#696 道隆の深酒、その酔態 from『大鏡』 ~『光る君へ』を楽しむため | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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藤原道隆の酒好きなことが『大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)』にも記録されています。

深酒で、亡くなったのもお酒の乱脈な飲みぶりという評価が下されている中関白の藤原道隆

  度が過ぎる深酒の道隆と、その酔態

大河ドラマ『光る君へ』でも、お酒をよく飲んでいる感じの藤原道隆さんですが、『大鏡』でもその度が過ぎた深酒について書かれていました。

(NHK大河ドラマ『光る君へ』で正妻の高階貴子と酒を飲む道隆(C)NHK)

 

道隆さんは、藤原兼家と時姫の間に生まれた子の中では長男にあたり、父の兼家の後の関白となり、6年ばかりのご在世の間、お栄あそばされたと記録されています。

 

亡くなったのは、大疫病の年ですが、その原因は疫病ではなく、「ご酒の乱脈な飲みぶりの結果」でいらっしゃったのですと記録されています。

 

さらには、上戸であることも一興だとしますが、度の過ぎたのは、ひどくふつごうな場合もありますよと書かれ、そのひどく不都合な場合として、ある年の加茂祭の斎院の御帰還の儀式見物のことが挙げられています。

 

藤原済時卿、藤原朝光卿らと一つの車に乗って、その中で、3人でだんだん深く飲み過ぎて、載っている車の前後の簾をすっかり巻き上げ、3人とも冠を脱ぎ、もとどりを丸出しにしてしまっていたという酔態を晒したそうです。

 

大鏡』ではこの行為を、「その風体はまことにどうも見苦しいものでした」と評しています。 


もとどりを人に見せてしまうことは、この当時の彼らにとって非常に恥ずかしい行為でした。大河でも花山天皇が、藤原義懐らの被り物を剥ぎ、剥がれた二人が慌てて頭を隠していましたように、それを道隆さんは酔ってやってしまったわけなので、見苦しいと評されてもしかたがないことなんです。

 

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