あなたは非常に危険な場所にいます。
あなたはきらびやかな物でいっぱいの国に住んでいますが、それは金ではありません。
あなたは、嘘の約束でいっぱいの国に住んでいます。
あなたは、キリストからあなたを遠ざけるためにあらゆる力を尽くす国に住んでいます。
しかし、あなたが住む国はあなたに「神も世も手に入れる事が出来る」と言います。
「世を愛し、キリストを愛する事が出来る」と言う国に住んでいるあなたに、私はそれが嘘である事を知って欲しいのです。
それは嘘なのです。
私が怒っていると思わないで下さい。
私が意地悪をしようとしていると思わないで下さい。
私は、この国と地球を支配して来たどの政治的暴君よりも、多くの人々を殺して来た怪物からあなたを救うために言っているのです。
なぜなら、それは神があなたの内に働いた事がなく、救いの下で信じた事がなく、本当に改心した事がない証拠に過ぎないからです。
そして、もし主が本当にあなたを救うのであれば、あなたの内に良い御業を始められた方(聖霊)は、それを完成させて下さるからです。
なぜそんな事が分かりますか。
これは非常に重要な真実です。
なぜなら、主の名声がかかっているからです。
覚えておいて欲しいのは、神がどれほど力強いお方であるかを示すために人を救うのだということを。
そして、もし主があなたの内に御業を始められたなら、主はその力を示すためにそれを完成させるのです。
イスラエルがエジプトから出てきた時、彼等は神に対して多くの罪を犯しました。
そして神はモーセを試されました。
主はモーセに、「わたしはこの民を滅ぼし、あなた方から民を作る」と言われました。
モーセは、「いいえ、主よ。もしこの民を滅ぼせば、敵はあなたが彼等をエジプトの地から連れ出すには十分な力があったが、あなたが彼等に約束された地に連れて行くには、十分な力がなかったと言うでしょう」と言いました。
モーセが神の名声を気にしているのが分かります。
私は今日、ここで神の名声を気にしているのです。
私はあなたに神があなたを罪の責め苦から救い出し、本当にあなたを救われ、あなたを本当に義とされたのなら、その証拠となるものを知って欲しいのです。
主はあなたを変えるために、あなたの中で働き続けて下さっています。
なぜですか。
なぜなら、全てのクリスチャンは神の力の証明だからです。
主の名声がかかっているので、主は始めた御業を最後までやり遂げようとしておられるのです。
だからパウロはローマ人への手紙の中で警告しているのです。
彼は、神の御名は異邦人の間で冒涜されていると言っています。
なぜなら、ユダヤ人達は自分達を神と同一視しながら、神の命令に従って生きていなかったからです。
それと同様に、世界の多くの国々が、今この瞬間に私達がいるこの国、アメリカを嘲笑っています。
それは、アメリカがキリスト教国家だと主張しているからです。
しかし、世界を汚染する醜悪な物の殆ど全てが、アメリカから生まれているのです。
あらゆる道徳的汚点は、殆どここから始まっています。
だから分かるでしょう。
アメリカでは、悪魔のような生き方をしているにもかかわらず、自分達をクリスチャンだと信じている人達が多いのだから。
しかし、それ自体が彼等が神を知らない証拠なのです。
でもね、私達が話しているのは大勢の人達の事ではなく、あなたについて話しているのです。
改心した瞬間から、神があなたを聖なる者とするために、あなたの人生に働いている証拠があることを証明出来ますか。
分かりますか。
あなたは本当にクリスチャンだと言えますか。
なぜなら、あなたが世を見、世に惑わされ、世に引き寄せられ、神があなたを懲らしめ、あなたが罪に加担する時、あなたはそれに絶えられなくなるからです。
それは、聖霊があなたを説得しているからです。
それとも、ただクリスチャンと名乗りながら、世と同じように見え、世と同じように行動し、世と同じように話し、世と同じような服を着て、世がする全てをする事が出来ますか。
今日のキリスト教信仰、福音主義において、その門についてはよく耳にしますが、その道については殆ど耳にする事がありません。
さて、どういう事でしょうか。
まず、門とは何ですか。
門とはキリストです。
扉はキリストの事です。
キリストの御姿、十字架上の御業、死からの復活、昇天、そして執り成し人、王としての現在の務めを通して、キリスト教信仰にどのように入れますか。
「クリスチャンというのは、世間と同じように色々な事をやって、ちょっとだけイエス様を加える事です。」
それは、キリスト教の教育システムにおける危険の一つです。
しかし、分かって欲しいのは、これは革命的だという事です。
それは革命的です。
それは人を完全に変え、生涯を通してその人を変え続けるのです。
6:27
今、この部屋には、死ねば天国に移され、言葉に出来ない栄光をその身に負う人達がいます。
そして今この部屋には、死んだら神の裁きによって地獄に直行させられ、そこで神の恩寵は完全に取り除かれ、本当の怪物である事が明らかになる人々がいます。
分かるでしょう。
福音を宣べ伝える私達は、あなた方を楽しませるためにここにいるのではありません。
私達は、どうすれば今の人生から最高の物を手に入れられるかについて、一時的な事を話すためにここにいるのではありません。
いいえ、私は今夜、あなたの自尊心など気にしていません。
私はあなたの札入れと小切手帳が釣り合っているかどうかなど気にしていません。
私には心配な事が一つあります。
ある日、あなた方一人一人が聖なる神の前に裸で立ち、裁かれるという事です。
7:26
イエス様は「時は成就し、神の国は近づいた」と言われ、マルコによる福音書には「悔い改めて福音を信じなさい」とあります。
「ポール兄弟、私は祈ってイエス・キリストを私の心に受け入れる事で救われたんです」とあなたは言うでしょう。
しかし、あなたは魔法の公式や、誰かの後について悔い改めた言葉によって救われた訳ではありません。
あなたが救われたのは、罪を悔い改め信じたからです。
そして、あなたは過去にそうして来ただけでなく、現在に至るまでそうし続けています。
というのも、イエス様が言った言葉を適切に訳すとこうなるからです。
「神の国は来た。時は今、成就した。残りの人生を悔い改め、わたしを信じて過ごしなさい。」
「ああ、それはしました。悔い改めました。信じました。」
友よ、私の問いは、「あなたは罪を悔い改め続けていますか」です。
あなた方の内に良い御業を始められた方(聖霊)が、それを完成させて下さるのですから。
彼はそれを成し遂げて下さいます。
8:25
もしあなたがクリスチャンだと自称していても、願望が殆どなければ、神の栄光のために全てを行うという言葉に興奮する事はありません。
もっともっとキリストのように成りたい、もっともっとキリストの役に立ちたいと願わなければ、神や人々への愛は深まらないのです。
あなたは恐れる必要があります。
あなたは心配する必要があります。
もし、あなたが隠れた大罪を犯しながら生きる事が出来るのであれば、恐れる必要があります。
なぜなら、イエス・キリストへの信仰告白が偽りである可能性が非常に高いからです。
それは、嘘、偽りです。
9:06
マタイ7章13節から27節まで読誦
10:46
救いは信仰だけによるものです。
しかし、救いは再生と呼ばれる神の超自然的な働きの結果であり、私達は新しく創造された者となるのです。
私達は生きている心(いのちの御霊)を持っていて、違う生き方をしようとします。
そして、その人がそのように歩み始める事がその(いのちの御霊を持っている)証拠なのです。
そして、彼等は父の御心を気にし始めます。
あなたの人生に対する神の御心は何ですか。
そして、彼等の生涯に関して、自分の人生に対する神の御心は何かというだけではなく、改宗した瞬間にクリスチャン生活について一つの事が分かって来ます。
あなたは何を始めるか知っていて、聖書を読み始めるのです。
なぜですか。
単に、聖句の暗唱大会で優勝するためですか。
いいえ、クリスチャンになった瞬間に聖書を読み始めるのは、神の御心を知りたいからです。
だからこそ、その御心に従って生きる事が出来るのです。
11:43
このキリスト教信仰は文化的なものではありません。
このキリスト教信仰は、あなたの人生のほんの一部であるべきではありません。
日曜日に行う何かではありません。
キリスト教信仰とは、週六日この世的に生きながら教会に来る事ではありません。
キリスト教信仰とは、あなたがいつも世と同じで、日曜日に教会に来る事ではないのです。
もしそれがあなたのキリスト教信仰なら、あなたにはキリスト教信仰がありません。
あなたはクリスチャン(キリスト者)ではありません。
クリスチャンの家庭で育つのは危険な事です。
クリスチャンの共同体で育つのは危険な事です。
両親がクリスチャンだから、自分もクリスチャンだ、或いは苦難を味わった人々の集団の出身だから、自分もその栄光に預かろうと考えるかもしれないからです。
それは真実ではありません。
若者の皆さん、あなたはクリスチャンですか。
どうして自分がクリスチャンだと分かりますか。
自分が本当にキリストを知るようになったことを、どうやって知る事が出来ますか。
12:43
言っておきたい事があります。
これから聖書に入りますが、それをありのままに見て欲しいのです。
クリスチャンと自称する人達と自分を比べるのは止めて下さい。
自分自身を聖書と比較してください。
ある若者が牧師や青年牧師の所に来て、自分が救われたのかどうか分からないと言います。
青年牧師はたいてい、「でもあなたの人生の中で、イエス様があなたの心の中に入って下さるように祈った時期があったでしょう」と決まり文句を言います。
「そうですね。誠実でしたか。」
「ええと、そうは思いません。」
「じゃ、悪魔にあなたを煩わせるのを止めるように言う必要があります。あなたが伝道師を疑った時にいつでも聖書を指し示す事が出来るように、聖書の奥付に日付を書きましたか。」
何という迷信が私達の宗派を覆っているのでしょう。
あなたは聖書がクリスチャンに語っている事を知ります。
自分自身を吟味しなさい。
御言葉に照らして自分を試し、信仰に則っているかを確認して下さい。
自分がクリスチャンかどうか自分で試してみて下さい。
もし私がこのまま私達を解散させ、皆にこの街中のドアをノックして回るように言ったとしたら、どうなると思いますか。
少なくともこの街では、99%の人達が信者だと信じきっている事を知っていますか。
私は救われた後、故郷に戻って全てのドアを叩き、それで分かった事は、私の町の人達は皆クリスチャンだという事です。
彼等の85%は教会に行かないし、教会に行く人は神聖について関心がなければ、世から離れる事に関心もなく、福音が諸国民の間に宣べ伝えられる事にも関心がありません。
でも神に祝福されて、彼等は救われています。
なぜ、彼等は救われていますか。
説教に時間をかけず、聖書の研究にもっと時間を費やすべき伝道者達が彼等に語ったから、彼等は救われたのです。
そして、彼は次のリバイバルで何人が名乗りを挙げたかを自慢するために、それをやったのです。
私はあなたを愛しているし、あなたを愛している人達もここにいます。
神の御言葉に耳を傾け、自問自答を始めて下さい。
14:43
自分でこう問いただして下さい。
「私はキリストを知っているのだろうか。それが、何らかの形となって現われているのだろうか。」
つまり、キリストは最大の存在なのです。
キリストを知っていると言っても、それがあなたの人生に何の影響も与えないなら、あなたはキリストを知らないことになります。
第一コリント15章45節
聖書に「最初のアダムは生きた者となった。」と書かれてありますが、最後のアダム(キリスト)は、生かす御霊となりました。
ローマ8章2節
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。