胎内と、同じ言葉で書かれているのです。
同じ意味です。
内側に、既に存在する現実を、語っているのです。
将来の事では、ないのです。今、現在の現実です。

ただ、ただ、中身は新しい人、その現実が、丁度イエスさまが
地上に居て、天に行ったと同じ様に、同じプロセスで、私達も
同様に、朽ちない体を、頂くのです。
イエスさまが、この地上におられた時と同じです。
イエスさまは、天の朽ちない体の中に、
生きていたのですか?いいえ、私達と全く同じ体です。
マリヤから、人間の子として生まれて来たのです。
そして、地上の朽ちない体だから、イエスさまは
不完全なお方だったのですか?
いいえ、神であり、人であり、人の本来の姿
そのままを、地上で見せて下さったのです。
私たちと全く同じ、この地上の体の中に生きていたのです。
私達も、この今の世にある体にあり、イエスさまと同様
全く”新しい人”の現実に、今既に移行しているのです

そして、私達勘違いしているのは、”弱さ”と言う言葉です。
弱さ=十字架で死んだ古い人、
罪人の弱さと信じているのではないでしょうか?

それでは、聖書の言葉とつじつまが合わないのです
パウロが語る弱さや、イエスさまが経験された弱さとは
何の事なのでしょう

この世の、痛み、病気、餓え、悲しみ、別離、貧困
様々な苦しみ などなど
外的な苦難 困難、それを、弱さと書かれているのです。

もし、イエスさまが人の弱さを知らない=罪人の弱さだと
したら、変です

神である方が、罪人であるわけないし、それを経験するわけ
ないのです。
そんな事が、書かれているのではないのです。

イエスさまが 荒野で40日40夜、試みられたのは、
人間の究極の弱さ=餓え、寒さ、孤独、さまざまな
困難の局限を、体験し、普通の人だったら
悪魔の誘惑に陥る様な、その中で、それらを全て
新しい人の現実は、打ち勝つ事が出来る事を、
示して下さったのです。

イエスさまが、悪魔の大御所 ボスと戦った!
下っ端のサタンではなく、大元のボスと戦った時
何で相対したのですか?
トラーの言葉です!!!!
神の言葉は、生きており、権威があり、サタンをも退ける
力があるからです。
そして、トラーの言葉は、私達を生かす命の言葉 パンと
書かれているのです。

イエスさまは、この地上で、今の私達と同様に不完全な体、
困難、状況の中にいて、これを体験され、その中で、
それらに打ち勝つ事が出来る事を、示して下さったのです。
そして、時が来て、イエスさまは、昇天し、天の領域、
天の朽ちない体を頂いたのです。

私達は、聖書を、余りにも、誤解して、注意欠陥で 
読んでいるのだと思います。
書かれている事が、矛盾している様だったら、調べる。
一体何が書かれているのか、知らなければならないのです。
そして、大原則。
神の言葉は,変わらない。
そして、私達は、この世に体にありながら、
イエスさま同様、もう既に、”新しい人”の現実に
変えられている!
許され続ける罪人と言う
、世界的に有名、主流の神学
サタンの声、言葉を、取り続けるのを停止!
神の言葉を取る!それだけで、本当に天の領域の大きな
ドアを開き、体験するに至る事が出来るのです。

金曜日の夕方から土曜日の夕方までが、神の定めた
永遠の祝日 シャバットです。
完了の業の中に憩い、そして自分のズレを確認、
神の中に戻り、そして、他者を傷つけて居る事に
気がついたら、謝罪 修復 喜び 楽しむ 祝う日です。

Shabbat Shalom