酒の飲みすぎの道隆、病に倒れ、突然の終焉を迎える大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第17回「うつろい」について
道隆の中関白家、全盛を迎えるもその完成させることができずに道隆は病に倒れ死す。次の実権は誰に???
第17回は、994(正暦5)年、995(正暦6・長徳元)年の話になります。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』中関白家、道隆の死(C)NHK)
朝廷では、長兄の関白道隆に対して、悲田院にまでいき疫病の流行を知った道長は疫病対策を進言しますが、道隆は酒を飲んで、自分たち上流階級には関係ないと取り合わず、むしろ自分の失脚を望んでいるのではないかと疑いをかけて、亀裂がどんどん深まり広がる感を見せます。
そんな道隆ですが、ついに病に倒れます。それは都にはやる疫病ではなく、過度の飲酒などからくる飲水病(今でいう糖尿病)でした。亡父の兼家同様に安倍晴明を呼び、寿命を延ばす祈祷を依頼しますが、晴明は受けたふりして弟子に押し付けで、自分自身の邪気祓いをします。この呼び立てたところでも、詮子、道兼、道長らから恨まれていることを明言するなどします。
病に倒れ、焦る道隆の暴走が始まります。その暴走の一つとして描かれるのが疫病が流行っていることから正暦から長徳と年号の改元でした。あのうるさ方の実資がその年号を批判し、また関白道隆のいいなりだと一条天皇をも批判します。その様子を一条天皇が知ることで、その後の展開として、道隆の要求に対して満額の回答をしない一条天皇というのを描こうとしているんだなと感じました。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』道隆亡き後の流れについて相談する3人(C)NHK)
この状況を受け、前回で道隆と対立を深めた詮子、道兼、道長が詮子を筆頭に結集し、道隆の次はその子伊周ではなく、道兼に関白にする動きを始めます。とにかく詮子は息子一条天皇を定子に取られているのが気に食わないらしく、また伊周も大嫌いとその関係から動いているようです。
一方の定子も詮子に対抗すべく、父道隆の存命中に夫の一条天皇に頼み込んで、伊周を内覧にしてしまおうと動きますが、関白道隆の申出に「長徳改元」での批判から一条天皇はすぐに許すことをせず、しかも条件付きのOKとします。
これを受けて道隆のさらなる暴走が続き、中宮定子には一条天皇との間に早く皇子を産めと迫り、一条天皇には無理やりその御簾押しのけて直接に伊周の関白をお願いするという暴挙に出てしまいますが、ついに亡くなりますが、その間に疫病はついに宮中にまでやってきて、公卿の間にも疫病での死者が出てしまいます。
道隆にとって痛かったのは、定子を中宮にするまではよかったのですが、一条天皇との間に皇子が生まれていなかったことです。父の兼家が藤原氏の本流(藤氏長者)と政権首班を藤原頼忠から奪えたのは、詮子が後の一条天皇を生んだことによるものなので、それが実現しないままで、自分が亡くなれば、だれが藤原本流なのかという争いが起こることが十分予想されたからで、それゆえに、一条天皇への暴走や、道兼への情けにすがろうとすることなどが描かれたんだと思います。
一方のまひろ(紫式部)は、第16回の最後で悲田院での看病活動で疫病に倒れ、道長に助けられて家まで送り届けられて回復します。まひろにとっては道長の幻を観たような気分でしたが、看病されたことを知り、悲田院に来た理由は、自分が求めた新しき世を実現しようとしているのではないかとの期待を持ちます。ここらへんは、のちの展開でまた生かされることになるのだろうと思います。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』自分が書くことの使命ととらえ始めるまひろ(C)NHK)
そんな中でまひろが自らの使命を知っていく過程の一つとなる、誤解で仲たがいしてしまった友人のさわの再訪と仲直りでした。このときのさわとのやり取りから、自らが書くことの意味、自分が書くことへの他者への効果を知り、物を書く使命というのをより一層持つようになります。
ききょうの作家としての活動開始はいつなのか?そんなことを思わせる17回でした。