現代教会への警告 ーWarning to The Modern Churchesー | 何とかなるさ...の世界!?

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いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

 

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多くの場合、最大の戦いの場は、私達の教会の中で起こります。

 

このビデオでは、多くの人々を真の福音から逸脱させる原因となっている、悪魔の戦略をお見せしましょう。

 

注意深く警戒し続ける事が肝要です。

 

なぜなら、これは貴方の目の前で起きている事かもしれないからです。

 

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兄弟姉妹、私達を惑わし、キリストの教えに従うという私達の目標から遠ざける可能性のあるものに対して用心深くなる事は、クリスチャンとしての旅路において窮めて重要な事です。

 

そこで、私達の目を逸らし、破滅させるために、悪魔が教会に潜入している方法をこれから紹介しましょう。

 

1)聞きたい事だけを話す説教

 

第一の攻撃は、「私達が聞きたい事だけを話す説教」です。

 

最近、クリスチャンコミュニティ、特にインターネットやソーシャルメディアで、興味をそそられると同時に、気になる説教のスタイルがある事に気が付きました。

 

いわゆる、やる気を起こさせるコーチングスタイルの説教です。

 

しかしそれは、励ましややる気を起こさせる言葉が重要である一方、神によって確立された真の道から人々を迷わせるかもしれません。

 

問題は、彼等が福音の真のメッセージを別の物に置き換えたり、取り消したりする時に生じます。

 

キリストに従う者として、クリスチャン生活とは、いつも気分が良く快適ではない事を忘れてはなりません。

 

兄弟姉妹、私達は、どんな代償を払ってでも霊的成長を追及する必要があるのです。

 

そして時には、その代償は非常に高いのです。

 

このような現代の説教は、殆どの場合、「神はそのままの貴方を愛しています。」とか、「貴方は変わる必要はありません。」、或いは「今のままで幸せなら、そのままで良いのです。神はそのままの貴方を愛しています。」というような歪んだ聖書の見方を助長しています。

 

しかしながら、兄弟姉妹、これは悔い改め明け渡し、そして新生の必要性という聖書の教えに反しているのです。

 

私達は、神が本当に私達を深く愛しておられ、私達のためにイエス様を遣わして死なせる事で、それを証明された事を理解する必要があります。

 

しかし聖書は、私達一人一人が自分の十字架を負い、それに伴う試練に立ち向かいながら主と共に歩まなければならないと、はっきり述べています。

 

慰めはするが挑戦はしない説教への需要が高まっている事は、悪魔が人々を信仰の本質から逸らす事に成功している事を明らかにしています。

 

使徒パウロは、第二テモテへの手紙の4章で、真理を無視して自分の欲望に合った作り話を好む人々について、既に警告していました。

 

ですから、この種の説教には細心の注意を払って欲しいのです。

 

2)やる気を起こさせる賛美

 

第二の攻撃は、「動機付け礼拝」です。

 

毎日のように、神への純粋な賛美というよりは、やる気を起こさせるメッセージのような賛美歌が生まれています。

 

このようなゴスペルソングは、感情に訴える効果があるにもかかわらず、主を賛美するよりむしろ、私達の自我に焦点を当てる事が多いのです。

 

聖書は、全身全霊で神を賛美する事の大切さを教えています。

 

詩篇95篇の冒頭には、私達は主に向かって喜び歌い、歌をもって賛美を捧げるべきだと書かれています。

 

更に、使徒パウロはコロサイ人への手紙3章16節で、キリストが詩篇、賛美歌、霊的な歌をもって互いに教え合いながら、彼等の間に豊かに住まわれるようにと促しています。

 

言い換えれば、これらの箇所は、私達が神を褒め称えるために礼拝を用いるべきである事を示しています。

 

キリストの無条件の愛と、私達の自我を傷つける事のないキリストの御業。

 

分かりますか。

 

聖書の詩篇はその好例です。

 

例えば、詩篇8章では、ダビデ王が真の礼拝のあり方について素晴らしい宣言をしています。

 

詩篇8篇3ー4節で彼が語っているのを見て下さい。

 

あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。貴方がこれを心に留められるとは。

 

自分を高揚させるあらゆる理由を持っていたイスラエルの王が、神とその被造物の偉大さの前では、人間は取るに足らない小さな存在だと認めている事に注目して下さい。

 

3)新しい教義の出現

 

そして、敵からの第三の攻撃は、「新しい教義の出現」です。

 

これは、最近の教会内で大混乱を引き起こしている、最も危険な種類の攻撃です。

 

悪魔は、「神は罪を憎んでいるが、罪人を愛している」というようなメッセージを利用しています。

 

悪魔は多くの人々を欺き、生き方を変える必要はないと信じ込ませて来ました。

 

このような教義は、説教壇からの説教や歌から、ジェンダーイデオロギーや同姓婚のような聖書にそぐわないと分かっているテーマの需要まで、様々な形で現われています。

 

キリスト教を名乗りながら、LGBTの神学を採用している教会がある事は言うまでもありません。

 

更に、全ての道は神に通じると言う言説で、異なる宗教観を統合するエキュメニカル(教会一致から広がって宗教一致)な動きも浸透しています。

 

問題は、誤った教えが教会の本来あるべき姿を弱め、暗闇の中で光となる使命からクリスチャンを遠ざけている事です。

 

教会が世に似れば似るほど、その強さと証は失われて行きます。

 

だからこそ聖書は、この世の規準に合わせるのではなく、神の言葉によって新しくなり、変容を求めるべきだと警告しているのです。

 

4)神に育てられた指導者を貶める

 

そして、霊的攻撃の第四の種類は、「神によって育てられた指導者を辱める」事です。

 

教会を弱体化させようとする敵のもう一つの策略は、クリスチャンコミュニティ内の指導者や有力者を攻撃する事です。

 

悪魔は、ミニストリーの最前線にいる人々を倒そうと、たゆまぬ努力を続けています。

 

なぜなら、重要な人物の転落が教会の力を削ぎ、信者と部外者の両方にスキャンダルを引き起こす事を知っているからです。

 

これは嘲笑の理由になったり、他の人達がイエス様への信仰に改宗する妨げになったりします。

 

この悪意ある戦略の悲しい例は、成功を収め、多くの人生に影響を与えたゴスペルシンガー達が、結局は道を踏み外し、今ではメディアにネガティブに登場するケースに見られます。

 

ジョッタ・Aやプリシラ・アルカンタラのように、かつてブラジルの賛美と礼拝の中心的存在でありながら、後に道を踏み外してしまった人達...。

 

敵がどのようにインフルエンサーを使い、キリスト教のイメージに深刻なダメージを与えるかを示しています。

 

同様に、過去に神に力強く用いられた多くの牧師、説教者、伝道者達が、金や権力、肉の快楽に誘われてしまっています。

 

このような堕落は、彼等自身の評判を落とすだけでなく、未信者の教会に対する印象も悪くしました。

 

聖書は第一ヨハネの手紙2章で、この事を警告しています。

 

兄弟姉妹、私は誰よりも優れている訳ではないという事をはっきりさておきたいのです。

 

私は堕落してしまった指導者達よりも優れている訳ではありません。

 

結局のところ、聖書には「ですから、立っていると思う者は、倒れないように気を付けなさい。-第一コリント10章12節-」とあります。

 

このビデオで私が取り上げているのは、敵がどれだけ私達の中にスキャンダルを作り出し、多くの人々の信仰を弱めようと働いているかという事です。

 

さて、この件について私の意見を述べたいと思います。

 

私は教会が社会に適応する事に反対しているのではありません。

 

この二千年の教会の揺るぎない目的は、人々の必要と弱点を理解する事だったからです。

 

しかし、はっきりさせておきたいのは、私達は決して妥協してはならないし、神の言葉の原則が私達を導き、私達の知識と真実の拠り所となるべきなのです。

 

また、悪魔がどんなに私達にその事を忘れさせようとしても、地の光地の塩となるという私達の使命は変わっていないし、これからも変わらないという事を強調しておく事も重要です。

 

「神は罪を憎むが、罪人を愛する」という言葉は、非常に理にかなっています。

 

しかし神は、罪人が悔い改めてイエス様に立ち返り、イエス様を主であり救い主であると認める事を望んでおられるのです。アーメン。

 

もし、その人がこの招きを受け入れるならば、キリストと共に永遠の命を得る事が出来るのです。

 

神は聖なるお方なので、もし彼等が自分の意思に従って歩むなら、裁きの日に父と一緒にいる事は出来ません。

 

そして、イエス様の血によって清められた者だけが、父と共にいる事が出来るのです。アーメン。