大河ドラマ『光る君へ』で、ついに政権首班となった道長の『大鏡』での評価について
好運児道長‼
伊周も思慮が足らなく・・・
(NHK大河ドラマ『光る君へ』より、対立する伊周と道長(C)NHK)
伊周が賢明であったならば・・・
好運の人その1 道長の続きです。その1では前を行く政敵たちが次々に病没などで一斉に消えていったことが書かれていました。
『大鏡』でも、道長は好運児なんていう評価がされています。
ここでは政敵が亡くなった次世代の伊周との争いについてです。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』より、次世代争いで自滅した伊周(C)NHK)
帥殿(伊周)のご思慮が賢明でいらっしゃったとしたら、父の大臣(道隆)のご病気の間、天下の政治を執り行うよう、との宣旨が下ったのをお受けになって、そのまま、自然に引き続いて居座ってもおられたでしょう。
ところが引き続いて、道隆が亡くなられたものですから、なんで赤ん坊のような殿(伊周)が天下の政治ができようか、というわけで、関白職が粟田殿(道兼)に移ってしまったのです。
伊周には関白を望まれるようなご器量ではなかったのです。
と、伊周にはかなり厳しい評価が下されています。
しかし、あの勝手に花山院が自分の女の所に通っていると勘違いした結果から始まる長徳の変で、太宰府権帥として流される処分を受ける時に、逃亡し続け、抵抗し続けた様は、そう評価されてしまっても仕方ないのかもしれません。