『光る君へ』で剛腕ぶりを見せつける藤原兼家を系図からいかにして藤原本流となり、政権の主犯的な損際にまで昇りつめていったのかを見ていきたいと思います。
剛腕に加えて、外戚として権勢を確立するために、幾重にも張り巡らせる天皇家との婚姻の網
(NHK大河ドラマ『光る君へ』で藤原兼家(C)NHK)
系図から見る藤原兼家のしたたかさ
藤原兼家は、藤原師輔の三男として生まれました。この藤原師輔からの流れを藤原北家九条流と言います。
(藤原兼家などの系図 筆者作成)
北家では忠平の長男の小野宮流の藤原実頼が本流(藤氏長者)でした。次男の師輔は摂政や関白になれず官位の面では兄の実頼に負けますが、娘を村上天皇の妃としてのちの冷泉天皇や円融天皇を生ませることに成功させることで息子たちの代で藤原本流の流れ(藤氏長者)を取ることになります。
師輔の次の代の主な子ども達が、水色の枠で囲んだ方々になります。長男の伊尹、次男の兼通、三男の兼家、異母弟の為光らです。師輔が外戚となることで藤原本流(藤氏長者)をとり、伊尹、兼通らが摂政や関白に就任し、政治的にも主流となる九条流です。
しかし、その九条流の中で仲たがいが発生します。
次男の兼通と三男の兼家はとても仲が悪く、兼通は自分が政権首班となると兼家ではなく小野の宮流の頼忠を昇進させます。兼通死後は小野宮流の頼忠は関白、そして藤氏長者となります。それが『光る君へ』でも、第1回で関白が藤原頼忠が兼家よりも上位にあったことにつながります。
兼家は、藤氏長者の藤原氏本流と政権首班となるべく取り組んでいきます、藤原頼忠も本流であるベック取り組みます。それが円融天皇へのそれぞれの娘を入内させます。ここで軍配が上がったのがこの系図にあるとおり、藤原詮子がのちの一条天皇を生むことができた藤原兼家でした。
兼家がしたたかなのは、『光る君へ』では詮子だけですが、天皇の血統としては村上天皇のあとは冷泉天皇系と円融天皇系に分かれることになるので、冷泉天皇にもしっかりに娘の超子を入内させ、一条天皇のあとにも手を打っていることです。
しかも、その冷泉天皇と娘の超子の間に生まれたのちの三条天皇にも娘の綏子を入れてあることです。外戚として政権を担うための網の目を何重にも張り巡らしています。
そういった意味で、この系図を眺めるとやはり花山天皇は、兼家にとってその宿願の藤氏長者と摂政という政権首班を担うためには目の上のたん瘤のような存在ともいえる存在なんだと思います。
この関係を道長も父からしっかりと学び取り、”この世をば”を実現したんだと思います。