自由って何だろう?
16年ほど前になるが、考えていたことがあった。
自由になるには、頼らないことである。
頼れば頼るほど、憎しみも深くなる。
これは、逆説的なことである。
愛情とは、相手に頼ることであると勘違いしていたのである。
相手に頼るとは、自分にも頼ってほしいということである。
この連鎖は、悲劇を生む。
家庭内暴力が、ニュースで問題になっていた。
親に、暴力をふるい、不登校になる。
反抗期には、親への依存度が高いと、憎悪も深い。
親に、依存したくても、依存できない。
親に暴力を振るえば、そこに、自己が投影され、さらにみじめになる。
感情のやり場を失い、また、自己喪失の中で、苦しみ、もだえる。
そんな、悪循環から、殺人事件になったケースがあった。
息子の暴力に耐えきれず、父親が、殴り殺してしまったのである。
息子は、親や先生を頼りにできずに、迷路に迷い込んでしまう。
その繰り返しから、不安が憎しみに変化していく。
自分ではどうすることもできない。
自由は、責任の裏返しになる。
これを知ってほしい。
自由だけが手に入ることはない。
責任と、セットになっている。
つまり、責任のない、自由はない。
一番大きな自由を手にしているのは、国の大統領ということになる。
でも責任も、最も大きい。
隣りの韓国を見るとわかる。歴代の大統領は、逮捕され有罪となる。
自由を乱用すれば、必ず、報いが来る。その、いい例である。
生きていくうえで、不安も、不満も、恐怖もあるのが現実である。
ただし、自分をだますことなく、自信を持って生活してほしい。
自己に目を向けることを控えてほしい。
若者は、外に目を向けて、歩んでもらいたい。
自信がある人は、自分に目を向けても構わない。
自信がない人は、自分に目を向けるのではなく、学習に、運動に。
行動することにより、自分に実力をつけ、自信を持つように。
失敗を恐れないこと。失敗しても、くじけないこと。反省しすぎないこと。
やる気を出すこと。前向きに考えること。行動すること。
好きなことを見つけること。好きなことをやること。
役に立たないことが、一番継続できるものである。
そんなものを見つけることができたら、人生は幸せになる。
自由とは、それぞれ段階がある。
一つ一つクリアすれば、自由度は大きくなっていく。
責任とは、社会的信用度でもあるから、悪いことではない。
成長すると自由がなくなると感じがちだが、大人になると好きなことができる自由度は増す。
ただし、それは、行動的な自由度であり、責任も伴うから、何でもしていいというわけではない。
ルールがあり、社会的な福祉に反してはいけない。
その範囲が、大きくなればなるほど、自由度は増すのである。
平社員よりも、社長の方が、好きなことができるが、それは仕事上のことであり、責任を取る範囲が、まったく違うからである。
責任が増えるほど、行動は自由になるが、時間は拘束されていく。、
自由な時間が少なくなるのである。これは、量と質の関係になる。
上に行くほど、仕事の質の自由度は増す。拘束される時間は増える。
この、質の使い方を間違えると、逮捕となり、不運な人生になる。
一方、平社員は、質の自由はないから、罪も犯すこともない。
あるとすれば、労働時間の履行位である。これが増えると、残業超過になり、労働基準法に違反して、ブラック企業になる。これは、現場だけでなく、経営者の問題でもある。改善命令が下る。
自分が納得するかどうか、それが働くことである。
納得しない状態が続くならば、改革していくか、転職となるであろう。
自分に合わない職場には、いてもつらいだけである。
好きな職場を探すとは、肉体的に楽な仕事を探すことではない。
生きていくうえで、やりがいのある仕事、自分が好きな仕事、あるいは、いやでない仕事をすることである。
どれを選ぶかは、君のビジョンや、技能や、才能により変わってくるであろう。
それを見つけること、出会うことも、君の人生である。
もし、やりたいことがあれば、積極的に動くといい。
そうすれば、道は開けてくるはずである。
では、自由になるにはどうすればいいのか。
オバケを心からなくすことである。
不安、不満、恐怖、これらのオバケを一掃するといい。
では、どうしたら一掃できるのか。
答は、一つしかない。
好きなことをすることである。
一生懸命に。ひたすらに。真摯に。
逃げてはいけない。追いかけてくるからである。
何かに夢中になること。それが、解決法。
杞憂は、ただの思い込みであり、妄想と同じ。
君の不安は、雲散霧消していく。
追伸
慌てることはない。
自分の信じる道を行くべし。
うまくいっても、行かなくても、納得できる。
他人のせいにできないから。
精神的な独立。それが、自由。
経済的な独立は、一人前になる。
ただし、これは、家族があると、話は、変わってくる。
独身者が多いのは、その一つの理由として、自由を求めるからであろう。
自由が大きければ、責任も大きいと書いたが、独身の場合は異なる。
責任は、自分にしかなく、仕事でなければ、何しても良い。
結婚していても子供がいなければ、妻あるいは夫が、経済的に独立していれば、自由度は限りなく大きく、変わらない。
独身生活を楽しむように、夫婦生活を楽しむと良い。
お互いに干渉しないという条件付きだが、どうだろうか。
自由でいたいなら、二十代は独身で好きなことをするといい。
三十代で家庭を持ち、子供を育てて、五十代で子育てを終える。
そして、再び、自由の時代になる。とは、限らないけれど。
様々な、事情、しがらみ、運命があるのが人生。
自由を求めて、身軽でいるか、家族を持ち、責任のある立場をとるか。
それぞれ、選択できる部分と、出来ない部分があるから、いかんともしがたい。
六十歳を前にして、最近痛感したことを書いた。
十代は、がむしゃらに、生きていた。
二十代は、自由に生きていた。
三十代は、好きに生きていた。
四十代は、必死に生きていた。
五十代は、予想外に生きていた。
では、これからは、自己発信して、生きていきたい。
そう考える、この頃である。