こんばんは、えびでんです。

 

今日は昼前からシトシトと雨が降り、カッパを着て外作業してました。急に気温が下がり、薄着だったので震えながら仕事を終わらせてきました。

 

さて今回はうつ病闘病記録No.2です。

 

2月9日から休職期間に入った私ですが、初めは思い当たる節がありませんでした。

過労?趣味のやらなさすぎ?気分転換できてない?

原因がわかりませんでした。

ただ、休職となった翌日から朝の散歩を始めてみると気分はある程度スッキリするようになりました。それが数日続いたのち、長時間の外出までできるようになりました。

学生の頃から趣味で鉄道やバス・飛行機写真を撮ったりしていたため、久しぶりに気分よく羽田空港へ写真を撮りに行ったことを覚えてます。ファイルを見返すと2月12日でした。

 

ここまで書くと「気分転換ができていなかった」と思うことが多数出てきました。しかし私がうつ病になった理由はこれだけに限りませんでした。

 

こんにちは、えびでんです。

 

やっと1日を通して過ごしやすい穏やかな陽気がきたなと思えばいきなり気温が上がったりして体調整えるのに必死です。

先日の更新にてうつ病の闘病記録を綴り始めましたが、今回は私の持ってる発達障害(グレーゾーン)についても記していきたいと思っています。

 

私の中高生時代は横浜市内にある中高一貫校過ごしました。

やってみたかった部活があったため中学から通い始め、高校3年までの六年間を同じ学園で過ごしていました。

中学1年生で行きたかった文化部に入部しましたが、予想以上に過酷でどうにも心が追いつかず9月で退部。その後は小学生の頃に経験のあったラグビー部へ入部していました。

 

ラグビー部は人数が少なく、他校との合同チームでした。チームプレイが重要視され、サインプレイもありそれを覚えるのに必死でした。当時FWを任されていましたが、状況に応じたプレイをしなけらばならない運動部。それが苦手な私。今思い返せば「ふわふわとした日々」を過ごしていました。

 

2011年9月のある日、中学入学以来に一度辞めた文化部の門を叩きました。

 

「先生。今年の学園祭の展示って何をやるんですか?」

 

この一言から私が発達障害(グレーゾーン)を知るきっかけとなりました。

 

みなさんこんにちは、えびでんです。

 

前回の更新のとおり、うつ病の闘病記録と自身の発達障害(グレーゾーン)との戦いを更新していきます。

 

今回のテーマは「忘れられないあの日」です。

 

私、えびでんがうつ病を発症したのは今年の2月9日でした。

朝、仕事に行くために準備を終えてシャワーを浴びていたときでした。

 

「なんで仕事行かなきゃいけないんだろ・・・」

 

こう自分の口から漏れたのを今でも鮮明に覚えています。

朝6時30分頃、浴室で気分が悪くなり、この言葉を発した時から立ち上がることすらできなくなりました。なんとか自力でリビングへ戻り、母へ「代わりに職場に連絡してほしい」と泣きながら訴えました。

職場の電話番号を伝え、二階にある自分の部屋へ階段を這いつくばりながら戻りました。

リビングから母の声で「精神的に不安定になり、出勤ができません。」と聞こえました。私の代わりにきちんと連絡をしてくれました。

 

「なんて惨めなんだろう・・・」「好きな仕事をしているのになんで行けないんだろう」と想いが多々出てきましたが少し抑えつつ当日受診可能な心療内科を探しました。

なんとか都内の心療内科を発見、残された精神力を振り絞り受診。

 

「うつ状態を認めます。今すぐ休んでください。」

 

私の8ヶ月にわたるうつ病との戦いが始まりました。

この日の思い出は一生忘れられないでしょう。