『光る君へ』で関白で登場した藤原頼忠の娘の藤原遵子について『大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)』で見ていきたいと思います。
北家小野宮流の関白太政大臣頼忠の娘、もし皇子を生んでいたら、、、
(NHK大河ドラマ『光る君へ』で円融天皇に入内する藤原遵子(C)NHK)
「太政大臣頼忠 廉義公
『大鏡 全現代語訳 全現代語訳 (講談社学術文庫) [ 保坂 弘司 ]』における藤原頼忠の娘の藤原遵子についてです。
(家系図 筆者作成)
藤原遵子は978(貞元3)年に円融天皇に入内し、982(天元5)年に中宮になります。この中宮については、藤原兼家が入内させた詮子もおり、詮子の側には円融天皇との子ども懐仁親王がいましたが、円融天王との間に皇子がいなかったとはいえ、遵子が中宮になりました。26歳の時の事でした。
(NHK大河ドラマ『光る君へ』で円融天皇と藤原遵子(C)NHK)
大河ドラマでも、遵子については円融天皇とともに楽しむ姿が描かれ、一方の円融天皇と詮子の間は皇子の懐仁親王がいるとはいえ冷え切った関係が描かれているのも、この中宮冊立の事情を現しているように思われます。
遵子は、大変思慮深く、物知りだと評判で、ご供養やご祈祷もしっかりとなされましたとのことです。円融天皇との間に皇子が生まれていたなら、円融天皇は大変かわいがり、東宮(皇太子)にしようとしたと思われるので、この遵子や、父の頼忠らの運命は大きく変わっていたことだろうと思います。