何とかなるさ...の世界!? -122ページ目

何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

現在、エルサレムにある神殿の丘は、実は本当の神殿の丘ではないようです。

 

その事について詳しく説明しているビデオがあったので紹介します。

 

所々省きながら、私なりに大まかに訳してみました。

 

 

ソロモン王とヘロデ王が彼等の神殿をエルサレムの現在の神殿の丘に建てたという歴史は、非常に間違っているかもしれません。

 

しかし、ユダヤ人やキリスト教徒は疑いなく信じています。

 

これらの神殿は、何百年もの間隠され、神殿の丘に移され、残りの契約の箱の至聖所でした。

 

ユダヤ人にとって、この神殿の丘は地球上で最も神聖な場所であると同時に、また、多くのイスラム教徒にとっても、ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされたことで、神聖な場所なのです。

 

そういったことから、この地ではユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教徒等の争いが、過去3000年以上もの間絶えることなく続いている、最も地球上で血の流れた場所でもあるのです。

 

多くの人々が、この地で第三次世界大戦が起こると信じています。

 

しかし、この神殿の丘は本当の場所ではなく、別に真の神殿があるのです。

 

ビデオでは、ボブ・コルヌクという聖書探検家が聖書の記述を手がかりにその真実の場所に迫って行きます

 

紀元前957年、ソロモンが神を礼拝し、生贄を奉げ、契約の箱を収める家である神殿を建てました。

 

この素晴らしい施設を兼ね備えた神殿は、バビロニア人がそれを破壊し、イスラエル人を捕虜にした紀元前586年までそびえ立っていました。


紀元前515年頃、エルサレムに戻ることが出来たバビロニアを脱出したバビロニア人以外とイスラエル人達は、破壊された第一神殿の上に第二神殿を建てるよう指示されました。

この第二神殿は、ソロモンの第一神殿ほど素晴らしくはありませんでした。

紀元前20年ヘロデ王が第二神殿の改装と拡張を開始しました。

紀元後70年、ユダヤ人とローマ帝国間で起こったユダヤ戦争によって、再び神殿が破壊されました。

エゼキエル書に記されているように、今日多くのユダヤ教徒やキリスト教徒たちは、第三神殿が再建されるだろうと予想しています。

伝承によると、それは、ソロモンとヘロデ神殿のある同じ場所に再建されなければなりません。

そして、ボブ・コルヌクが数年前にソロモンとヘロデ神殿の本当の場所を探し始めた頃、彼はマタイ24章を読んでいました。

マタイ24:2
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」


「シオンとエルサレムと呼ばれる丘、そこにある建物、そのいわゆる神殿は完全に取り除かれ、或いは揺り動かされる。」 -エウセビオス(3世紀歴史家)-

 

 

 

西側の壁は神殿の一部ではありません。

 

紀元前63年頃、ローマ人は町を獲得します。

 

その後、300年以上ローマ帝国はエルサレムを中心に支配していました。

 

では、ローマ兵達はどこに滞在していたのでしょうか。

 

今まで誰一人としてローマの要塞の痕跡を発見した者はいません。

 

なぜなら、それは神殿の丘に置かれていたからだとボブは信じています。

 

そして、それがローマの要塞だったのです。

 

神殿の丘の大きさを見ると、それが多くのローマの要塞の長さと同じなのがわかります。

 

神殿の丘にあったローマの要塞の位置が、今日まだ残されている遺跡によって、どのように完全に破壊されたのかを説明しています。

 

西側の壁は、ヘロデ神殿の跡ではなく、実はローマの要塞の一部かもしれません。

 

マサダの司令官エリアザル・ベン・ジャールは、「エルサレムは現在基盤がなくなり、何も残っていませんが、その記念碑が残されています。それは、まだその遺跡に残っている破壊されたローマ人の収容所を意味します」と伝えています。

 

ビデオでは歴史的に見て、やはり、現在伝統的に言われている神殿の丘は本当の場所でなく、実はダビデの町がそうなのだと結論付けています。

 

サムエルⅡ5:9

こうしてダビデはこの要害を住まいとして、これをダビデの町と呼んだ。ダビデはミロから内側にかけて、回りに城壁を建てた。

 

サムエルⅡ24:18

その日、ガドはダビデのところに来て、彼に言った。「エブス人アラウナの打ち場に上っていって、主のために祭壇を築きなさい。」

 

歴代誌Ⅱ3:1

こうして、ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現されたところ、すなわちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建設に取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた。

 

ダビデの町は、またシオンとも言われています。

 

サムエルⅡ5:7

しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これが、ダビデの町である。

 

3世紀の歴史家エウセビオスは、神殿はシオンだと書いています。

「シオン、またエルサレムと呼ばれる丘、そこにある建物、つまり神殿」

 

1930年代の写真を見つつ、ミカ書の預言を読んでみると、次のように記されています。

 

ミカ書3:12

それゆえ、シオンは、あなたがたのために、畑のように耕され、エルサレムは廃墟となり、この宮の山は森の丘となる。

 

これによると、神殿は耕された畑のようになるとありますが、現在の神殿の丘にはそのような部分は見受けられません。

 

そして、あの城壁は数千年前からあそこにあります。

 

そういった点も踏まえつつ、考古学者達はダビデの町を発掘調査しています。

 

列王記Ⅰ8:1

そのとき、ソロモンはイスラエルの長老たち、およびイスラエル人の部族のかしらたちと一族の長たちをすべて、エルサレムのソロモン王のもとに召集した。ダビデの町シオンから主の契約の箱を運び上るためであった。

 

少し知られている歴史記述には、2つの覆われた回廊が北のアントニアの要塞と南のヘロデ神殿の間に600フィート(約183m)拡張してあったとあります。

 

歴史家ヨセフスはそのことについて説明しています。

「さて、アントニアの塔についてですが、それは神殿の中庭の2つの回廊の隅、西と北に置かれていました。」

 

そして彼は、それからアントニアは神殿の守衛塔で、より高い丘に位置していました。

 

これらの説明で、要塞は神殿の丘より高い場所にあり、神殿は600フィート南の標高が低い所にあったことを裏付けています。

 

また、使徒行伝にそのことを証明する話が出てきます。

 

使徒21:32

"At once he (the commander) took along some soldiers and centurians and ran down to them."

彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて...

 

そして40節にはパウロがどのようにして民衆に語りかけたかを説明しています。

 

使徒21:40

"Poul standing on the stairs ...spoke to them."

パウロは階段の上に立ち...彼らに話した。

 

これらは、アントニアの要塞の後方に続く階段でした。

 

さて、神殿の場所についての別の手がかりは、ギホンの泉です。

 

列王記Ⅰ1:38

"So Zadok the priest... had Solomon ride on David's mule, and took him to Gihon."

そこで、祭司ツァドク...ソロモンをダビデ王の雌騾馬に乗せ、彼を連れてギホンへ行った。

 

列王記Ⅰ8:63

ソロモンは主へのいけにえとして和解のいけにえを奉げた。すなわち牛二万二千頭と羊十二万頭。

 

生贄を奉げた後の始末には洗浄するために大量の水が必要でした。

 

ローマの歴史家タキトゥスは、神殿には「無尽蔵の泉があった」と語っています。

 

神を礼拝するために神殿に入る前に祭司は、きれいな水で体を完全に洗い清めなければなりませんでした。

 

それがギホンの泉の水だったのです。

 

これらの事を踏まえても、現在神殿の丘と呼ばれている場所は、全くもって真の神殿の丘とはいえないのです。

 

ギホンの泉が流れるのは、この場所なのです。

 

多くのユダヤ人達も神殿があったのは、ダビデの町だと思っているようです。

 

ダビデ王よりも800年以前に人々は、ここを礼拝場所として利用し、紀元前7世紀の初めから8世紀の終わりまで使っていました。

 

これが、ダビデの町として知られる唯一の場所です。

 

最近考古学者等によって、生贄の動物を切った時に出る血を流す溝や、その動物を繋ぎとめておく穴、それに動物の骨の山などが発見されています。

 

イスラエルの考古学者は、これがソロモン神殿とはっきりと断定してはいませんが、しかし、この場所が何らかの神殿であることは間違いありません。

 

それが、歴代誌Ⅱに出てくる場所と一致するのです。

 

歴代誌Ⅱ3:1

こうして、ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現された所、すなわちエルサレムのモリヤノ山上で主の家の建設に取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた。

 

ルカ8:17

隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。

 

聖書が全てを物語っています。

人間の憶測ではなく、神が私達に語っておられるのです。

 

 

 

 

 


これは、2016年にロン・ワイアットの遺業を受け継いで発掘した契約の箱について語られているビデオです。

 

ロン・ワイアットの発掘調査の詳細については、こちらをご覧下さい。

 

だいたい語られている内容は同じような事ですが、所々付け足しておきます。

 

まず、考古学者ケビン・フィッシャーがスタジオで3Dプリンターでプリントされた契約の箱と恵みの御座、そして小さなざくろとゴリアテの剣を紹介しています。

 

また、契約の箱に注がれた血については以下のように説明がなされています。

 

レビ記16:14

彼は雄牛の血を取り、指で『購いのふた』の東側に振りかけ、また指で七たびその血を『購いのふた』の前に振り掛けなければならない。

 

契約の箱、恵みの御座の東側(向かって右)には、生贄の雄牛の血が振り掛けられていましたが、西側(左)には、救い主の購いの血が注がれる時のために開けておかれました。

 

そのことを祭司は既に知っていたのです。

 

ダニエル9:24

あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を購い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油を注ぐためである。

 

レビ記17:11

なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で購うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして購いをするのは血です

 

イエスの命が血で表され、罪のないイエスの命(血)が私達の罪の購いのために置かれたことを意味しています。

 

Israel Antiquities Authority(イスラエル古代遺産公社?)のウエブサイトには、「発掘は、1883年にチャールズ・.ゴードン将軍によってゴルゴタと特定された自然岩盤露頭の南側で行なわれました。」「ロン・ワイアットはこの地点でいくつかの地下室を発掘しました。」と記されています。

 

イスラエル政府は、ロン・ワイアットの前にチャールズ・ゴードン将軍の発掘調査で洞窟の存在を知っていた事を認めているのです。

 

今日、ゴルゴタの園の墓にある土産店に行くと、店の棚に「ゴルゴタの上のゴードン将軍」("General Gordon on Golgoda")という本が並んでいるのが見られます。

 

本の中には、彼がゴルゴタで発見した物について書かれています。

 

「契約の箱は、エレミヤの洞窟にあると思われます。ユダヤ人の伝承では、箱が岩のドームの下にあるとありますが、私はそれが実際にはエレミヤ執筆の哀歌に出てくる伝承による、ドクロ(ゴルゴタ)の下にあると思います。」...

 

契約の箱が隠されていると信じられてきた神殿の丘の岩のドームの下には、手がかりとなる何の証拠も見つかっていません。

 

しかし、アークが発見されたのはゼデキアの洞窟です。

 

ビデオでは、ゼデキアの洞窟からアークの位置する部屋までの、ロンが発見したトンネル部分の発掘の様子を説明しています。

 

ヨハネ19:41

イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだ誰も葬られたことのない新しい墓があった。

 

マタイ27:65、66

ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい。」と彼らに言った。

 

そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。

 

ヨハネ19:17、18

彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。。

 

彼らはそこでイエスを十字架につけた。イエスといっしょに、ほかのふたりの者をそれぞれ両側に、イエスを真中にしてであった。

 

ビデオの中に写っているテーブルの下40から44フィート(約12、13m)辺りに契約の箱が置かれています。

 

そしてその後ろの岩盤の下に十字架穴があります。

 

マタイ27:51

岩が裂けた...。

 

大きな地震が起きた時に岩が裂けて、血が裂け目から洞窟の方へ流れ落ちていきました。

 

その大きな裂け目が写真でも見受けられます。

 

およそ25フィート(7.6m)下にある十字架穴は今は埋められています。

 

また、洞窟で見つけたオイルランプは、六つをイスラエル政府が、そしてもう一つをロンが所持しました。

 

そのオイルランプには、アブラハムがイサクを生贄として神に捧げようとした時に、神がイサクの代わりに子羊を用意した時のことが絵柄になっています。

 

そして、アブラハムがイサクを奉げようとした同じモリヤの山で、2000年後に神は自分の御子を生贄としたのです。

 

第一サムエル21:9

祭司は言った。「あなたがエラの谷で打ち殺したペリシテ人ゴリアテの剣が、ごらんんなさい、エポデの後ろに布に包んであります。よろしければ、持って行ってください。ここには、それしかありませんから。」ダビデは言った。「それは何よりです。私に下さい。」

 

ビデオでは、62インチ(157.48cm)のゴリアテの剣を紹介しています。

 

そして、ロンの死後数年以上経って漸く、この場所が近い将来公に公開されようとしています。

 

その後ビデオは、ロン・ワイアットが見つけた血液の検査結果について話している場面を流しています。

 

検査の結果、その血液は人間のではない特殊な血液だという事が判明されました。

 

「救い主のもの」だと...。

 

第一テモテ2:5、6
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。

 

キリストは、すべての人の購いの代価として、ご自信をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。

 

神は、これらすべてが明るみにされる時の事をちゃんと御計画されています。

 

第一ヨハネ5:6~9

このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。

 

あかしするものが三つあります。

 

御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。

 

もし、私達が人間のあかしを受け入れるなら、神のあかしはそれにまさるものです。御子についてあかしされたことが神のあかしだからです。

 

詩篇85:11

まことは地から生えいで、義は天から見おろしています。

 

ノアの方舟や、紅海横断、シナイ山、ソドムとゴモラといった真実が明るみに出されてきます。

 

それと共に、イエスが救い主であるという究極の証拠や十戒、イエスの血が特殊であるという検査結果、これら三つの証拠が明るみに出されるのを誰もが直面する事になります。

 

黙示録11:19

それから、天にある、神の神殿が開かれた。神殿の中に、契約の箱が見えた。また、いなずま、声、雷鳴、地震が起こり、大きな雹が降った。

 

 

主の祈り (イエス様が使っていたとされるアラム語)

 

 

天にまします我らの父よ

願わくは御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたまえ

みこころの天になるごとく

地にもなさせたまえ

我らの日用の糧を今日も与えたまえ

我らに罪を犯すものを我らが許すごとく、

我らの罪をも許したまえ

我らを試みに合わせず、

悪より救い出したまえ

国と力と栄とは、

限りなく汝のものなればなり

 

アーメン

 

 

~第一テモテ3章6節~

 

(確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。)

 

「キリストは肉において現れ、

 

霊において義と宣言され、

 

御使いたちに見られ、

 

諸国民の間に宣べ伝えられ、

 

世界中で信じられ、

 

栄光のうちに上げられた。」

 

First "Christian Church" in Jerusalem

 

 

内容を以下のような感じでまとめてみました。

 

ビデオでは、ビデオ主がエルサレムのクリスチャン女性に連れられて、シオンの山にある秘密の場所、隠された遺跡、イエスの(半)兄弟使徒ヤコブの教会に向かいます。

 

*エルサレムのキリスト教会は、キリスト教信仰の中心で、長老ヤコブはその教会の指導者でもありました。

 

当時、この教会はローマ帝国の迫害下にあったため、地下に作られていました。

 

その教会は、現在シオンの山の駐車場の一部にあり、柵で囲われています。

 

柵の間から下を見下ろすと、祭壇が見えます。

 

以前は二つあった祭壇が、なぜか一つだけ移されてしまったようです。

 

2000年前の建物が、なぜ駐車場の下でこのように荒涼とし、荒廃してしまったのか...。

 

なぜ、使徒たちが使用していた最初の教会であるこのような重要な場所が公表されてこなかったのか...。

 

奥には、ミクワー(バプテスマ用の清めの風呂)があり、また迫害から逃れるための抜け穴もありました。

 

カタコンベの真下には、最初のユダヤ・キリスト教のシンボルが発見され、1960年代には魚の尾と絡み合っている燭代も修道士によって発見されています。

 

次にビデオ主は、エルサレム総主教庁に赴き、その閉ざされた教会の中を開けて見せてもらっています。

 

入って階段を下りる途中にミクワーがあり、周囲は2000年前の壁で囲まれています。

 

当時のクリスチャンは、ローマの迫害を避けるため、このような地下室で礼拝を奉げていました。

 

床に散らばった沢山のゴミ屑...。

 

この場所を汚し続けているのは、宗教過激派ではなく、反キリスト者達だと案内人は口にしました。

 

彼等は、イエスがユダヤ人で救世主である事を嫌い、ましてや彼は神などではないと否定します。

 

彼等は、この場所はダビデ王のためのものだと言っているのです。

 

続けて案内人は言います。

 

 

ダビデ王のためだったら、何故きれいにしておかないのかと。

 

この場所を人々に公開するべきだとも。

 

ここが本当にクリスチャン誕生の公式な場所、いわゆるイエスの弟子たちに聖霊が下ったとされる、クリスチャン誕生の公式な場所とされるのです。

 

これは世界で最も非常に重要な場所のひとつとも言えます。

 

イエスの母マリヤもここに来てバプテスマを受けました。

 

そして、この場所でキリストを受け入れた多くの人々がバプテスマを受けたのです。

 

使徒2:38

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊をうけるでしょう。」

 

使徒2:36

ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスをあなた方は十字架につけたのです。」

 

使徒2:41

そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

 

本質的に、これが本当にイエス(が昇天された)後の教会の誕生と言えます。

 

それは、集まり(集会)だったと言う事ができます。

 

地元住人たちでさえ、これが最初の教会だと呼んでいます。

 

それは、金や銀、ましてや宝石などで(出来たもので)もありませんでした。

 

最初の教会はイエス(が土台)だったのです。

 

イエス...、全てが彼のためでした。

 

それがもたらす、可能な限りの犠牲、それが最初の教会だったのです。

 

― もし、私達が黙ってい続けるなら、石が叫ぶだろう ―