コーヒーブレイク 7 | 人生と旅・読書 村上春樹感 アメリカ放浪記

人生と旅・読書 村上春樹感 アメリカ放浪記

人生と読書は切り離せない、体と心のような関係です。人生は旅であり、また、読書も旅です。徒然なるままに書いていきます。コメントお待ちしています。

 

自由って何だろう?

16年ほど前になるが、考えていたことがあった。

自由になるには、頼らないことである。

頼れば頼るほど、憎しみも深くなる。

これは、逆説的なことである。

愛情とは、相手に頼ることであると勘違いしていたのである。

相手に頼るとは、自分にも頼ってほしいということである。

この連鎖は、悲劇を生む。

 

家庭内暴力が、ニュースで問題になっていた。

親に、暴力をふるい、不登校になる。

反抗期には、親への依存度が高いと、憎悪も深い。

親に、依存したくても、依存できない。

親に暴力を振るえば、そこに、自己が投影され、さらにみじめになる。

感情のやり場を失い、また、自己喪失の中で、苦しみ、もだえる。

 

そんな、悪循環から、殺人事件になったケースがあった。

息子の暴力に耐えきれず、父親が、殴り殺してしまったのである。

息子は、親や先生を頼りにできずに、迷路に迷い込んでしまう。

その繰り返しから、不安が憎しみに変化していく。

自分ではどうすることもできない。

自由は、責任の裏返しになる。

これを知ってほしい。

 

自由だけが手に入ることはない。

責任と、セットになっている。

つまり、責任のない、自由はない。

一番大きな自由を手にしているのは、国の大統領ということになる。

でも責任も、最も大きい。

 

隣りの韓国を見るとわかる。歴代の大統領は、逮捕され有罪となる。

自由を乱用すれば、必ず、報いが来る。その、いい例である。

生きていくうえで、不安も、不満も、恐怖もあるのが現実である。

ただし、自分をだますことなく、自信を持って生活してほしい。

自己に目を向けることを控えてほしい。

若者は、外に目を向けて、歩んでもらいたい。

自信がある人は、自分に目を向けても構わない。

自信がない人は、自分に目を向けるのではなく、学習に、運動に。

行動することにより、自分に実力をつけ、自信を持つように。

 

失敗を恐れないこと。失敗しても、くじけないこと。反省しすぎないこと。

やる気を出すこと。前向きに考えること。行動すること。

好きなことを見つけること。好きなことをやること。

役に立たないことが、一番継続できるものである。

そんなものを見つけることができたら、人生は幸せになる。

 

自由とは、それぞれ段階がある。

一つ一つクリアすれば、自由度は大きくなっていく。

責任とは、社会的信用度でもあるから、悪いことではない。

成長すると自由がなくなると感じがちだが、大人になると好きなことができる自由度は増す。

ただし、それは、行動的な自由度であり、責任も伴うから、何でもしていいというわけではない。

 

ルールがあり、社会的な福祉に反してはいけない。

その範囲が、大きくなればなるほど、自由度は増すのである。

平社員よりも、社長の方が、好きなことができるが、それは仕事上のことであり、責任を取る範囲が、まったく違うからである。

責任が増えるほど、行動は自由になるが、時間は拘束されていく。、

自由な時間が少なくなるのである。これは、量と質の関係になる。

上に行くほど、仕事の質の自由度は増す。拘束される時間は増える。

 

この、質の使い方を間違えると、逮捕となり、不運な人生になる。

一方、平社員は、質の自由はないから、罪も犯すこともない。

あるとすれば、労働時間の履行位である。これが増えると、残業超過になり、労働基準法に違反して、ブラック企業になる。これは、現場だけでなく、経営者の問題でもある。改善命令が下る。

自分が納得するかどうか、それが働くことである。

納得しない状態が続くならば、改革していくか、転職となるであろう。

自分に合わない職場には、いてもつらいだけである。

 

好きな職場を探すとは、肉体的に楽な仕事を探すことではない。

生きていくうえで、やりがいのある仕事、自分が好きな仕事、あるいは、いやでない仕事をすることである。

どれを選ぶかは、君のビジョンや、技能や、才能により変わってくるであろう。

 

それを見つけること、出会うことも、君の人生である。

もし、やりたいことがあれば、積極的に動くといい。

そうすれば、道は開けてくるはずである。

では、自由になるにはどうすればいいのか。

オバケを心からなくすことである。

不安、不満、恐怖、これらのオバケを一掃するといい。

 

では、どうしたら一掃できるのか。

答は、一つしかない。

好きなことをすることである。

一生懸命に。ひたすらに。真摯に。

逃げてはいけない。追いかけてくるからである。

何かに夢中になること。それが、解決法。

杞憂は、ただの思い込みであり、妄想と同じ。

君の不安は、雲散霧消していく。

 

追伸

 

慌てることはない。

自分の信じる道を行くべし。

うまくいっても、行かなくても、納得できる。

他人のせいにできないから。

精神的な独立。それが、自由。

経済的な独立は、一人前になる。

ただし、これは、家族があると、話は、変わってくる。

独身者が多いのは、その一つの理由として、自由を求めるからであろう。

 

自由が大きければ、責任も大きいと書いたが、独身の場合は異なる。

責任は、自分にしかなく、仕事でなければ、何しても良い。

結婚していても子供がいなければ、妻あるいは夫が、経済的に独立していれば、自由度は限りなく大きく、変わらない。

独身生活を楽しむように、夫婦生活を楽しむと良い。

お互いに干渉しないという条件付きだが、どうだろうか。

 

自由でいたいなら、二十代は独身で好きなことをするといい。

三十代で家庭を持ち、子供を育てて、五十代で子育てを終える。

そして、再び、自由の時代になる。とは、限らないけれど。

様々な、事情、しがらみ、運命があるのが人生。

自由を求めて、身軽でいるか、家族を持ち、責任のある立場をとるか。

それぞれ、選択できる部分と、出来ない部分があるから、いかんともしがたい。

 

六十歳を前にして、最近痛感したことを書いた。

十代は、がむしゃらに、生きていた。

二十代は、自由に生きていた。

三十代は、好きに生きていた。

四十代は、必死に生きていた。

五十代は、予想外に生きていた。

では、これからは、自己発信して、生きていきたい。

そう考える、この頃である。