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何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

 

 

 

ユダの手紙1章

7)また、ソドム、ゴモラおよび周囲の町々も彼らと同じように、好色にふけり、不自然な肉欲を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受けて、みせしめにされています。

 

17)愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。

 

18)彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現われる。」

 

19)この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間(御霊によって新生していない名ばかりのクリスチャン)です。

 

20)しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り(異言の祈りだけとば限らない)、

 

21)神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。

 

22)疑いを抱く人々をあわれみ(確信づけ)、

 

23)火の中からつかみ出して救い、またある人を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。

 

24)あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、

 

25)すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。

 

 

 

 

マタイ10章15節

まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。

 

 

 

 

ルカ17章

1)イエスは弟子たちにこう言われた。「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者は、忌まわしいものです。

 

2)この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。

 

3)気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒め(同じ過ちを繰り返さないよう注意し)なさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。

 

4)かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」

 

しかし、その人に裁きを下す(理非を明らかにする)のは主なる神イエス・キリストです。

 

はっきりと聖書に罪であると明らかにされている事柄(真実)を完全に否定、或いは曖昧にしているクリスチャンと銘打っている人達に気付いたなら、そこから速やかに遠ざかる事をお勧めします。

 

 

 

 

無知が悲劇を呼ぶというのはこういう事なのかも...。

 

 

 

 

 

 

 

どの曲も全くもって上手く表現されすぎていて笑うしかないです。

 

 

 

 

やっぱりこれも偽旗の臭いがぷんぷんしてそうです。

 

 

 

 

トランペット氏は一度も自分の医療診断証明をはっきり公表した事がありません。

 

 

 

 

貪欲なテクテクカンパニーは私達の自由をすべてコントロールしようと抜け目なく動き回っています。

 

 

 

 

テクテクカンパニーの悪魔的魔術に完全に乗っ取られてしまったら最後、抜け出すのは容易ではありません。叫びドクロ

 

 

 

 

 

 

 

黙示録21章8節

しかし、おくびょう者、不信仰の者、にくむべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。

 

臆病者が先頭に記されていることに注目。

 

臆病者とは、物事に対して、すぐに怖がったり、尻込みしたりする小心者。また、気が小さく弱い人。

 

ここに記されている臆病者とは、御言葉の意味する真実を恐れて目を逸らし、知ろうとも探ろうともしない人達の事も含まれていると思われます。

 

テモテ1章7節

神が私たちに与えてくださったのは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

 

ヨハネ14章

25)このことをわたしは、あなたがたといっしょにいる間に、あなたがたに話しました。

 

26)しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

 

26)わたしは、あなたがたに(聖霊による)平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの(聖霊による)平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。

 

 

 

 

ヨエル書2章

 

28)その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。

 

29)その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。

 

30)わたしは天と地に不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱(原爆?)である。

 

31)主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。

 

32)しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。主が仰せられたように、シオンの山、エルサレムに、のがれる者があるからだ。その生き残ったもののうちに、主が呼ばれる者がいる。(右矢印使徒2章17~21節)

 

 

 

 

 

 

4月17日の早朝に見た夢についてです。

 

夢の中で私は、大学卒業後初めて働いた会社で、早退する時間まで窓に対面する机に座って外を眺めていました。

 

私は、会社に属してはいましたが、既に仕事からは解放された存在のように感じました。

 

そして、早退する時刻が迫ったので壁の時計を見たら、時間は正午に3分前でした。

 

その後、場面が変わり、帰ろうとして廊下に出ると、職場の先輩が各部屋のドアに鍵をかけているところでした。

 

私は、飲み終えたカップの中のティーバッグを捨てたかったのですが、全ての部屋のドアが閉められていたので、唯一ドアのない小キッチンにあるゴミ箱にそれを捨てました。

 

不思議な事に、私だけが早退するのかと思ったら、職員全員が既に帰った後で、職場に残っていたのは先輩と私だけでした。

 

それともう一つ、お昼の12時だというのに、周囲は既に真暗な状態になっていた事です。

 

その後、私は夢から覚めました。

 

 

 

 

マタイ25章

1)そこで、天の御国は、たとえで言えば、それぞれが(聖霊の)ともしびをもって、花婿を出迎える十人の娘のようです。

 

2)そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。

 

3)愚かな娘たちは、(聖霊の)ともしびは持っていたが、(聖霊の)油を用意しておかなかった。

 

4)賢い娘たちは、自分の(聖霊の)ともしびといっしょに、入れ物に(聖霊の)油を入れて持っていた。

 

5)花婿の来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。

 

6)ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。

 

7)娘たちは、みな起きて、自分の(聖霊の)ともしびを整えた。

 

8)ところが、愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『(聖霊の)油を私たちに分けてください。私たちの(聖霊の)ともしびは消えそうです。』

 

9)しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』

 

10)そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意の出来ていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸が閉められた。

 

11)そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください。』と言った。

 

12)しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません。』と言った。

 

13)だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。

 

ここで見えてくるのは、聖霊の火を灯し続けているクリスチャンと聖霊を持っていたとしてもその灯火が消えているクリスチャンの二通りです。

 

イザヤ書50章

10)あなたがたのうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。暗やみの中を歩き、光(キリストのともしび)を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神(或いは偽キリストのともしび)に拠り頼め。

 

11)見よ。あなたがたはみな、火をともし、燃えさしを身に帯びている。あなたがたは自分たちの火(偽キリスト)のあかりを持ち、火をつけて持って歩くがよい。このことは、わたしの手によってあなたがたに起こり、あなたがたは、苦しみのうちに伏し倒れる。

 

 

 

 

イザヤ書59章

8)彼らは平和の道を知らず、その道筋には公義がない。彼らは自分の通り道を曲げ、そこを歩む者はだれも、平和を知らない。

 

9)それゆえ、公義は私たちから遠ざかり、義は私たちに追いつかない。私たちは光を待ち望んだが、見よ、やみ。輝きを待ち望んだが、暗やみの中を歩む。

 

10)私たちは盲人のように壁を手さぐりし、目のない者のように手さぐりする。真昼でも、たそがれ時のようにつまずき、やみの中にいる死人のようだ。

 

 

 

 

真理が歪められた時代...。

 

私達は今正に、本格的に真理(キリストの光)が歪められた不真実(暗闇)な終りの時代に突入しようとしています。

 

 

 

 

 

 

 

ベニヤミン族の子孫としてタルススに生まれたパウロは、父の古くからの友人であるパリサイ派のガマリエルの下で8年間受けたユダヤ教の律法と伝統についての教育によって、かなりの知識を持っていました。

 

ガマリエルによってサンヘドリンの協議会に推薦されたパウロは、ステパノの石打に賛同し、クリスチャンへの迫害を率先してやっていました。

 

しかし、エルサレムからダマスコへの道中で、パウロの人生のコースが180度変わってしまう出来事が起こります。

 

眩いばかりの光に打たれ目が見えなくなり、イエス様の「なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞きます。

 

そして、アナニアに手を置かれ、聖霊によって目を癒されたパウロは、神が誰であるのかはっきりと分かって回心し、御言葉を詳しく調べ上げ、それから広く宣教活動を開始します。

 

その後の彼の生涯はローマで斬首刑にされるまで、常に迫害と隣り合わせの波乱万丈人生でしたが、彼は最後まで神の栄光を現わし続け、彼に与えられた神の御心の人生のレースを走り終えました。

 

使徒パウロの書いた多くの手紙は、初期のキリスト教思想に大きく貢献する深い神学と哲学の知識に反映しています。

 

彼は少なくともヘブライ語とギリシャ語、またおそらくラテン語も話す事が出来たようです。

 

 

 

 

 

第二ペテロ3章

15)また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵(先に簡単に書いたとおり、この奥義は、啓示によって私[パウロ]に知らされたのです。エペソ3章3節)に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。

 

16)その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります(この方[キリスト]について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、解き明かすことが困難です。ヘブル5章11節)。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。

 

17)愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならにようにしなさい。

 

18)私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。