#714 レビュー『アリストパネース4 ギリシア喜劇全集4』 | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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ペロポネソス戦争が終わり、あらたなコリントス戦争下で創られた喜劇の『ギリシア喜劇全集(4) アリストパネース 4 [ 久保田忠利 ]』を読みました。

ペロポネソス戦争で敗戦に終わったその後のアテナイにおいて作られ上演されたアリストパネスの後期の喜劇作品

 

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  内容やレビュー

本書は、アリストパネース(前446~前385)の喜劇作品『女の議会』『プルートス』『断片』の3作品が収録されています。

 

今回の作品の時代は、これまで続いていたペロポネソス戦争が前404年にアテナイの降伏で終わり、続いて、ペロポネソス戦争に勝利して力をつけたスパルタに対して、アテナイ・アルゴス・コリントス・テバイが同盟を結んで、スパルタが主導するペロポネソス同盟に対する戦争が前395年から始まり(コリントス戦争)、その期間中にあたります。


◆『女の議会(エックレーシアズーサイ)

上演時期は、前393~前390年の間と推定される作品。「女物3作」と称される喜劇の一つ。

 

原題のエックレーシアズーサイは、「エックレーシア(民会)に出る女たち」という意味です。

 

アテナイの民会は、アテナイの男性市民のみが参加して、政治的決定などを行う場です。それを女たちが夫の衣装などを黙って持ち出すなどして身に着け、ひげをつけて男になって、民会に出席して、アテナイの支配を女性に任せるという現実のアテナイではありえない設定の喜劇です。

 

ペロポネソス戦争のときは、平和と反戦の重要性を、スパルタとの和平よりも戦争を選ぶ政治指導者らを名指しにするなどして揶揄していたアリストパネスですが、それまでの作品と比べるとトーンがかなり異なります。

 

ペロポネソス戦争が終わり、10年もたたないうちに、コリントス戦争が起こる中で、継続し続ける戦争の中で貧富の格差が続く中で、それをアテナイ市民たちはみな自分の財産をすべて供出して財産も土地も国有(公有)とし、食事などもポリスが提供するという共産主義的ユートピアが提示されています。2500年以上前にもこういった思想が存在しているんだなと驚きながら読みました。

 

そんなユートピアがディストピアになるようなことが、下ネタを使って展開されるのはアリストパネスの喜劇らしいところもあります。民会の決定で「女性の夜支配」が決められます。その内容の中には結婚制度の撤廃や性行動の大幅な自由が認められますが、性行動の自由による不平等を解消するために、性行為の順番も新たな法律で定められます。男女ともに、若くて美人、若くてイケメンとしたい場合でも、まずは年老いたブサイクとしなければならないなんていうものです。これにより、若い女性の下にやって来た若い男性を、老女たちがその新しい法律を建てにまずは私たちからとそれぞれで取合いを演じ、若者は望まぬ性交渉の決まりに大いに困るという卑猥な性欲を露骨に表したドタバタ喜劇が展開され、ここらへんは当時笑いを誘ったんだろうと

思います。

 

アテナイの男どもが戦争に明け暮れることに対する不満があったとは思うのですが、それをこれまでのようなストレートにいじって揶揄するのではなく、一度読んだだけでは真意がつかみづらい作品だと思いました。

 

アリストパネスの「女物3作」を通して、アテナイでは政治も戦争も、基本的にはアテナイ男性市民が担い、女性はそういったところには参画することなどできなかったので、そんなアテナイが、ペルシア戦争の勝利から、長く続き降伏に終わるペロポネソス戦争。そしてすぐに引き起こされたコリントス戦争で、戦争続きの中で、貧富の格差の拡大や人の和の崩れは退廃的な風潮を、喜劇として揶揄し批判するためには、女が支配者になるという逆転の設定が必要だとアリストパネスは考えたんだと思います。

 

◆『プルートス(福の神)』

前388年に上演された。アリストパネスによって生前最後の上演作品。その後も作品が発表されましたが、自分の子の名前によって上演されました。

 

原題の「プルートス」は「富の神(福の神)」を意味するとともに、「富」そのものを意味するもので、作品内でも大半は「富の神(福の神)」ですが、「富」そのものなのかなという感じの使われ方もしています。

 

この当時は、ペロポネソス戦争からコリントス戦争と戦争続きのアテナイで、貧富の格差が拡大するとともに、市民意識の希薄化がはっきりしてきたときでした。アテナイの成人男性市民は民会での政治決定の場に参画するのが当然でしたが、この当時には参画意識の希薄化から民会に出席すると日当がもらえるようになっていました。また戦いにおいてもが自ら重装歩兵とした戦うのが当然だった状態から外国人傭兵で戦うという、政治も戦争もお金という状態になっていました。そんな堕落したアテナイを貧富問題から風刺したのが本作と言えます。

 

話の筋としては、貧富について考えるものとなっています。正しいが貧しい老農夫クレミュロスが、アポロンの神託でプルートス(富の神)に出会い、お金持ちになりますというものです。

 

ここで不正を働き富むものとして、裁判好きのアテナイでの何でもかんでも告発して儲けるシューコパンテース(告訴常習者)や公職について私腹を肥やす政治家が挙げられています。昨今話題となっている自民党国会議員らの裏金作りなんてのもアリストパネスにかかれば間違いなくこの作品の風し対象だったでしょう。

 

正しいが貧しい老農夫クレミュロスは、たった一人に息子が自分のような貧しいが正しい生き方ではなく、悪事を働く、不正をなすものとして生きた方が得するのでいいのではないかと、アポロンの神託を得ようと神殿に行ったところ、神託はその件についての回答はなく、神殿を出て最初に出会った人を家に連れて帰るように言われます(エウリピデスのよるギリシア悲劇『イオーン』でも、神託を得にいった神殿から出た最初のものが・・・とありました)。

 

それが”プルートス(富の神・福の神)”でした。ただ彼は盲目でした。盲目故に富ませるのにふさわしい正しい人なのか、そうでない人なのかが見えないというオチが軽くついたのち、このプルートスを目をみえるようにしてやるように動きます。

 

この間のプルートスとクレミュロスのやり取りは、富を持つことの難しさを感じさせてくれます。クレミュロスは正しいものが富むべきと考えますが、プルートスは正しくてもお金持ちになると正しくなくなってしまうことを説きます。それでもクレミュロスは自分は違うと主張します。

 

そんなことをしている中、次に貧乏女神ペニアーが主人公らの下に現れ、貧しいからこそ働こうとするし、工夫するし、神に祈り、犠牲を捧げ、何か良い事があると感謝する。貧しくなくなって金持ちになれば、働くこともしないし、神にも感謝しないという反論を展開するといった話もあります。

 

話は途中まで、正しいが貧しかったものが、プルートスによってお金持ちになるはずだったのが、いつのまにやら正しいのかどうかに関係なく、いろんな人たちがお金持ちになってしまい、それによって正しいから貧しいではない事態も展開されます。

 

貧しい人が正しいわけでなないといことを、貧しい若者と金持ちの老女の援助交際をネタにして展開する辺りは、アリストパネス喜劇らしい下ネタで真面目なことを風刺するスタイルが表されています。

 

本作は富と倫理的問題を、「はじめは貧しい人が正しく。富める者は不正を働く」という単純な見方から初めて、必ずしもそうではないこと、富が人間にもたらす良い面、悪い面などを考えさせられる話でした。

 

断片集部分については、作品として楽しめそうになかったので読んでいません。ただ、研究者の皆様がこうやって断片を集めていったことは尊敬に値するものだと思っています。

 

『アリストパネース4 ギリシア喜劇全集4』

訳 者:西村賀子、安村典子、久保田忠利

    野津寛、脇本由佳

発 行:株式会社岩波書店

価 格:6,200円(税別)

  2009年11月20日 第1刷発行

図書館で借りてきた本のデータです。

 
 
 
 
 

 

 

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