eビジネスランド 知識創造通信
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青首大根ととびこのパスタ仕立て

ビジネスの現場で活躍している皆さん、体力に自信はありますか。
EBL・ランチタイムでは、毎日の食事で体力増強を図るヒントをお伝えしていきます。ランチタイムのメニュー選びにもご活用ください。


レシピ:植田夏代氏 Office 和(wa)主宰・管理栄養士
栄養と料理に関する指導、京都を中心とした雑誌の企画編集






料理製作:西田源治郎氏 ホテルセントノーム京都・西洋料理長

京都ホテルを経て、大阪の(社)今橋クラブ、神戸の(社)神戸外国人倶楽部で

17年間料理長を務め、現在に至る。

フランスのガストロノミーアカデミック正会員。関西シェフ同好会でも活躍。

功績が認められ、1984年自民党総裁より感謝状授与。


mrnishida




写真撮影:三國賢一氏、関西を中心にグルメカメラマンとして活躍。

JTBなど旅行情報誌の料理撮影はじめ、

あまから手帳、Leaf 、CF、リビング京都などで活躍中



  

青首大根ととびこのパスタ仕立て


(大根の真ん中部分を使います。150kcal たんぱく質1,9g ビタミンC 13mg)

daikonntobiko


材料(1人分)

 

大根 100g/輪切り唐辛子  適宜/とびこ 大さじ1/コショウ、オリーブ油 適宜/塩 大さじ1/セルフィーユ 適宜/青ネギ(万能ネギ、シブレットなど)5~10g/クルミ(ピーナツなど) 2~3粒/オリーブ油 大さじ1


作り方


① 大根は皮を剥いて、縦18~20cmぐらいの長さの細長い線切りにして、塩をふる。

② 青ネギを小口切りにして、すり潰したクルミと合わせ、さらによくすり潰し、少しずつオリーブ油を流し入れ、コショウ少々を振り入れる。

③ ①の大根がしんなりしたら、塩気をさっと洗い落とし、水気をクッキングぺーパーなどで拭き、ニンニク、唐辛子を入れて熱した油をからませる。

④ ③を器に盛り、とびこ(トビウオの子の塩漬け)をのせて、②のソースをかけ、オリーブ油、シブレットを飾ってすすめる。

☆③の大根をニンニク、赤唐辛子を加えて熱したオリーブ油で炒め、出来上がりにからすみパウダー(市販品)とアサツキかシブレットの小口切りを上にたっぷりふりかけても美味。


 年中出回る「青首大根」ですが、秋から冬にかけては美味しさが増します。



 かなり以前から「大根」のビタミンCが癌を抑制することは知られていて、秋刀魚の焦げの発ガンをこれがカバーすることはよく知られています。



 最近、京都府立大学助教授中村考志氏が「すい臓がんを予防するためには、辛味の強い大根ほど機能性が優れている」という発表をされました。



 冬に出回る辛味大根や京都の聖護院大根などは、青首大根の2倍から12倍の辛味があり、予防効果も高いということです。



 また、24時間予冷することでも辛味は2倍に高まるごとが実証されています。



 皮ごとおろして、生食すれば胃でのでんぷん消化を助け、胃もたれを防いでくれますし、また、肝臓の働きを助け、2日酔いの解消にも役立ちます。

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生きていくことは、変化していくこと


変化は時の流れ 否も応もない


こう成ると思い定めるを立志という


己が人生に対する構えなり


良い変化を進歩という


悪い変化を堕落という


進歩は充実なり 堕落は落魄(らくはく)なり


進歩への構えを理想という


理想を現実にする力を情熱という


時流に従い千変万化して逝く


その有様を称して道という


道を知り 構えを作り


それを素直に行く者は 充実して逝く


道を知らず 構えもなく


ただ目先の欲念で行く者は 落魄して逝く


人生は唯一度なるものなり


今日只今 心して用うべし



 「過去」のあれこれを気に病んだり、未だこれからの「未来」をくよくよ心配して生きている人が多い。それでは一番大切な「現在」を生きていない。


 よく考えれば、自分は「過去」に生きているのでもなければ、「未来」に生きるのでもない。いま「現在」しか生きていないのである。


 「一大事は今日只今のことなり」(禅語)




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「旺」とは、生き様である

 人はそれぞれ、男として生まれる人あり、女として生まれる人あり。


 男には男としての分があり、女には女としての分がある。


 美しく生まれる人、醜く生まれる人、健康に育つ人、病弱に苦しむ人、そしてスポーツが得意な人、学問が大好きな人、など様々な特性を持って生まれてくる、これを天から与えられた分、天分という。


 1人の人間に属する天分を自らの分、自分という。自分は1人である。


 そして人はそれぞれの自分を原因として、自分のいのちを展開していく。
 



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自分が見るからこの世がある

デカルトは「われ思う故にわれあり」と言った。


自分が意識するから、眼前にこの世が展開している。もし、なんらかの事情で自分の意識がなくなったら、この世は消滅していしまう。


 この世をどのように見るかは、自分の心次第である。他人のせいではない。


    ◇


目を閉じれば見えず


耳を塞げば聞こえず


自分が見るからこそ


眼前(めのまえ)にこの世がある


自分に心があるから


創造主(かみ)の微笑(ほほえみ)を


感ずることができる

 


いのちは父母(ちちはは)より承けたもの


その父母はまたそれぞれの


父母よりいのちを承けた


自分の体の中に脈々として


天地悠久の血が流れている



天上天下唯我独尊


自分にとってこの世で


もっとも尊いものは


唯一つ自分自身である


父母と自分自身が一体(ひとつ)であるごとく


創造主(かみ)と大自然運行法則(さだめ)と


自分とは確(しっか)りつながっている



朝 太陽は東から上がり


夕べ 西に沈む


雨は天から 涙は目から


善因は善果 悪因は悪果となる



朝に夕に 来る日も来る日も


父母が喜ぶように


神佛が喜ぶように


自分を大切に生きていく


するとやがて


自分自身が神佛(ほとけ)である


と はっきり目が覚めてくる


    ◇


 これが「天上天下唯我独尊」の正解である。



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父母未生以前我如何


 この「父母未生以前我如何」(父母が生まれる前のわれ、いかん)は禅の公案である。


 自分が父母の性交によってこの世に誕生したのは間違いのない事実であるが、父母が生まれる以前に自分はどこにいたのだろう。


 このことはどんなにすぐれて頭の良い人が、今までに習い覚えたあらゆる知識を総動員して考えてみても、わからない……。


 そんなやりかたではわかるはずがない。


 禅にはいろいろ示唆に富んだ「たとえ」や「警句」がある。私は禅の専門家ではないのでうろ覚えではあるが、「闇夜のカラス」というのがある。


 闇夜は真っ暗で、その中にいるカラスは黒い鳥で見分けがつかない。さらに、その「鳴かぬカラスの声聞けば、生まれる前のわれぞ恋しき」という、この意味がわかるか?というのである。これは、現代人感覚の四角四面の理屈一辺倒では絶対にわかる問題ではない。


 これがわかるためには、自分がこの世に生まれてから今日に至るまでに、身につけた学問やら常識やら一切の知識や経験を全部、振り捨てて、払い捨てて……なあんにもない生まれたまんまの赤ん坊の状態に戻ってみること、が必要である。これを「無」の境地という。


 正身端座(しょうしんたんざ)して、深い呼吸をしながら無の境地に入っていく、座禅である。


 これは決して簡単なものではない。先ず正身端座ができない。足が痛くて結跏趺坐(けっかふざ)が組めない。心を臍下丹田(せいかたんでん)に置く深い呼吸が長続きしない。


 じきに肩でする浅い呼吸に戻ってしまう。なあんにもない空っぽの無念無想の境地になかなか入れない。すぐに、ああじゃないかこうじゃないかの雑念妄想が次々と湧き出してくる。


 不退転の決意をもってここのところを乗り越えていくと、やがて無の境地に入っていく。すると「闇夜のカラスの鳴かぬ声を聞く」が身体の奥からはっきりわかるのである。


 でもこのことを現代人感覚の人に、理解できるようには説明できない。


 禅は不立文字という。悟りの実体を文字や口で表すことはできない。


 頭で理解できるものではないのである。しかし、悟りをこんなものだとわからせるためのヒントはいろいろとある。


 白隠(はくいん)禅師は、座禅和讃(ざぜんわさん)の中で「衆生(しゅじょう)本来佛なり」と言った。父母未生以前の我は宇宙のどこかにいて宇宙大神と不即不離(ふそくふり)の状態であった。


 そしてこの世にある我は、天からいのちを受けた宇宙大神の分身である。


 無の境地に入ると、このことがはっきりとわかる。


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青首大根とカキの中華風

ビジネスの現場で活躍している皆さん、体力に自信はありますか。
EBL・ランチタイムでは、毎日の食事で体力増強を図るヒントをお伝えしていきます。ランチタイムのメニュー選びにもご活用ください。


レシピ:植田夏代氏 Office 和(wa)主宰・管理栄養士
栄養と料理に関する指導、京都を中心とした雑誌の企画編集






料理製作:西田源治郎氏 ホテルセントノーム京都・西洋料理長

京都ホテルを経て、大阪の(社)今橋クラブ、神戸の(社)神戸外国人倶楽部で

17年間料理長を務め、現在に至る。

フランスのガストロノミーアカデミック正会員。関西シェフ同好会でも活躍。

功績が認められ、1984年自民党総裁より感謝状授与。


mrnishida




写真撮影:三國賢一氏、関西を中心にグルメカメラマンとして活躍。

JTBなど旅行情報誌の料理撮影はじめ、

あまから手帳、Leaf 、CF、リビング京都などで活躍中



 年中出回る「青首大根」ですが、秋から冬にかけては美味しさが増します。

 今回と次回で、大根1本を使った料理に挑戦してみましょう。




★青首大根とカキの中華風味


(本来、上の青いところは甘いので、おろしでよく食しますが、ここでは辛味の強い先をおろしに使います。

 243kcal たんぱく質4,8g 亜鉛6,8mg ビタミンC 20mg)

 


daikonnkaki


材料(1人分)


大根 100g/固形コンソメ 1/2個/小麦粉 適宜/カキ身 50g/塩、コショウ 少々/小麦粉 大さじ1/サラダ油 大さじ1/大根おろし(辛味大根なども可)70g/シブレットorアサツキ 2、3本/市販の中華ソース  適宜


作り方


① 大根は2cmの厚さの輪切りにして、皮を剥いて、コンソメで柔らかく煮る。
② カキは小麦粉大さじ1、2杯を加えて、身を潰さないように気をつけて混ぜ合わせ、水を加えて洗い流す(カキのよごれを取り除く作業なので、省いてもOK)
③ ①のカキの水気を軽く拭き、塩、コショウして小麦粉を表面につけて、熱したフライパンに油を入れて、中が温まるまで表面を焼く。
④ 皿に煮た大根を盛り、上に③のカキをのせ、すりおろした大根をたっぷりのせ、中華ソースをかけ、シブレットを飾る。


☆ 手作り中華ソース
醤油 大さじ1/ごま油 小さじ1弱/ラー油 2、3滴/砂糖 小さじ1
上記を混ぜ合わして(味は好みで)、唐辛子のみじん切りを加える。
        
☆カキは「海のミルク」と呼ばれ、ミネラルや旨みをたっぷり含みます。旨みのタウリンは血中コレステロールを下げ、脳卒中や心臓病の予防に役立つ。豊富な亜鉛は味覚障害を防ぎます。

 

 かなり以前から「大根」のビタミンCが癌を抑制することは知られていて、秋刀魚の焦げの発ガンをこれがカバーすることはよく知られています。

 最近、京都府立大学助教授中村考志氏が「すい臓がんを予防するためには、辛味の強い大根ほど機能性が優れている」という発表をされました。


 冬に出回る辛味大根や京都の聖護院大根などは、青首大根の2倍から12倍の辛味があり、予防効果も高いということです。


 また、24時間予冷することでも辛味は2倍に高まるごとが実証されています。


 皮ごとおろして、生食すれば胃でのでんぷん消化を助け、胃もたれを防いでくれますし、また、肝臓の働きを助け、2日酔いの解消にも役立ちます。





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人身受け難し

この世には、人間の外に犬や猫などの動物類、魚類、昆虫類、樹木草花にいたるまで、様々な生物が存在している。そしてそれぞれが特有の生態を持っている。


 ミツバチはその巣のなかに女王を養い、交尾期になると女王蜂は天空高く舞い上がり、その後を無数の雄蜂が追いかけて、最後に残った強い雄蜂と天空で交尾するという。そして、その雄蜂は女王蜂の胎内に精液を注入した瞬間に死んでしまう。


 私が中学生の頃、生物の時間に「人間の生殖」について先生から教わった。


 それは、父親と母親が性交した際、父親の性器から発射される精液の中に無数の精子があり、その中のたった一つが母親の卵子と結合して受精する、そして母親の胎内で十月十日の月満ちて赤ん坊が生まれる、というまことに奇蹟としか言いようのない人間誕生の生態に、とても神秘的なものを感じた。


 人間としてこの世に生まれることは、これ以上ないほど有り難いことなのに「頼みもしないのに父親と母親が勝手なことをして、俺を生みやがった」というようなことをいう罰当たりな人間も結構多い。そんな馬鹿者は神様から見れば、次の世は人間ではなく犬か猫に生まれてくることになるのだろう。


 法事などでお寺さんへ行って、和尚さんの読経を聞いたとき、始めのところに「帰敬文」というお経がある。「人身(じんしん)受け難し 今すでに受く 佛法聞き難し 今ここに聞く この身今生(こんじょう)において度せずんば 更に何れの生においてかこの身を度せん」(人間としてこの世に生まれるということは、奇蹟としか言いようのないほど難しいことである、それなのに自分は今、ここに人間として生きている。佛の教えを聞くことは、滅多にない有り難い機会である、それなのに自分は今、ここに佛の教えを聞いている。自分が人間として生きているこの一生において、大安心をわがものにできなかったら、いつまたこのような有り難い機会が訪れるというのか、それは二度と来ないであろう)。この世に様々な生物がいる中で、自分が霊長類の人間としていのちを受けたことはまことに有り難いことで、大安心をわがものにできる絶好の機会なのである。


 「度す」ということは、「悟る」ということで「大安心」をわがものすることである。


 そして、その大安心こそが「真実(ほんとう)の幸福(しあわせ)」である。


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天上天下唯我独尊

お釈迦(しゃか)様は、生まれるとすぐ立ち上がって、右手をあげて天を指し、左手をさげて地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」(天の上にも天の下にもただ独りわれ尊し)と言ったという。


 この意味は、この天地のなかで、わたしだけがただひとり尊い存在である、ということ。


 現代人はこのお話を聞くと、お釈迦様がそういうのだから間違いはない、と早のみこみして「この世で俺が一番えらい、俺が先ず一番たいせつ、俺が、俺が」と自我(エゴ)中心の生き方をますますエスカレートしていく。これを唯我独尊主義といって、いま世の中のほとんどの人の生き方である。


 あるいは、生まれたばかりの赤ん坊がすぐ立つわけがない、まして、大人でもわからないほど難しい言葉を赤ん坊がしゃべるわけがない、こんな話はデタラメだ、という浅いレベルで受け止めて終わりにしてしまっている人が多い。まことに浅はかでもったいないことである。


 お寺さんでは毎年四月八日、お釈迦様の誕生日に花御堂に安置した釈迦の誕生佛(右手をあげて天を指し左手をさげて地を指している童子像)に香水や甘茶を注ぐ潅仏会(かんぶつえ)を執り行っている。これを単なる祭りごとと表面的に理解したら大間違いなのである。


 文明の発達に毒された現代人は、ものごとの判断にあたって、なにごとも四角四面の理屈で理解しようとする傾向が多い。理屈が通らなければそれは架空の絵空事と簡単に片付けてしまう。ところが世の中には、そんな浅知慧では判断のつかないことがいっぱいある。「人の人生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」と徳川家康は言った。理屈では片付かないし四苦八苦の世界が人間社会なのである。


 地獄は死んでからあるものではない。生きているこの世において自分で作って自分がそこで苦しむのである。その原因はすべて自己愛(エゴイズム)から発するものであり、足ることを知らぬ財産欲、名誉欲、虚栄心などなどを原因とする。
 多くの人は、自分の「生・旺・墓」を深い思慮をもって見つめることをしない。唯我独尊主義で、浅いところを浮き草のように流れて終わる。


 実は、人間の一生の目的は、この「天上天下唯我独尊」をしっかりとわがものにすることにある。



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いま、なぜ「生・旺・墓の原理」なのか?        (その2)

いくらお金があっても、どんな高い地位に上がって、ピカピカの勲章を胸にぶら下げても、他人の妬み、怨みを買ったり、泥棒、強盗の心配をしたり、病気で苦しんだりしていては、ちっとも幸福ではない。


 これを「贋物(にせもの)の幸福(しあわせ)」という。

 

 なんの心配もなく、明るく健康で、毎日の仕事に精魂こめて働いている。


 これを「真実(ほんとう)の幸福(しあわせ)}という。


 人は、天よりいのちを享けて、地に生まれる。


 いのちは、天地根源の気より生じたもの。


 天地根源の気を、元気という。


 人はそれぞれ元気の分体である。


 元気が衰えると、病気になる。


 元気が無くなると、死ぬ。


 いのちの真実を正解して、自分を大切に生きる人を元気人という。

 

 元気人は、生命力旺盛で真実(ほんとう)の幸福者(しあわせもの)である。


 いのちの真実を誤解し、我(が)ばかりで自分を粗末に生きる人を弱気人という。


 弱気人は生命力貧弱、いつも不安心で六道の闇路をさ迷い、贋物の幸福を追い求める弱者である。


 社会は今、大きな時代変化の真っ最中、弱気人がどんどん増えて、そのために元気が衰えて病んでいる。このままで行くと、大変なことになる…・・・。


 しかし弱気人であっても、大きな災難や困苦に出遭って、もう死ぬっ!というほどの危惧に直面した時には、愕然となって「贋物の自我」から脱し、「本物の自己」「生命の根本原理」に、はっきりと目覚めるものである。


 人は誰でも死ねば佛(ほとけ)に成る。「人の死せんとするとき、その言うや良し」、どんな悪人でも、今まさに死なんとするとき、贋物の自己をかなぐり捨てて、本来の本物の自己に立ち戻るものである。これを「成仏(じょうぶつ)」するという。


 地球最後の日、人類絶滅寸前の時、あなたはどうする?


 人間社会が、今まさに滅亡せんとする時、人々は一人残らず愕然として、本来の自己に目覚めることであろう。


 でも、それでは遅いのである、間に合わない。


 だから今、人類が存続し真実の幸福を実現するために「生・旺・墓の原理」に目覚めた元気人が大勢集まって、しっかりスクラムを組み大きなパワーとなって、善い人間社会をつくっていくことが、切実に求められるのである。

いま、なぜ「生・旺・墓の原理」なのか?        (その1)

 現代・人間社会は、長く続いてきた工業時代から、IT革命を引き金とした知識産業時代へと移行する大きな時代転換期の真っ直中にある。 

 

 そして現代科学文明の発達は、日進月歩して今や正に「神の領域」にまで到達せんとしている。

 

 今この時期「生・旺・墓の原理」は人間社会の存亡に関わる、重大問題なのである。


 なぜ、そうなのか? このことについて説明する。


「生・旺・墓」とは、中国の易学の言葉である。


 私は若い頃、易学を少し学んだことがある。しかし、それをもって身を立てる易者にはならなかったので、今はもう入口程度以外はほとんど忘れてしまった。従って本書は易学の本ではない。


 「生・旺・墓」を簡単に言えば、生まれて、生きて、死ぬ、ということで人間の一生のことである。


 「原理」とは、こうして、こうすりゃ、かならずこうなる、ということであり、簡単明瞭・素朴・シンプルなもので、決して難しいものではない。


 むしろ誰でも納得できる易しいものである。本書でいう「生・旺・墓の原理」とは、人間の一生の「こうして、こうすりゃ、かならず、こうなる」ことを示す、人生の道標(みちしるべ)のようなもの、という意味である。


 世の中の多くの人は、毎日生きることに追われて「生命の根本原理」に思いをめぐらせることをしない。


 「生・旺・墓の原理」のことなど、なにもわからず関心もない人は、毎日、不安心を抱えて六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の闇路をさまよい歩く人生を送る。一方、「生・旺・墓」の原理がしっかりわかって毎日を生きる人は、闇路を灯りを掲げて行くように、どんな出来事に出会ってもびくともしない大安心の境涯で人生を送る。



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