ハンニバルのことやカルタゴの歴史を読んでいた中で20年ぶりに読み直してみた歴史SF小説『カルタゴの運命』について
大国の影響下に甘んじて経済に特化したカルタゴを題材にした通商国家型の現代の日本への警鐘をならしているのかも
レビュー
現代にフリーターで生きている主人公が、人間よりも高度な精神生命体の誘いで紀元前264年から始まるローマvsカルタゴの第一次ポエニ戦争からカルタゴの滅亡の年までの間のタイムトラベルし、その精神生命体の補助員としてカルタゴ陣営でカルタゴが少しでも有利になるように工作をして歴史を変えることができるかという内容の歴史を題材にしたSF小説です。
ただ、この本での主人公の知るカルタゴの歴史は史実とは異なり、第三次ポエニ戦争はなく、第一次・第二次ポエニ戦争でローマに敗れて衰えていくカルタゴが、その前の第二次ポエニ戦争末期にローマについたヌミディアのマシニッサに紀元前150年に滅ぼされるという設定になっています。
また、この工作についてはカルタゴ側だけでなく、ローマ側にも同じように精神生命体とその補助員による工作が行われ、双方の工作合戦の末にローマvsカルタゴの歴史がどう変わるのかというのが描かれます。
20年ほど前にこの本を読んだ時は、ハンニバルのポエニ戦争の歴史SFなんてあるんだという興味からでしたが、改めて今読み直すと、この本は眉村拓先生はこの本の元の連載は1990~98年に及び、経済大国の絶頂からバブルがはじけて、長き停滞期に入る日本、大国といってもアメリカとの戦争に敗れ、アメリカという超大国の傘下で軍事的なことは放棄して経済一辺倒に突き進んでいった日本の姿をカルタゴに重ねて警鐘を鳴らす意図があったのではないかと思いました。
なぜなら、この主人公のチームにはもう一人の補助員が加わります。それは1946(昭和21)年9月の日本の休学中の帝国大生でした。彼は肺結核を患い、学徒として出陣できず国のために戦うことができずに、多くの知人・友人を失った人物で、お国のために戦うべきなのにできなかったことへの劣等感とそのお国が破れた衝撃を抱えている青年でした。
本書ではいろんな工作の末に、今の私たちが史実として知るカルタゴの滅亡という流れになるわけですが、その交錯する際において、平和で経済優先な日本でフリーターとして暮らす主人公と、お国のためには国民自らが戦わねばならないとする青年が、傭兵によって自らの国を守ろうとするカルタゴ、とにかく商売に精を出すカルタゴの国の味方について大きくぶつかり合い、途中で主人公がこの青年に殺害される(高度精神生命体により生き返ります)という事態にも発展します。
最後のカルタゴの滅亡後のゲームの後日談においても再び主人公と青年はぶつかります。青年にとって、カルタゴは金もうけだけの理念のない利己的な人の集まりの国であること、国民は高邁な目的のために国家理念を実現しようとする指導者の下で結束して力を尽くすべきで、犠牲もやむおえない。国防は国民が担うべきと主張します。一方の主人公は、国は国民の生活を保護し安定させるためにあり、カルタゴにとってその手段が通商国家であること、国家とは降伏を求める人々が、合意の上で運営していくもので、国を指導するのは大衆であり、大衆が力を発揮する社会の方が健全だと主張します。
戦前の日本と戦後の日本とお互いにかみ合わない主張となりますが、カルタゴをもとにこれをあえて出して議論させるところに、眉村卓先生の日本への警鐘なのではないかと思いました。
ローマのスキピオ vs ハンニバルの第二次ポエニ戦争とその後の二人の人生を描いた漫画
〈書籍データ〉
『カルタゴの運命』
著 者:眉村 卓
発 行:新人物往来社
価 格:2800円(税別)
1998年11月25日 第一刷発行