#269『三河物語』を読むその10「八代目 松平広忠」後編~『どうする家康』を楽しむため | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

歴史をもっと知りたい!
本を読めば広がる光と闇を楽しんでいます。
歴史と読書記録。積読などをアップしながら、日本史や世界史を問わず歴史の考察などを発信します。

2023年大河『どうする家康』では、飯田基祐さんが演じる徳川家康の父、八代目の松平広忠についての『三河物語』の記述の後編

 

一族の争いに織田信秀との戦い

NHK大河ドラマ『どうする家康』の飯田基祐さんが演じる松平広忠

13歳で家督を継ぐも、叔父の松平内膳信定にお家を奪われ流浪するも、大久保忠世と『三河物語』の著者の大久保忠教の伯父の大久保忠俊の活躍と今川義元の協力により、17歳にして岡崎城に戻ることができた松平広忠、しかし苦労が続きます。

信長の父、織田弾正忠信秀が西三河に侵攻し、安城城を落とし、佐崎(岡崎市)の松平三左衛門尉忠倫が信秀と手を結んで広忠を裏切ります。

 

おどろいたのが、大河『どうする家康』で徳川家康を支える重臣で、のちの徳川四天王の筆頭格酒井左衛門尉忠次も信秀方に寝返っていたことが記載されていたことです。

 

一族の松平蔵人信孝も、相続などで主君広忠よりも広い領地をもったことから、広忠家臣らが以前の松平内膳信定のようなことが起こらないようにしようとした結果、この松平蔵人信孝も信秀に寝返ります。

 

これを機に、織田弾正忠信秀は西三河にさらに侵攻し、上和田の砦を取ってそこに松平左衛門尉忠倫を入れて尾張に撤退します。ここで広忠は家臣に松平忠倫の暗殺を命じて成功します。

 

孤立無援で敵に囲まれている松平広忠は今川義元に援軍をお願いしたところ、人質を出すことを条件に援軍を出してもらえるので、御年6歳の竹千代(のちの徳川家康)を差し出すことを決めて送り出しますが、田原の戸田康光(広忠の舅、竹千代の義理の祖父)が信秀に銭千貫目で撃ってしまい、織田方に竹千代を奪われてしまいます。

 

織田方が竹千代を人質に交渉しますが、広忠は応じず、その姿に侍の義理を感じた今川義元は太原雪斎で駿河・遠江・東三河の軍勢を連れて救援に赴きます。それを聞き喜んだ岡崎では、攻めてきた松平蔵人信孝を射殺して首を取ることに成功します。織田信秀も今川方の出陣を聞き、西三河に侵攻します。

ここで小豆坂の戦い(1548(天文17)年 第二次小豆坂の戦い)が起こります。

 

今川方、織田方ともにあい対そうと出陣する中、駿河衆が小豆坂に登ると、織田方の先陣の織田三郎五郎信広(信秀の弟)が登りかけており、ばったりと遭遇して戦いが始まり、駿河衆が織田信広を蹴散らし、信広は織田信秀の本陣に戻って再進出を図るも、撃退されてしまうという記載になり、『三河物語』では、駿河衆の勝ちといわれたと書いています。

 

その後、駿河衆は引き上げ、織田信秀も弟の織田三郎五郎信広を安城城において尾張の清州城に引き上げます。

※この安城城の信広がのちに今川方にとらえられ、竹千代との交換される方です。

 

松平広忠は23歳で病死します。

※『三河物語』では病死ですが、1549(天文18)年3月に家臣に暗殺された説、一揆で殺されたという説もあり、その最期に謎のある方です。

 

 

 

にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村