#103 ブックレビュー『経済大国カルタゴ滅亡史』の感想について | 歴史に遊び!歴史に悩む!えびけんの積読・乱読、そして精読

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なぜ経済大国カルタゴが滅亡したのかと
ポエニ戦争のその後の戦争の戦略・戦術の影響を探る

※『アド・アストラ』まとめは、こちら

<書籍データ>

『経済大国カルタゴ滅亡史』

著 者:是本 信義

発行所:株式会社光人社

 2009年4月22日 印刷

 2009年5月  2日 発行

価 格:1,800円+税

著者の是本信義さんは1936年生まれ、1959年防衛大学校を卒業し、海上自衛隊に入隊し、主に艦隊勤務をつづけ、艦隊司令部作戦幕僚なども務められたということです。

 

  考察および感想

カルタゴの歴史研究家ではなく、作戦幕僚も務められた著者というだけあって、その着眼点としては、国家の興亡や、戦争における戦略や戦術について描かれているのが特徴です。

 

カルタゴとローマ、つながる建国の神話

 ギリシャに「木馬の計」で敗れたトロイの勇将アエネアスは、母でもある美の女神ヴィーナスの手引きで脱出して、北アフリカに漂着。

 フェニキアのテュロス王家で内紛が起こり、王の姉ディドーが近臣を連れてチュニス東方に逃亡し、そこに新しい都市を建設して女王となった。その新しい都市がカルタゴで、そこに漂着した来たのがギリシャに「木馬の計」で敗れたトロイの勇将アエネアスであった。

 ディドーとアエネアスは恋に落ちるも、二人の仲に嫉妬した主神ジュピターによりアエネアスに第二のトロイを建設させることを思い起こさせて一人旅立たせる。ディドーは失望のあまり、神火に身を投じて焼身自殺してしまう。

 一方のアエネアスはイタリア半島にたどり着き、ラテン人の王女と結婚し、子孫も代々王として栄えてきたが、王位継承の兄弟げんかで王女が神殿の巫女にされてしまったが、その巫女を軍軍神マルスがみそめ、ロムスとレムルスの双子を生み、この双子がローマにつながる。

 

というカルタゴとローマは建国神話において因縁浅からぬ関係といってもよい国であったことが、そののちの三次にわたるポエニ戦争につながるということは不思議なものです。

 

なぜ、大国カルタゴがローマに敗れたのか

端的にのべると、カルタゴは大国ではあったが、目先のもうかるかどうかの商売人の国で、短期的な損得勘定や、傭兵主体で安全保障の意識も低かったことが、第一次ポエニ戦争の時点ではローマよりも圧倒的な大国であったはずのカルタゴはそのローマに敗れてしまったということだと思います。

 

ローマは、常に優勢で戦っていたわけではなく、第一次ポエニ戦争では陸軍国家で海軍になれていないローマが、なんども海軍を壊滅させられながらも、挙国一致で海軍を再建して、最後にはその地中海の海軍国家カルタゴを打ち破り、第二次ポエニ戦争でも、なんどもローマ軍団が、カルタゴの名将ハンニバルに壊滅させられても、このときも挙国一致で再建して、大損害を出しながらも勝利を目指して漸進であっても進んでいき、勝利を収めるというその対比の考察が確かにと思わされるものです。

 

カルタゴに安全保障や明確な国家意識があれば、第二次ポエニ戦争においてハンニバルがカンナエでローマをさんざんに打ち破ったときなどを生かして、国家としての攻勢をかけていたなら、ローマを打ち破るという”歴史のif”が成立していたかもしれません。

 

戦略・戦術 第一次・第二次世界大戦などに与えた影響

ポエニ戦争、特に第二次ポエニ戦争が、後世の戦争の戦略・戦術に大きな影響を与えたという著者の考察は、まさに著者が史学や高語学などの歴史研究者ではなく、海上自衛隊の作戦参謀だからことというものでした。

 

その戦略・戦術

①ローマのスキピオ・アフリカヌスの「間接戦略」インダイレクト・アプローチ

 イギリスの兵学者リデル・ハート卿は、第二次ポエニ戦争でイタリアにいるハンニバルの本拠カルタゴ・ノヴァを落とし、ハンニバルの本国カルタゴを衝き、ローマに勝利をもたらしたその戦略から、戦史研究を通じて、ピュロスの勝利に代表される「労多くして功少ない」正面攻撃を極力避け、相手本陣の急襲、兵站の遮断、弱点を衝いて相手を屈服させる高等戦略を生み出したといわれているそうです。

 

ちなみに、この「間接戦略」を太平洋戦争におけるアメリカが採用して、B-29による日本本土への戦略爆撃や、日本軍の防衛力が強力なところはパスして進む「蛙飛び作戦」を行ったという実例も示されます。

②カルタゴの名将ハンニバルの機動戦法・両翼包囲戦法

陸上戦の主役は、歩兵と騎兵の交代を繰り返す中、第一次世界大戦のころは歩兵が主役であったが、その繰り返しを研究していたのが、イギリス陸軍のJ.F.フラー少将、リデル・ハート大尉、フランスのド・ゴール中佐らは、第一次世界大戦末期に登場した戦車を見て、戦車を中心とする機甲戦・機動戦の時代になることを予言したが、英仏ではその理論が忌避され、むしろ弾圧を受けることになったが、その理論を採用して、実現したのが、英仏と第二次世界大戦で戦うヒトラーのナチス・ドイツと、スターリンのソ連であった。

 

ソ連の実現は、ド・ゴールが第一次世界大戦中にドイツの捕虜となり、その捕虜収容所で帝政ロシアのミハエル・トハチェフスキー少尉と親交を結び、伝授したところ、のちにトハチェフスキーは、レーニン、スターリンに重用されて、赤軍機甲部隊設立につながるという不思議な流れがあったということです。

 

そしてこのリデル・ハートの機甲戦、機動戦理論を忠実に具現化したのがイスラエル軍ということだそうです。

 

③”ローマの盾”ファビウスの遅退戦術 ”フェビアン戦略”

第二次ポエニ戦争初期に、ハンニバルにイタリア本土に攻め込まれ、軍団を何度も壊滅に追いやられるも勝利をもたらすことにつながった戦略が、このローマ元老院の長老、”ローマの盾”とも言われたファビウスの遅滞戦術というものです。

 

このファビウスの戦略が、ローマ内で理解されるまではかなりきびしく、別名で「クンクタートル(のろま・くず)」などと呼ばれながらも、それを信じて実行した結果、戦えば大勝利するハンニバルが消耗を重ねていくことになりました。

 

この戦略は、ロシア・ソ連に受け継がれ、1700年のロシアとスウェーデンとの戦争での勝利、ナポレオン戦争での名将クトゥーゾフの徹底した遅退戦略、焦土戦術での勝利、ヒトラー率いるナチス・ドイツでのスターリンの対応などが代表例で挙げられていました。

 

驚いたんですが、幕末維新の「江戸無血開城」について、勝は無血開城が受け入れられなかったら、江戸八百八町を焦土とする「清野戦術」の覚悟を固めていたということでした。

 

雑感

 

最後に、この本でも触れられていますが、この経済大国カルタゴについては、日本になぞらえる話がときどきあります。日本も傭兵制でありませんが、経済大国で安全保障についてはアメリカ軍がいることによって成り立っている現実があります。これに警鐘を鳴らそうとしていることがプロローグに展開されています。

今国防をどうするかという議論がなされていますが、国防増税のお金の話ばかりが先行しており、大事なのは、安全保障の軍事面について何が足りなくて、どうしたいのか、アメリカとの関係もいまのままでいくのかなどの多面にわたるその安全保障像を自公政権は責任をもって示さなければならないのではないかと思います。

 

 

 

 

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