何とかなるさ...の世界!? -114ページ目

何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

真の教会って一体どんな教会のことを言うのでしょうか。

ここに、私も共感できる説明をしているビデオがあったので載せておきます。

 

 

真の教会は魚の学校のよう。

 

こちらはスージーです。

彼女の夢はダンサーになることです。だから、彼女はダンスの学校に入りました。

 

こちらはノームです。

彼の夢は、他の魚の餌食にならないことです。だから、彼は魚の学校に入りました。

 

スージーの理想とする学校と、ノームの理想とする学校とは全く違います。

 

なので、彼等は学校について話す時、お互いに理解する事が出来ません。

 

スージーは、建物がないのにどうして魚の学校と呼ぶのか不思議に思い、またノームは、彼等はどうして場所から場所へと移動しないのに、それをダンスの学校と呼んでいるのか不思議に思うのです。

 

その混乱は、二つの非常に異なる意味を持った一つの言葉を使用している事から来ています。

 

スージーが言う所の学校とは、組織を調整する場所を意味し、ノームのそれは群れや一団のようなものを意味しています。

 

スージーと彼女の友人達が卒業しても、この種の学校は、メンバーが離れても尚存在します。

 

しかし、ノームとその友人達が別々の道を歩む時、彼等のいなくなった学校は解散し無くなります。

 

二つの非常に異なる意味を持った一つの言葉、これは教会という言葉においても同じことが言えます。

 

実際に、ここに最初のキリスト教徒の一人マックスをノームの側に置くことにしましょう。

 

なぜなら、マックスの教会の概念は、ノームの魚の学校に非常によく似ており、マックスの教会は、主に極小さな家族や一握りの友人達、そして隣人だけなのです。彼等は、殆ど毎晩彼の家で会い、とても堅苦しくありません。マックスは、彼の教会が大好きで、よく彼等を単に彼の家族と呼びます。

 

さて、今度はエディを連れて来ましょう。

 

エドは、今日のクリスチャンの一人です。彼は自分の教会は、それほど大きいとは思っていませんが、しかしリビングルームには収まりきれない程の大きさです。だから、彼等は教会の建物を所有しています。また彼等には、様々な青少年プログラムと日曜学校のクラスを運営する少数の有給スタッフとボランティアもいます。

 

もし貴方がエドに教会と言う言葉が、ノームの魚の学校のようなクリスチャングループ、或いはスージーのダンスの学校のようにクリスチャンが参加する機関のどちらを表しているのか訪ねるとしたら、彼の答えに驚くかもしれません。

 

エドのような多くのクリスチャンは、マックスと全く同じ方法で教会について考えると思いますがそうではありません。

 

また、彼らが教会という言葉を使う方法が、今日のクリスチャンが教会という言葉を使用する幾つかの方法を聞くだけで明らかです。

 

「どんな教会にいきますか。」

「教会は何時に始まりますか。」

「あの綺麗な古い木造の教会を見て。」

 

いずれの場合も、教会は彼等自身とは別物です。

 

それは、貴方が「どんな教会に行くのか」という施設であり、「何時に教会が始まるのか」という催事であり、或いは、「あの綺麗な古い木造の教会を見て」という建物だったりするのです。

 

彼らが使う言葉の「教会」とスージーの使う「学校」という言葉を簡単に置き換えることが出来ます。

 

しかし、マックスの教会に対する愛着表現では、実際のところ滑稽に聞こえる事でしょう。

 

「どんな家族に行きますか。」

「家族は何時に始まりますか。」

「あの綺麗な古い木造の家族を見て。」

 

それは単純に意味を成しません。

 

そういう訳で、学校という一つの言葉には二つの異なった意味があり、教会という言葉には、私たちが別の意味を与えるまで、意味が一つしかなかったのです。

 

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マタイ18章

18)まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。

19)まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

20)ふたりでも三人でも、わたし(イエス)の名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。

 

エペソ4章 

2)謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛を持って互いに忍び合い、

3)平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。

4)からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。

5)主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。

6)すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。

 

結局のところ、御霊の一致のない所には真の教会も存在しないのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

裁きの日~驚くべき真実の幻~

 

 

※ストーリーは訳してません。

 

第一の裁き

イエス様を否定し知らないという罪

 

第二の裁き

種を蒔く(福音を伝える)兄弟達間でのゴシップと不和

 

第三の裁き

生ぬるい福音と姦淫の教え

 

マタイ7章

21)私に向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。

22)その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって奇跡をたくさん行なったではありませんか。』

23)しかし、その時、わたしは彼らに宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

 

24)だから、わたし(イエス)のこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。

25)雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩(しっかりした土台)の上に建てられていたからです。

26)また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。

27)雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。」

 

 

 

 

巷では今すごく騒がれていますが、私がこのBTSというグループを知ったのは極最近で、一ヶ月くらい前にテレビのグラハム・ノートンショーで見た時です。

 

全然、ケーポップに興味のない私は、彼らが踊って歌ってるのを見た時、何だかチャライグループに見え、あまりいい感じを受けませんでした(あくまでも私の感覚)。

 

歌っていた曲も「IDOL」という偶像と自己愛(ナルシスト)を強調するようなものだったのもあります。

 

もうはっきり言ってしまうと、悪魔的にしか見えなかったと言う事です。

 

と言うこことで、以下にこの「IDOL」に隠されたメッセージが、曲を逆回転することで聞き取れると言う事なので、そのビデオと説明訳を載せておきます。

 

 

太陽は、何時も偽宗教の中心にありました。古代の神秘宗教は、常に太陽や太陽円盤を神として崇拝しました。ギリシャ人はアポロを太陽の子として称え、ローマ人は太陽神ミトラに敬意を表しました。これらの異教の哲学はイルミナティの基礎を形成し、悪魔神の象徴としての太陽の重要性を示しています。

 

沈黙の誓願

 

ルーシー(ルシファー)

ごまかす、自分をごまかす

 

殆ど彼等が「自分を愛する」と言っている点に注目すると、それは「自分をごまかす」という結果になります。

 

あなた(自分)自身を愛するということは、邪悪なメッセージでしょうか。

 

本の並びが「Loser(敗者)」という風な綴りに並べられているのは、秘密のメッセージなのかどうか。

 

自分をごまかす

 

輝けるルーシー万歳!

ヘイ、ルーシー x2

ルーシー

堕ちて(堕落して)いる自分

自分をごまかす

 

今度は背後に巨大で危険なサメが、BTSが操り人形のように踊っている間、(彼等の歩みを追う危ないお兄さんのように)彼等を見ています。このサメは、彼等の所属する会社、あるいは取締役かもしれません。

 

自分をごまかす

知らなかった

欲しくなかった

アーティスト x3

ああ、くだらない、ドアを見て! x3

ルーシー万歳

 

グーグルプレーのマークと悪魔の印章

 

これらの色鮮やかな「物」は、ダンサー達がブードゥーダンスやフェスティバル、また神秘的な恍惚状態の時に使われます。

 

色鮮やかで不気味な「物」は、ブードゥーの霊の生まれ変わりを表わしています。

 

儀式舞踊を用いるアフリカ人は、しばしば精巧な衣装やマスク、儀式の音楽や楽器、特にドラムを必要とします。それは、祖先の虚構です。

 

イエスと私

ルーシー!

自分をごまかす x2

ルーシー万歳

自分をごまかす

 

自分を愛することはいけないことですか。

いずれにせよ、それは神様のメッセージではありません。

 

おそらく、私達自身の汚れを愛することは、私達自身の破壊に繋がるだけなのかもしれません。

 

ああ、くだらない、ドアを見て!

彼等に売られている。

 

彼は指を前から後ろに指しながら、「私は彼等に売られている」と言っています。(売っているのは魂、それとも体?)

 

彼等に売られている。

 

低い声のすぐ後に彼は繰り返しているようです。

 

彼等に売られている

(誰も望んでいない)

誰も望んでいない

(そして私は望んでいる)

そして私は望んでいる

 

モナーク(君主制)プログラミング(またはMKULTRA)は、悪魔儀式虐待(SRA)と複数人格障害(MPD)の要素からなるマインドコントロール技術です。

 

それは、ハンドラー(調教係)によって誘因され、プログラムされた変更人格を奴隷内に作り出すために、心理学、神経科学、及び魔術的な儀式の組み合わせを利用しています。

 

君主奴隷は、軍隊、性奴隷制度、娯楽産業などの分野で世界のエリートと結びついた組織によって利用されています。

 

複数の人格/BTSの変更された自我(エゴ)人格

 

ここで、ガラスの殻の中にいる「オリジナル」、つまり実際のメンバーを見ることが出来ます。

 

あるいは、彼等の変更された自我(エゴ)が彼等を現在「導いている」のでしょうか。

 

BTSは、彼等の変更された自我(エゴ)の制御を失ってしまいました。

 

私の中に何十人も何百人もの自分がいる。

 

今日、別の私を歓迎する

 

毒?

 

世界統制

 

 

 

 

 

以前に小羊の花嫁について、聖徒となるクリスチャンが花嫁になるのではなく、新しく来る聖なる都エルサレムが花嫁であると書きました。

 

この新しい聖なる都エルサレムは、栄光の教会であり、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないキリストの体(教会)の一つ一つの器官(クリスチャン)の集大成なのだと思います。

 

エペソ5:27

ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

 

第一コリント12章

12)ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。

13)なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。

14)確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官からなっています。

15)たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さなくなるわけではありません。

16)たとい、耳が、「わたしは目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。

17)もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。

18)しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。

19)もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。

20)しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。

21)そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。

22)それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。

23)また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見栄えのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、

24)かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。

25)それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。

26)もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。

27)あなたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。

 

黙示録19:8

花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。

 

その花嫁である聖なる都エルサレムが、聖められた体の一つ一つの器官を成す聖徒たちを都の中に取り込むことによって、調和された完全なる栄光の教会を完成させることになるのでしょう。

 

 

 

 

巷では浮かれ気分で悪魔際、ハロウィンを祝う人達がどんどん増えてきていますが、本当の意味を知らずに祝っている人達が殆どなのでしょう。

 

以下に載せたビデオは、そのハロウィンを祝ってはいけない理由を挙げています。

 

最初の方だけ省略しながら訳してみました(結構省いています)。

 

ハロウィンを祝ってはいけない10の理由

 

1)ハロウィンは悪魔の休日

2)ドアのそばの呪いのカボチャ

3)ハロウィンを祝ってドアを開ける(悪魔さん、いらっしゃい!)

4)「収穫(祭)」は、ハロウィンの代わりではない

5)衣装の背後にある妄想

6)キリストと相反するもの

7)11月1日は聖人の日ではない

8)神への裏切り

 

第一コリント10:21

あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。

 

9)ハロウィンが始まると、呪いが活発化する

10)ハロウィンは悪魔が仕掛けた罠

 

敵の目的は、あなたを十字架から遠ざけることです。

 

第一コリント10:20

いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私はあなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。

 

嘘とまやかしは、「無害」で「良く」また「かっこよく」見えるかもしれません。

 

第二コリント11:14

しかし、驚くには及びません。サタンさえ、光の御使いに変装するのです。

 

これらのまやかしは、あなたを地獄と呼ばれる所へ送るための悪魔の策略です。

 

神は私達が天国で神と共に永遠に過ごすように定めておられました。

 

悔い改め、神に立ち返る時です。

 

人生はゲームではありません。

 

ハロウィンを祝いたいなら、あなた次第です。

 

ハロウィンを祝う者は誰でも、その下にある呪いを理解していません。

 

イエスの御名と十字架に向かって、これらの呪いを破り、悔い改める時です。