隠された丘 | 何とかなるさ...の世界!?

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いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

現在、エルサレムにある神殿の丘は、実は本当の神殿の丘ではないようです。

 

その事について詳しく説明しているビデオがあったので紹介します。

 

所々省きながら、私なりに大まかに訳してみました。

 

 

ソロモン王とヘロデ王が彼等の神殿をエルサレムの現在の神殿の丘に建てたという歴史は、非常に間違っているかもしれません。

 

しかし、ユダヤ人やキリスト教徒は疑いなく信じています。

 

これらの神殿は、何百年もの間隠され、神殿の丘に移され、残りの契約の箱の至聖所でした。

 

ユダヤ人にとって、この神殿の丘は地球上で最も神聖な場所であると同時に、また、多くのイスラム教徒にとっても、ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされたことで、神聖な場所なのです。

 

そういったことから、この地ではユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教徒等の争いが、過去3000年以上もの間絶えることなく続いている、最も地球上で血の流れた場所でもあるのです。

 

多くの人々が、この地で第三次世界大戦が起こると信じています。

 

しかし、この神殿の丘は本当の場所ではなく、別に真の神殿があるのです。

 

ビデオでは、ボブ・コルヌクという聖書探検家が聖書の記述を手がかりにその真実の場所に迫って行きます

 

紀元前957年、ソロモンが神を礼拝し、生贄を奉げ、契約の箱を収める家である神殿を建てました。

 

この素晴らしい施設を兼ね備えた神殿は、バビロニア人がそれを破壊し、イスラエル人を捕虜にした紀元前586年までそびえ立っていました。


紀元前515年頃、エルサレムに戻ることが出来たバビロニアを脱出したバビロニア人以外とイスラエル人達は、破壊された第一神殿の上に第二神殿を建てるよう指示されました。

この第二神殿は、ソロモンの第一神殿ほど素晴らしくはありませんでした。

紀元前20年ヘロデ王が第二神殿の改装と拡張を開始しました。

紀元後70年、ユダヤ人とローマ帝国間で起こったユダヤ戦争によって、再び神殿が破壊されました。

エゼキエル書に記されているように、今日多くのユダヤ教徒やキリスト教徒たちは、第三神殿が再建されるだろうと予想しています。

伝承によると、それは、ソロモンとヘロデ神殿のある同じ場所に再建されなければなりません。

そして、ボブ・コルヌクが数年前にソロモンとヘロデ神殿の本当の場所を探し始めた頃、彼はマタイ24章を読んでいました。

マタイ24:2
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」


「シオンとエルサレムと呼ばれる丘、そこにある建物、そのいわゆる神殿は完全に取り除かれ、或いは揺り動かされる。」 -エウセビオス(3世紀歴史家)-

 

 

 

西側の壁は神殿の一部ではありません。

 

紀元前63年頃、ローマ人は町を獲得します。

 

その後、300年以上ローマ帝国はエルサレムを中心に支配していました。

 

では、ローマ兵達はどこに滞在していたのでしょうか。

 

今まで誰一人としてローマの要塞の痕跡を発見した者はいません。

 

なぜなら、それは神殿の丘に置かれていたからだとボブは信じています。

 

そして、それがローマの要塞だったのです。

 

神殿の丘の大きさを見ると、それが多くのローマの要塞の長さと同じなのがわかります。

 

神殿の丘にあったローマの要塞の位置が、今日まだ残されている遺跡によって、どのように完全に破壊されたのかを説明しています。

 

西側の壁は、ヘロデ神殿の跡ではなく、実はローマの要塞の一部かもしれません。

 

マサダの司令官エリアザル・ベン・ジャールは、「エルサレムは現在基盤がなくなり、何も残っていませんが、その記念碑が残されています。それは、まだその遺跡に残っている破壊されたローマ人の収容所を意味します」と伝えています。

 

ビデオでは歴史的に見て、やはり、現在伝統的に言われている神殿の丘は本当の場所でなく、実はダビデの町がそうなのだと結論付けています。

 

サムエルⅡ5:9

こうしてダビデはこの要害を住まいとして、これをダビデの町と呼んだ。ダビデはミロから内側にかけて、回りに城壁を建てた。

 

サムエルⅡ24:18

その日、ガドはダビデのところに来て、彼に言った。「エブス人アラウナの打ち場に上っていって、主のために祭壇を築きなさい。」

 

歴代誌Ⅱ3:1

こうして、ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現されたところ、すなわちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建設に取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた。

 

ダビデの町は、またシオンとも言われています。

 

サムエルⅡ5:7

しかし、ダビデはシオンの要害を攻め取った。これが、ダビデの町である。

 

3世紀の歴史家エウセビオスは、神殿はシオンだと書いています。

「シオン、またエルサレムと呼ばれる丘、そこにある建物、つまり神殿」

 

1930年代の写真を見つつ、ミカ書の預言を読んでみると、次のように記されています。

 

ミカ書3:12

それゆえ、シオンは、あなたがたのために、畑のように耕され、エルサレムは廃墟となり、この宮の山は森の丘となる。

 

これによると、神殿は耕された畑のようになるとありますが、現在の神殿の丘にはそのような部分は見受けられません。

 

そして、あの城壁は数千年前からあそこにあります。

 

そういった点も踏まえつつ、考古学者達はダビデの町を発掘調査しています。

 

列王記Ⅰ8:1

そのとき、ソロモンはイスラエルの長老たち、およびイスラエル人の部族のかしらたちと一族の長たちをすべて、エルサレムのソロモン王のもとに召集した。ダビデの町シオンから主の契約の箱を運び上るためであった。

 

少し知られている歴史記述には、2つの覆われた回廊が北のアントニアの要塞と南のヘロデ神殿の間に600フィート(約183m)拡張してあったとあります。

 

歴史家ヨセフスはそのことについて説明しています。

「さて、アントニアの塔についてですが、それは神殿の中庭の2つの回廊の隅、西と北に置かれていました。」

 

そして彼は、それからアントニアは神殿の守衛塔で、より高い丘に位置していました。

 

これらの説明で、要塞は神殿の丘より高い場所にあり、神殿は600フィート南の標高が低い所にあったことを裏付けています。

 

また、使徒行伝にそのことを証明する話が出てきます。

 

使徒21:32

"At once he (the commander) took along some soldiers and centurians and ran down to them."

彼はただちに、兵士たちと百人隊長たちとを率いて...

 

そして40節にはパウロがどのようにして民衆に語りかけたかを説明しています。

 

使徒21:40

"Poul standing on the stairs ...spoke to them."

パウロは階段の上に立ち...彼らに話した。

 

これらは、アントニアの要塞の後方に続く階段でした。

 

さて、神殿の場所についての別の手がかりは、ギホンの泉です。

 

列王記Ⅰ1:38

"So Zadok the priest... had Solomon ride on David's mule, and took him to Gihon."

そこで、祭司ツァドク...ソロモンをダビデ王の雌騾馬に乗せ、彼を連れてギホンへ行った。

 

列王記Ⅰ8:63

ソロモンは主へのいけにえとして和解のいけにえを奉げた。すなわち牛二万二千頭と羊十二万頭。

 

生贄を奉げた後の始末には洗浄するために大量の水が必要でした。

 

ローマの歴史家タキトゥスは、神殿には「無尽蔵の泉があった」と語っています。

 

神を礼拝するために神殿に入る前に祭司は、きれいな水で体を完全に洗い清めなければなりませんでした。

 

それがギホンの泉の水だったのです。

 

これらの事を踏まえても、現在神殿の丘と呼ばれている場所は、全くもって真の神殿の丘とはいえないのです。

 

ギホンの泉が流れるのは、この場所なのです。

 

多くのユダヤ人達も神殿があったのは、ダビデの町だと思っているようです。

 

ダビデ王よりも800年以前に人々は、ここを礼拝場所として利用し、紀元前7世紀の初めから8世紀の終わりまで使っていました。

 

これが、ダビデの町として知られる唯一の場所です。

 

最近考古学者等によって、生贄の動物を切った時に出る血を流す溝や、その動物を繋ぎとめておく穴、それに動物の骨の山などが発見されています。

 

イスラエルの考古学者は、これがソロモン神殿とはっきりと断定してはいませんが、しかし、この場所が何らかの神殿であることは間違いありません。

 

それが、歴代誌Ⅱに出てくる場所と一致するのです。

 

歴代誌Ⅱ3:1

こうして、ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現された所、すなわちエルサレムのモリヤノ山上で主の家の建設に取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた。

 

ルカ8:17

隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。

 

聖書が全てを物語っています。

人間の憶測ではなく、神が私達に語っておられるのです。