#674 藤原道綱母と『蜻蛉日記』‐大河『光る君へ』を楽しむ為に | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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光る君へ』で兼家にとにかく道綱をとお願いし、石山詣ででまひろらと交流した藤原道綱母(大河では藤原寧子)とその作品の『蜻蛉日記』ついてです。

本朝第一の美人の寧子さん、兼家の妾として関係に懊悩しながら、二人の間の子の道綱にとにかく期待をかけて、かけて、かけて・・・

(NHK大河ドラマ『光る君へ』の寧子こと藤原道綱母(C)NHK)

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  寧子こと藤原道綱母について

光る君へ』では、兼家の妾として登場し、兼家との間に生まれた道綱のことを何かと頼み込む寧子さんは、藤原道綱母として、兼家との関係を『蜻蛉日記』に書いています。

 

藤原道綱母が、『光る君へ』で寧子なのは、藤原倫寧の娘なのと、倫子は道長の正室で源倫子が登場するため、そう名付けられたのだと推測されます。

 

父の藤原倫寧も、藤原兼家と同じく北家の流れですが、受領階級の貴族で、陸奥守、河内守、丹波守、伊勢守を務め、上総や常陸でも国司を務めたのではないかという地方赴任の多い方でした。

 

その父から生まれたのが寧子さんです。”本朝第一の美人”なんて言われた美女だそうで、そのうわさを聞き付けた兼家が求婚に求婚を重ねて、ついにものにします。ただ兼家の正室には時姫がおり、あくまでも妾という立場でした。

 

(NHK大河ドラマ『光る君へ』の兼家寧子(藤原道綱母)(C)NHK)

兼家と寧子さんの間に生まれたのが、大河では陽気でお気楽なキャラの道綱さん。

兼家と時姫の間に生まれたのが、道隆、道兼、道長、詮子です。

 

『蜻蛉日記』では、その兼家がなかなか家に来てくれなくて嘆きながらも、来てくれれば、素直に喜びを兼家に表せなくとも喜ぶという男と女の複雑な感情が描かれる一方で、とにかく道綱の成長に期待する母の姿も描かれています。

(NHK大河ドラマ『光る君へ』の寧子が死にそうな兼家道綱のことを頼む(藤原道綱母)(C)NHK)

そんなことも記述されているので、『光る君へ』でも、兼家が死ぬ間際にも拘わらず寧子が道綱のことを頼むのが描かれたんだと思います。

 

貴族の女性たちにとって、外出することはそうそうでできることではないのですが、石山詣などはその外出を正当化できる理由なので、『蜻蛉日記』でも近江(滋賀県)や大和(奈良県)などにも詣でることが描かれており、石山詣でも記述されています。

(NHK大河ドラマ『光る君へ』の寧子&道綱親子と交流するまひろ(C)NHK)

 

それが、『光る君へ』で、まひろとの交流で、まひろに対して『蜻蛉日記』を書いたことについて

わたしは、日記を書くことで己の悲しみを救いました。

と言わせ、それが、まひろに物書きをさせることへの流れにつながりそうな雰囲気を醸し出しています。

 

そんな『蜻蛉日記』ですが、平安末期から鎌倉初期は藤原定家などの貴族に写本で読まれていたそうですが、その後長い間忘れられ、応仁の乱前後にその写本の多くが戦災で失われ、粗雑な転写本のみが生き延びたそうで、江戸時代に契沖から研究が始まり、数度刊行され、一般に読まれるようになった作品なんだそうです。

 

 

 

 

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