真の教会を構成するものとは... | 何とかなるさ...の世界!?

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いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

真の教会って一体どんな教会のことを言うのでしょうか。

ここに、私も共感できる説明をしているビデオがあったので載せておきます。

 

 

真の教会は魚の学校のよう。

 

こちらはスージーです。

彼女の夢はダンサーになることです。だから、彼女はダンスの学校に入りました。

 

こちらはノームです。

彼の夢は、他の魚の餌食にならないことです。だから、彼は魚の学校に入りました。

 

スージーの理想とする学校と、ノームの理想とする学校とは全く違います。

 

なので、彼等は学校について話す時、お互いに理解する事が出来ません。

 

スージーは、建物がないのにどうして魚の学校と呼ぶのか不思議に思い、またノームは、彼等はどうして場所から場所へと移動しないのに、それをダンスの学校と呼んでいるのか不思議に思うのです。

 

その混乱は、二つの非常に異なる意味を持った一つの言葉を使用している事から来ています。

 

スージーが言う所の学校とは、組織を調整する場所を意味し、ノームのそれは群れや一団のようなものを意味しています。

 

スージーと彼女の友人達が卒業しても、この種の学校は、メンバーが離れても尚存在します。

 

しかし、ノームとその友人達が別々の道を歩む時、彼等のいなくなった学校は解散し無くなります。

 

二つの非常に異なる意味を持った一つの言葉、これは教会という言葉においても同じことが言えます。

 

実際に、ここに最初のキリスト教徒の一人マックスをノームの側に置くことにしましょう。

 

なぜなら、マックスの教会の概念は、ノームの魚の学校に非常によく似ており、マックスの教会は、主に極小さな家族や一握りの友人達、そして隣人だけなのです。彼等は、殆ど毎晩彼の家で会い、とても堅苦しくありません。マックスは、彼の教会が大好きで、よく彼等を単に彼の家族と呼びます。

 

さて、今度はエディを連れて来ましょう。

 

エドは、今日のクリスチャンの一人です。彼は自分の教会は、それほど大きいとは思っていませんが、しかしリビングルームには収まりきれない程の大きさです。だから、彼等は教会の建物を所有しています。また彼等には、様々な青少年プログラムと日曜学校のクラスを運営する少数の有給スタッフとボランティアもいます。

 

もし貴方がエドに教会と言う言葉が、ノームの魚の学校のようなクリスチャングループ、或いはスージーのダンスの学校のようにクリスチャンが参加する機関のどちらを表しているのか訪ねるとしたら、彼の答えに驚くかもしれません。

 

エドのような多くのクリスチャンは、マックスと全く同じ方法で教会について考えると思いますがそうではありません。

 

また、彼らが教会という言葉を使う方法が、今日のクリスチャンが教会という言葉を使用する幾つかの方法を聞くだけで明らかです。

 

「どんな教会にいきますか。」

「教会は何時に始まりますか。」

「あの綺麗な古い木造の教会を見て。」

 

いずれの場合も、教会は彼等自身とは別物です。

 

それは、貴方が「どんな教会に行くのか」という施設であり、「何時に教会が始まるのか」という催事であり、或いは、「あの綺麗な古い木造の教会を見て」という建物だったりするのです。

 

彼らが使う言葉の「教会」とスージーの使う「学校」という言葉を簡単に置き換えることが出来ます。

 

しかし、マックスの教会に対する愛着表現では、実際のところ滑稽に聞こえる事でしょう。

 

「どんな家族に行きますか。」

「家族は何時に始まりますか。」

「あの綺麗な古い木造の家族を見て。」

 

それは単純に意味を成しません。

 

そういう訳で、学校という一つの言葉には二つの異なった意味があり、教会という言葉には、私たちが別の意味を与えるまで、意味が一つしかなかったのです。

 

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マタイ18章

18)まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。

19)まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。

20)ふたりでも三人でも、わたし(イエス)の名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。

 

エペソ4章 

2)謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛を持って互いに忍び合い、

3)平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。

4)からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。

5)主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。

6)すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。

 

結局のところ、御霊の一致のない所には真の教会も存在しないのではないでしょうか。