自分がクリスチャンだと思っている人達へ | 何とかなるさ...の世界!?

何とかなるさ...の世界!?

いろいろごちゃ混ぜで書いてます。

このビデオの内容が、必要な人達の霊的助けとなることを祈ります(簡略しながら訳しています)。

 

 

ビデオ主のスティーブは、沢山のイーメールを受け取っていて、殆ど99%に返信していますが、その内のある人達は学んでいて彼にも何らかの知識を与えてくれるものだったり、また、その他の人達は、宗教的に強い影響を受けているものだったりします。また、ある人達は、悪魔に取り付かれているものとか、そしてその他としては寛容なものなどです。

 

彼は、ビデオのコメント欄を諸事情で閉じているのですが、最近イーメールで気になる内容のものが送られて来ました。そして、その内容に彼はとても心を痛め、急遽この回で流すはずだった内容を変更して、そのメールの内容に焦点を当てることにしました。

 

このメールから分かるように、果たしてこれを送ってきた人物だけではなく、今日の実に多くの人々(特にクリスチャン)が、「真に生まれ変わる」ということの意味を理解していないというのが現実なのです。

 

真のクリスチャンとはどういう意味なのか、また、真のクリスチャンとそう(真のクリスチャン)だと思い込んでいる人達との違いは何なのか、その事を踏まえて、スティーブはそのメールに返信しようとしています。

 

一度あるいは何度か結婚した人にとって、おそらくその時どこにいたのか、また、その時期(季節)さえ覚えていることでしょう。それが、生まれ変わるべき姿なのです。人生を一人の人に完全に委ねることに同意した瞬間です。

 

しかし、多くの人々は彼等がいつイエス様を救い主として受け入れたのか言う事が出来ません。

 

彼等は自分の思いを神の御心へと明け渡すことを全く信じていないからだと私(スティーブ)は信じます。

 

約束とは重大な契約です。

 

ですから、貴方が重大な契約と献身をした時、貴方が行動しなくてもそれほど問題ではなく、貴方が真剣にそれを捕らえる時、その中で歩むために何でもするようになるのです。

 

使徒ヨハネは言っています。

第一ヨハネ2章

3)もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。

4)神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。

5)しかし、みことばを守っているものなら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。

6)神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

 

これが、私達が神と繋がっている事が保証されている方法です。

 

イエス様と共に歩み続けていると主張する人々は、イエス様がなさった方法で行動し、人生を導いて行きました。

 

―メールの内容―

 

チャド:こんにちは。私はチャド・ビショップと言って、トレドという所に住んでいます。私は、イエス様に人生の中で何度も心の中に来てくださいと求めましたが、全く罪を捨てようと思うまでには至りませんでした。

 

スティーブ:まず、あなたの人生で何度もイエス様を受け入れる必要はありません。あなたの人生の中にただ一度だけ救いを求め、自分を明け渡すのです。

 

チャド:私は、14歳の時に初めて救いの祈りを祈りました。しかし、数年後、私は道から外れてしまいました。

 

スティーブ:すぐに、私は彼がクリスチャンになることについて学ぶために、神の御言葉に時間を費やしていなかったことを返信する

つもりです。

 

チャド:その後、私は20歳の時にビリー・グラハムクルセードに繰り返し行きましたが、すぐにまた道を外しました。

 

スティーブ:これは、イエス様がマタイの福音書で語られた「種蒔きのたとえ」を完全に説明しています。

 

チャド:最初の妻と離婚後、最終的にイエス様に来るまで6年かかりました。そして戻ったその日、恐怖に駆られたのです。私はイエス様にこれまでにないほどの長い時間を奉げました。

 

スティーブ:彼は、恐れからイエス様に戻って来て、これまでにないくらい長い時間をイエス様のために仕えたと言っています。彼がイエス様に仕えたというのは、どういう意味でなのか分かりませんが、私は、彼がおそらくイエス様に従うこと、或いは従おうと努力しているということを意図しているのだと思います。

 

チャド:私はポルノグラフィーに苦しみ、いつも苦しんできましたが、その罪から離れようと一生懸命努力しました。私は現在の妻を釣って(ナンパ?)結婚しましたが、未だに私はイエス様から離れているのだという事が分かりました。

 

スディーブ:彼は、自分が持っていると思っていた、イエス様に自分を明け渡し愛する関係を持っていなかったのです。彼は主に仕える事について、イエス・キリストとの関係がある時、何か重荷であると思っています。そして、それが多くの教会の人々にとってのやり方です。彼等はとても忙しいので、イエス様を愛し従うことに時間をかけません。

 

チャド:私と妻は現在別居しています。私は、彼女がクリスチャンであると言いたいですが、断言できません。私は、妻のことを貴方や誰にも中傷したくありませんが、私がただ言えることは、彼女はがむしゃらに生きているのです。それから、私の知っている神は、彼の民が生きることを望んでます。

 

スティーブ:彼は、はっきりと妻がクリスチャンでないことを知っています。

 

チャド:私の状況に戻ります。別居後、私はとてもひどい困難に陥りました。現在の結婚中に、私は家族を失いました。2017年6月10日、私の母が自殺し、継父は私を失望させ、兄弟は姿を消しました。私は感情的、またその打撃に押し潰されました。妻は、成功したミュージシャンになる夢を追求するため、私の元を離れ、現在、虚栄心と名声を求めています。ですから、私の母、継父、兄弟と妻を失った後、私はひどい困難に陥りました。強いストレスがかかっています。

 

スティーブ:明らかに、殆どの人が全ての困難な経験やこれらの出来事から押し潰されるのでしょう。クリスチャンもまた打ちのめされるのでしょうが、破壊されることはありません。この男性は、感情的、心身的、精神的に破壊されました。

 

チャド:私は暗いものにはまり、ある時から霊的に邪悪な物を探り始めました。イルミナティの理想、ポルノが強く戻ってき、私の親友だった母を連れて行った神を責め始めました。うつ病は、どんどん悪くなり、誰も彼もが嫌いになり始めました。いつも喧嘩することを求め、自殺を図り、自分の魂を売る計画に向かって少しずつ動き始めました。ただ、方法を見つけたことはありません。私は、自分が裕福で力強くなれば、何も私を傷つけることは二度と出来ないと思いました。私は、妻が私の遺産を持ち去り、他の男性を探していること、母の自殺、継父が私を憎んでいること、行方不明になっている兄弟について忘れるつもりでした。もし、私だけが裕福で力強く、そして十分に悪であるならば、私は自分の弱さを殺すことが出来ます。

 

スティーブ:ここにある種のパターンがある事が分かります。彼が罪と闇の上に身を寄せるほど、益々彼の人生に闇が入り込んで来ます。

 

チャド:お分かりのように、私はいつもイエス様を知り恐れているのかどうか、なぜ滑り落ちてしまうのか、ただ理解出来なかったのです。もし、私が天国や地獄が本当にあると知っていたなら、どうして地獄を選ぶでしょうか。私が36年間(現時点)で、これまで経験し対処して来たことを表現できるだけの十分な文書やテキストはありませんでした。私は、かろうじて掴まっています。それは、神と敵との綱引きのようです。でも私は、神から見捨てられたか、或いは冒涜的で忌まわしい邪悪をしたかで、神からの引っ張りが敵の引き寄せに対して稲妻が当たるのを恐れています。或いは、イエス様を本当に救い主として知らないために...。

 

スティーブ:彼の最後の言葉が最も正確に物語っています。彼は、本当にイエス様を救い主として知りませんでした。

 

チャド:正直に言うと私は、神がなぜ自分を造られたのだろうかと思います。私の人生は、「彼の人生を無駄にしてしまう」という言葉に書かれている通りです。私が若い頃、あらゆる性的虐待と機能不全の養育を通じて、自分自身を守り、いつも一人でいることを好みました。年をとり、私は一日の終わりを殆ど一人でいました。しかし私は、本当は一人ではないのだという感覚を持って来たのです。それが神であろうとなかろうと、私はいつも暗闇を恐れていました。私は、未だに明かりを点けて眠りますが、私は日常生活の中で、自分自身が闇を追及している事に気付きます。私の母から、神は私をとても愛していて、素晴らしい計画を持っておられると神が言っていると告げられました。母は、肉体的にも精神的にも、神が私に大きな被害を与えた全人生の全ての救済の背後にいたのだと言いました。私が、「救われるための祈り」のビデオや投稿を聞いたり見たりするために、それを読んだり見たりします。要するに、私はただ救われたいのです。本当に救われたいのです。救われないで、その後数日または数年後、私は救いから漏れてしまいます。私は救われて自由になりたいのです。しかし、今のところ、私の人生の状況が私を支配しています。

 

スティーブ:聞こえましたか。彼は「私の人生の状況が彼を支配している」と言っています。これが、殆どの人々の生き方です。

 

チャド:最愛の人から切り離されたホームレスの車中で、まだ母の自殺による痛みと憤りを抱いています。本当に説明できませんが、ただ痺れて死んでいるように感じます。私は死ぬのが怖いのです。私は信じていますが、天国へは行けないでしょう。私は、本当に救いを祈り、そして、まだ救われる事を願っています。私は、いつもイエシュアに私を再配線し、私を変え、私を救い、私を癒し、私を元通りにし、私の肉を殺し、そして彼と一緒に連れて行って下さいとお願いします。私は肩に重荷を背負っています。また、最近とても疲れています。私はアバが恋しく、イエシュアが恋しく、ルアク・ハコデシュが恋しいのです。私は一度、本当に一度だけエロヒムを味わいましたが、今は苦い水しか味わえません。

 

スティーブ:彼はイエシュア、或いはイエス様の名前を知っています。彼はルアク・ハコデシュ、訳すと聖霊の名前を知っています。彼は全てのキリスト教の用語を知っていますが、彼は救い主を知りません。貴方は、素晴らしい感情的な時間や神の臨在を感じることが出来ます。しかし、感情は貴方の神と一緒の経験を現実のものにしません。彼は、私へのメールをこう締めくくっています。

 

― エロヒムは私の魂を憐れみます。 シャローム ―

 

スティーブ:チャドは確かに全ての宗教的な言葉のキーワードを知るのに十分長い間、アメリカの教会周辺にいました。しかし、彼の思いを完全に放棄し、神の御心に従おうとする気が全くないのです。

 

私はチャドの人生が心配です。

彼が経験した全ての悲劇を除いて、アメリカにおける多くの人々が、クリスチャンであると告白するのと大差ないかもしれません。神は人々を彼の弟子になるように呼びかけています。神は人々を教師、主人の追随者になるよう呼びかけているのです。

 

私は、他の多くの人々が、彼等の人生の中で大規模なキャンプ集会、或いは日曜日の朝の教会でイエス様に求めているのではないかと思うのです。それは、彼等の命を明け渡して、罪から離れることを意味しているとは言っていません。彼等は生まれ変わった訳ではないのです。

 

彼等は、感情や興奮の感覚を経験しましたが、それらのどれもが生ける神との交わりと同じではないのです。あまりにも多くの人々が、神との経験や感情、精神的な高みに基づいています。それらは感覚です。それは(聖)霊ではありません。キリストに根ざすよりも支配的になるには、癒し以上のものが必要なのです。

 

マタイの福音書でイエス様は、「種蒔きのたとえ」を与えています。

 

マタイ13:19~23

 

ですから、ただメッセージを聞くだけではなく、理解するということについてもです。そして、あなたの心の中に全てを受け入れることを許すのです。

 

マタイ7章

13)狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。

14)いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見い出す者はまれです。

 

どうしたら生まれ変わることが分かりますか。使徒パウロは言っています。

 

第二コリント5:7

確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。

 

もし、あなたがイエス・キリストを受け入れたいのなら、あなたの人生(命)を完全に彼に明け渡して下さい。

 

―以下省略―