病院におけるレイキのボランティアは想像以上に難しいものでした。
そもそも平日の日中はフルタイムで仕事をしており、病院の希望する時間帯と私が出来る時間帯の違いが大きすぎたのです。そして、考えてみれば当然といえば当然ですが、代替医療としてのレイキ経験を質問されました。
一般的に「沈痛効果」というのは客観的に評価することが出来ません。医療の現場では、
「全く痛くないときが0で、もうこの世の物とは思えない位痛いって言うのを10とすると、今の痛みはどれ位?」という質問をする位しか、「どれだけ痛いか」といったことはアセスメント出来ないのです。
もしかして同じ痛みでも、ある人にとっては2だし、ある人にとっては常に10かも知れません。そもそも、「同じ痛み」というものが存在するのかどうか…と言うこと自体が疑わしいのです。
病院でのレイキは「不安の除去」や「鎮痛効果」等、レイキをした事による前後の違いをカルテに明確に記載して行くそうです。とはいえ、レイキの効能って「全体でほっこりした」とか「不安がなくなって落ち着いた」「痛みが減った」とかどれも定量化できない様な物ばかりです。
時間的な制約もあり、病院でのレイキのボランティアを諦めた私は、次はHIV/AIDSの支援団体にコンタクトしました。そのNPOは利用者の希望に応じて廉価でレイキの施術を受ける事が出来るようになっています。施術者が沢山いれば、それだけ多くの利用者がレイキを利用することが出来ます。
ところが、こちらもうまくいきませんでした。ボランティアコーディネーターの人が自らHIV/AIDSのポジティブの人であり、最近がんを発症して、自らの治療によってコーディネーションが滞っていたのです。そして、時間が経つうちに、なんと他のボランティア希望者が現れ、私が面接の日程を調整している間にそちらの人に決まってしまったのでした。
「こんなにボランティアが殺到するのは前代未聞なんだけど、これ以上のボランティアは要らないので」と断りのメールが来たのです。
どれもこれもうまくいかず、「これは、そんなにあっさりレイキのボランティアをするな…という意味か、あるいは他にすべきこと・場所があるのか?」と振り返って思うことが続いたのです。
そもそも平日の日中はフルタイムで仕事をしており、病院の希望する時間帯と私が出来る時間帯の違いが大きすぎたのです。そして、考えてみれば当然といえば当然ですが、代替医療としてのレイキ経験を質問されました。
一般的に「沈痛効果」というのは客観的に評価することが出来ません。医療の現場では、
「全く痛くないときが0で、もうこの世の物とは思えない位痛いって言うのを10とすると、今の痛みはどれ位?」という質問をする位しか、「どれだけ痛いか」といったことはアセスメント出来ないのです。
もしかして同じ痛みでも、ある人にとっては2だし、ある人にとっては常に10かも知れません。そもそも、「同じ痛み」というものが存在するのかどうか…と言うこと自体が疑わしいのです。
病院でのレイキは「不安の除去」や「鎮痛効果」等、レイキをした事による前後の違いをカルテに明確に記載して行くそうです。とはいえ、レイキの効能って「全体でほっこりした」とか「不安がなくなって落ち着いた」「痛みが減った」とかどれも定量化できない様な物ばかりです。
時間的な制約もあり、病院でのレイキのボランティアを諦めた私は、次はHIV/AIDSの支援団体にコンタクトしました。そのNPOは利用者の希望に応じて廉価でレイキの施術を受ける事が出来るようになっています。施術者が沢山いれば、それだけ多くの利用者がレイキを利用することが出来ます。
ところが、こちらもうまくいきませんでした。ボランティアコーディネーターの人が自らHIV/AIDSのポジティブの人であり、最近がんを発症して、自らの治療によってコーディネーションが滞っていたのです。そして、時間が経つうちに、なんと他のボランティア希望者が現れ、私が面接の日程を調整している間にそちらの人に決まってしまったのでした。
「こんなにボランティアが殺到するのは前代未聞なんだけど、これ以上のボランティアは要らないので」と断りのメールが来たのです。
どれもこれもうまくいかず、「これは、そんなにあっさりレイキのボランティアをするな…という意味か、あるいは他にすべきこと・場所があるのか?」と振り返って思うことが続いたのです。