8月6日の大河ドラマ『どうする家康』ではあっさり終わる家康の甲斐と信濃ゲットの”天正壬午の乱”を『家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ (角川ソフィア文庫)』で見ていきます。
やらかしてしまった酒井忠次
(NHK大河ドラマ『どうする家康』の酒井忠次(C)NHK)
甲斐国・信濃国の制圧を目指して
本能寺の変後の状況
織田家重臣の滝川一益は、武蔵・上野国境を流れる神流(かんな)川(高崎市)で北条氏と戦って敗北し、上野国を捨てて逃亡
同じく甲斐国を知行していた織田家重臣の河尻秀隆は一揆により殺害
甲州征伐の時に徳川家康を通じて織田信長に臣従した穴山梅雪も本能寺の変での帰国途中で一揆に殺された。
信濃国内の領主に対して、徳川・北条・上杉・秀吉が触手を伸ばして味方に引き入れようと動く
徳川家の動き、北条家の進出
徳川家康は尾張に出陣する一方、甲斐国・信濃国の制圧を目指して動き出す。
甲斐国に対して
武田旧臣を手なずけ、領国化を図るべく、大久保忠世・大須賀康高・石川康通らを派遣
信濃国に対して
奥平信昌を派遣して。伊那郡を獲得
酒井忠次も派遣して領主に対して徳川氏への服属働きかけを行う。
北条氏も甲斐国・信濃国の領主へ働きかけて、真田昌幸などを服属させ、信濃国の佐久郡・小県郡・諏訪郡へ進出。
家康も松平家忠も7月3日に出陣し、遠江国の山口(掛川市)・牧野・駿河国駿府・清水・大宮・精進を経て、10日に甲斐国の善光寺に着陣した。
松平家忠は酒井忠次から7月15日に白須(北杜市)への着陣を命じられる。
7月18日に諏訪に着陣し、22日に高嶋城(諏訪頼忠)の攻撃を開始した。
※高嶋城主諏訪頼忠は、最初は徳川氏についたが、酒井忠次が自分の命令に従えとしたことから怒って、北条方に寝返った。
『三河物語』においても、大久保忠教が兄の大久保忠世の活躍で引き入れたはずの諏訪頼忠を酒井忠次の発言のせいで北条方に寝返らせてしまったという記述がありましたが、松平家忠日記にもその記載があり、やはり酒井忠次の対応がまずいことがあったのは本当のようです。
『松平家忠日記を読む』の紹介ブログ記事