詮子が一条天皇の下に押しかけて道長のことを頼むシーンについての『大鏡』での記述です
押しかけて、泣きながら道長のことを頼み込む詮子、その結果を詮子のところで待つ道長
(NHK大河ドラマ『光る君へ』で、一条天皇に道長にと訴える詮子(C)NHK)
詮子、息子の一条天皇に道長を泣きながら頼み込む
大河ドラマ『光る君へ』では、道長と倫子夫妻は次の政権首班に就くことをそれほど望まず、姉の東三条院詮子が、子の一条天皇の中宮定子への対抗心や伊周への嫌悪感から道長を焚きつけ、そして自ら一条天皇の下に押しかけて、涙ながらにお願いするシーンが描かれていますが、これについては『大鏡』にも記述があります。
ただ、その記述から見える道長は、『光る君へ』とは異なっています。
『大鏡』の記述についてです。
そもそもの話として、詮子は、道長のことをご兄弟の中で特別に目をかけていて、たいそうかわいがっていたそうです。それゆえか伊周はこの女院様にはよそよそしくふるまっておられ、お互いに嫌い合っていました。
この前提部分については、『光る君へ』でも、十分に表現されています。
一条天皇は、関白道兼の死後、母の詮子から道長を関白にするようにとお願いされますが、それを渋ります。この渋る理由としては寵愛する中宮定子と二人の下によく通ってくる定子の兄の伊周らとの関係から渋っている感じで書かれています。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』で、一条天皇に道長にと涙ながらに訴える詮子(C)NHK)
母の詮子のこの申し出をうっとおしく思った一条天皇は、詮子のもとを訪れなくなります。そこで危機感を感じた詮子は、一条天皇に呼ばれてもいないのに、その寝所に押しかけて、道長の関白を涙ながらにお願いします。
この最中、道長は、詮子のお局につめて、その結果を待っていたそうです。つまりは、道長は詮子が動くことを知っていたし、期待していたということが読み取れます。お願いしたまでは分かりませんが、少なくとも『光る君へ』で描かれているような政権奪取に消極的な道長ではないと言えると思います。
姉の詮子がなかなか帰ってこないので、絶望かもしれないと道長は胸をどきどきさせていたそうですが、姉の詮子が泣いて赤くなったお顔で帰ってこられて、御満足げに微笑みながら、宣下が下ったことを伝えます。
道長はこの姉の詮子の大胆な行動のおかげで、史実としてはこの時の宣下は関白ではないですが政権首班となることができたことに、詮子が亡くなったときも、その御骨まで道長自身の首にかけて運ばれるというお仕えぶりで感謝の心を示したそうです。
詮子が一条天皇に道長を涙ながらに頼み込む回は、こちら