天の神の家に仕える祭司の姿 修復された人 | "永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

"永遠の中から” 私たちは どこから 来たのだろう?

何の始まりもない 永遠の時から
主ご自身のみが 存在していた
懐かしい 故郷 エデン

全く一つ、エハッドであるイスラエルの神
イエシュアの永遠の完了の業で、救われて
新しい人として生きる ヘブライ語原典聖書
からの発見記録

神の王国=神の家=天の国 に仕える祭司とは、
神を信じる人達、そして、神の上に聖別されて
取り分けられた、人々と書かれています。
ここの部分、また別の記事を書く時に、詳しく書く必要が
ありますが、
私達の、新しい人 染みも傷も咎もない現実は、
今はこの朽ちる地上の体の中にありながら、
現実は、完了の業で 完全に修復された、元の姿なのです。
これは、”肉の目” Carnal Eyes 今までの既存の脳回路から
見ていては、理解出来ない部分なのです。
しかも、そうなったように、見えないし、そのように
感じないし、いつもそう行動出来ないとしても、中身は既に、
新しい人に、変わっている事、完了の業で、
変態していることが、 書かれているのです。
そして、もちろん、今のこの朽ちる体、世界が、
永遠に続くのではなく、やがて来るべき日に、
朽ちない体になる日が来るのです。
神の造られた元の姿が、降りて来る日が来るからです。
今の世界の姿、私達の肉体の姿は、一時的な
ものです。
私達の新しい人のIDはそのまま、既に、
修復された者として来るべき世界へ、
移行するだけです。

聖書は、肉の目で読んでいては、分らない、不思議な事が
たくさん書かれています。
新しい人、キリストの思考回路を頂いた人、天的、神の目
から見るのではないと、本当に理解出来ない事が、
書かれています。
人間の神学は、それが、理解出来ないので、色々変えて
別の教えを作り出してしまうのです。
古い人の、肉の人の、今いる世界、エジプトで培った
考え、脳回路に沿ってしか、見る事がない考え方です。

聖書に書かれている事は、私達の既存の脳回路から見える
理解を遥かに超えている内容です。
普通の肉の目、古い人の思考回路、脳回路、人の教えの
レンズを通しては、ぼやけて見えない!
しかし、神の目から、神の言われる現実を、
注意深く読み取れば、驚くばかりの事が、
書かれているのです。
人間の理解を超えているから、信仰により、受け取り、
そこからスタートする人は、その理解不可能な領域を
発見、体験して行く事が出来るのです。

天の神の家に仕える祭司達は、完了の業を受けとった人達と、
書かれています。
聖なる者ー神の中に取り分けられた人=新しい人です。
そして、メルキゼデクは、アブラムの捧げものを受け取り、
祝福しました。
これは、アブラムを通して、全ての人が、メルキゼデクが
与えた祝福に預ったと、言う意味なのです。

神の真理は一貫しています。
一人の人を通して、全ての人へ与えられるからです。
アダムにより、神との分離、セパレーションが、入って来た
圏外へ出た、エデンから飛び出して、神と分離した場所に
閉じ込められてしまったのです。
そして、イエスさまにより、全ての人が、修復された業で
完了の業 エデンへ元の姿へ、修復が与えられたのです。

ここで、既存の脳回路からの、眺め方を捨てて、
神の目から、永遠から、ヘブライ思想的に、見る必要が
あるのです。

少し、内容が、飛んだり、前後しますが、
忍耐して、お読みくだされば、ありがたいです。
私達は、西洋思想、神学により、このように物事を見る様に、
教えられて来ました。

十字架の後先で、物事が変わったと教えられて来ました。
でも聖書をよく、読んで見ると、神の救いも、内住の神の
臨在も、神の人への取り扱いも、何もかも同じなのです。
それは、なぜか。
神は、永遠から永遠に変わらないお方だからです。
完了の業はもう、Mikedem=永遠の時から、用意されており、
完了!シャバット! 7日目に神が“全て”の業を止められた
それで、全ての事は、完了していたからです。

西洋年表思想に基づいて、それに沿って、物事を眺めては
違う景色、内容、様子に様変わりしてしまうのです。
神に取っては、どこのどの場所も、同じです。
空から、地上を、宇宙から、地球を眺める事を
想像すれば、ちょっと理解出来ると思います。
永遠から、物事を眺める。
どこからでも、見える。
そして、永遠の中の、それぞれの、人間の時なのです。

そして、注意深く、原典では、一体何が書いてあるのか、
その真意に本当に、たどり着かないと、誤解したまま
字面を読み、神の真理とは、神の言われている内容とは
違う結論に到達している内容が、
山ほどある事に、気がつきます。

しかも、西洋神学、分断思考 ヘレニズム思想的、教え
=三位一体の神と言われている神像を、
叩き込まれて来ましたが、聖書に書いてある、
イスラエルの神は、ECHADの神なのです。
なんだか、バラバラな3つの神で一つと言う意識を
持ってしまいますよね。
しかし、聖書は、違う事を,語っています。
全く1つの神。
一つ以上で全く一つと言う意味の
"Echad”=エハッド で書かれています。
申命記 6:4
イスラエルよ、 聞け、わたしたちの神である主は、
唯一の主である

だから、ルアフ ハ コデシュ=神の霊
父 子 救い主、または様々な、神の呼び名で 書かれている
そのどれもが、ECHADの全く一つの神なのです。
こう考えてみたら、ピンと来るかなと、思いめぐらして
いました。

水と言う物質、化学記号であらわすと、H2O
です。
水素原子(H)2つと酸素原子(O)1つが結合して
できています。
単独で、存在せず、一体です。
それでなければ、水には、なれないからです。
それが、水蒸気になろうと、液体だろうと、氷で個体だろうと
同じ要素なのと、同じです。
霊であれ、アバ父と呼ばれようと、救い主、または
イェシュアと呼ばれる形で、どんな形で現れようと、
同じECHADの神なのです。
一人だけが、出て来たのではなく、神ご自身 丸ごと
シャロームなのです。
そして、どの時代にも、同じ様に、神が存在している
事を、考えれば、西洋神学の教える、神像が
ちょっと聖書とはズレている事に気がつくのです。
恵みの時代、怒りの時代、聖霊時代などなどは
聖書的な教えではないのです。

長くなるので 続く